冬来たりなば -aiko「白い道」読解-



■はじめに
「白い道」はaiko十枚目のアルバム「時のシルエット」の三曲目として世に出された曲である。タイトルだけ見た時「ヴィヴァルディの「冬」第二楽章かな!?」と色めきだった私である。当たらずしも遠からじと言った具合で、aikoの曲には珍しく「冬」の曲である。以前「aiko歳時記」と称してブログでaikoの曲で季節のわかるものを分類してみたが、冬曲は「寒いね…」とこの「白い道」だけで、二〇一五年七月時点でもこの二曲のみである。とかく珍しい。なおaiko自身スノボなどを楽しむこともあり冬が嫌いと言うわけではなさそうで、単に彼女の嗜好的に夏曲が多過ぎるだけと思われる。「雪」は「milk」にも出てくるが、milkのその部分だけでは冬の曲とは判断しがたい(尤も「milk」発売は二月のことなので、個人的には冬の曲のイメージがある)「ぬけがら」「ホーム」にも「雪」が出てくるが、これらは四季の移り変わりの表現として用いているだけのようだ。
 冬。春夏秋冬の終わりに位置し、生物活動の停滞期にあるため、しばしば苦境を意味する言葉としても用いられる。白い道、と言うタイトルは白とつくため清廉なイメージがあるものの、歌詞をざっと読む限り冬のイメージに反しない「別れ」の曲である。aikoもタワーレコードフリーペーパーの「TOWER」インタビューにおいて「悲しい歌詞」とコメントしている。しかし言葉はこう続けられる。「悲しい歌詞なんだけど、飛び立ちたいって言う気持ちがつまった曲」だと。


■凍てつくあたし
 歌詞を順番に辿りつつ読解を進めていくことにする。まずは一番。「まぶたの裏で雪が降る」と言う一文でおそらく歌詞の季節は冬と推測できる。涙のメタファーになるのは雨が定番だが、季節に合わせて雪としているのがこの歌詞ならではである。ただまぶたの裏、とあるし、追憶の中で降っている雪を描写してだけかも知れない。歌詞自体は「あなたを抱きしめ目を閉じた」から始まる。しかしここから辿っていってわかるように、「あなた」と「あたし」の最後のハグなのだろう。続いて「長い時間だったのか あっという間だったかな」とあるのは、Bメロで歌われるように二人の関係を最初から最後まで振り返っての言葉かと思われる。そして続く「今日も一人歩いた道で ぼんやりあなたの事思う\沢山思い返したら 今はまだ苦しいかもね」では「道」が初登場する。二番の歌詞「あなたに逢いに行った道」で明かされているように、あなたに会いに行くために辿った道のことだ。長い時間、それともあっという間だった時間を思い返して、「今はまだ苦しい」のはどうしてか。それはやはり、別れてしまった直後だからだろう。白い道の「白」は別れを受け入れきれない「あたし」の呆然とした心境も表しているように思える。
 そしてBメロだ。「何も知らなかったあの日からあなたを覚えた終わりまで」の一文のみ。「終わり」は、次曲である「ずっと」のサビにもあまりに印象的な形で登場する語句である。「あなたに出逢えたことがあたしの終わり」と、当時はなかなかにショッキング、強烈な歌詞にさすがaikoといたく痺れた歌詞だが、実を言うとこの「ずっと」の「終わり」を引きずっていたのと、「ずっと」が重バラードで別れではなく重い愛を歌う曲だった為、「白い道」も何となく別れの曲ではないのでは……とあさはかに思ってしまっていた。違う。「ずっと」の「終わり」は「めでたしめでたし」の意味の「終わり」に近いが、この「白い道」の「終わり」は文字通り「終わり」である。「何も知らなかった」と「あなたを覚えた」で上手く対比されている通り、関係の始まりから終焉まで、サビへと移行する間に多分(沢山思い返したらいけないと思っているそばから)「あたし」の中を走馬灯のように駆け巡っていったのだろう。ちょうど「赤いランプ」の「走り去るのは簡単でしょう 駆け抜けてきた今までを」のように。
 その湧き上がってきた回想の中にサビがあるような気がする。「頷く仕草」もかつての「あなた」(僕)の言葉も、白い道を一人辿る「あたし」の中に猛然と甦り、「あたし」を凍てつかせ、歩みを止めていく。いつかの言葉で、「あたし」は「飛び立て」るほど嬉しかったのに……「寒い日はもう越せない」と、「あたしの向こう」で言うところの「あなたと一緒に考えた悩みも涙も一人でやれ」ない、「あなた」なしに生きていくことは出来ない心情がリスナーの胸をも切なく締め付けていくのだ。


■動けないあたし
 二番へ移る。既に触れた通りタイトルの「白い道」は「あなたに逢いに行った道」であると言うことからAメロは始まっている。「特別胸が痛くって 冷たい風に汗をかく」と言うのは、この白い道がどれだけ辛い道かを語っているのだろう。この「冷たい風に汗をかく」と言ったような反対表現(文学評論的にどう表現すればわからない)はaikoにはよく見られる技法で、この点に注目していろんな曲の歌詞を見てみるのも面白そうだが、それは置いておこう。そして「遠く長く感じていてもあなたの姿が見えてしまえば/きっと終わってしまうって体の奥が気付いてる」が次に来る。道が困難でも、その先にいる「あなた」を見れば感じている辛さや痛さが帳消しになる。「あなた」に逢えることがどんなにか「あたし」の喜びだったのか、想像に難くない。
 しかし二人の関係は残念ながら終わりを迎えている。Bメロが歌うのは「今」であり、止めようとしても止まらない回想の所為で涙は決壊寸前である。「今どうしても我慢できないな 息を止めてないと泣きそう」そして二番サビもまたあらゆる回想で「あたし」を追い詰める。
 ここでちょっと気を付けておきたいのが「壊れぬようにと抱いたあなたの誰も知らない心を」の部分だ。『壊れぬようにと抱いた』のは「あなた」なのか「あたし」なのか、読む人によって意味が二通りに分かれてしまうのだ。「壊れぬように」と「あたし」を「あなた」が抱いたのか、それとも「あたし」がか。
 こればっかりはaikoに訊かなければわからないのだが、ぶっちゃけどっちの読みをとっても、ここの文章の肝は「あなたの誰も知らない心」である。それらを「いつまでも守りたかった」と思う「あたし」は、ただただ「あなた」と別れたくない。別れたくなかった。そう強く思っていたのだろう。「あたしだけが動けない」のは「飛行機」の「何がどうしたの?」に近いだろうか。季節が冬であることを思えば、一番と同様やはり凍てついている「あたし」の状態だ。涙も凍っているのかも知れない。
 そして続く大サビは一番Bメロとサビのリフレインである。「あたしだけが動けない」の言葉通り、どこにも進まないまま、凍りついたままの状態で曲は終幕を迎える。「赤いランプ」や「あたしの向こう」のように別れた後どうするかを「白い道」の「あたし」は述べていない。そんなことも考えられない状況だ。そう考えるとこの曲の季節が「冬」であることの意味が私達にはより重要に思えてくるだろう。最初に書いた通り「苦境」や「困難」を象徴する季節であり、他の別れ曲より一層「あたし」の喪失感と未来への展望の無さが際立つ季節である。


■飛び立てる、春に
 ただ、思い出すのはaikoの言葉である。「悲しい歌詞なんだけど、飛び立ちたいっていう気持ちがつまった曲」と彼女は言っていた。そしてサウンドのことを考えてみても、それこそ次曲の「ずっと」の方が、晩秋から冬にかけての季節らしい重々しい曲調になっているのに対し、「白い道」の音は冬、雪の道の上で失恋に涙を堪えきれない「あたし」のイメージと合っているのか、と問われればどうなんだろうな、と頭を捻る。まあ個人の感性と言ってしまえばそれまでなのだけど、激しいバックサウンドは自分を固めた氷を破壊しようとしているように聞こえなくもない。尤も「雲は白リンゴは赤」と同じ理屈で、暗い歌詞だからサウンドは明るくしようと言うaikoにはよくある狙いなだけかも知れないのだが、私の勘繰りはものすごく外れていると言うわけでもなさそうな気もする。
 どうしてAメロサビをリフレインしたのか。何故aikoは「飛び立ちたいと言う気持ちがつまった」と語ったのか。それは「飛び立てたの」と言う歌詞があったからに他ならないし、「あたし」自身がaikoの言葉通りに「飛び立ちたい」と思っていたからだろう。「寒い日はもう越せない」くらいに、「あなた」の存在は大きかった。だけど、「この世の終わりは一緒にいる」「君と僕は似ている」と言われた時、「あたし」は――それが一時の錯覚に過ぎないものであったとしても「飛び立てた」のだ。あの時のように、凍てついた今も、動けない今も、飛び立てたのなら。そこに、「あなた」がいなくても。――「あたし」はきっと、涙を堪えきれない気持ちの裏側でそう願っている。そうありたいと思っているのだ。
 ざっと読めば確かにネガティブな歌詞ではある。aikoの言葉がなければ「あたし」ちゃん可哀想、と月並みに思っていたかも知れない。しかしaikoの言葉と、強いロックサウンドは「あたし」が、今は動けなくても、まだ悲しみの淵にいても、いつかはこの凍った状態から抜け出したいと、読者に、リスナーに思わせるだろう。
「あたし」の氷がいつ融けるかはわからない。けれども、冬来たりなば春遠からじ。無限に、永遠に続く冬はない。いつか春は訪れる。その時こそ、まさに長い冬を越えた鳥の如く、春の陽光の中、彼女はいつかと同じように飛び立つことが出来るのだろう。

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