「彼の」落書きとは何か -aiko「彼の落書き」読解-



■はじめに
「彼の落書き」とはユニークな曲である。「イントロが前の曲のアウトロと繋がっている曲」に専門的な呼び方があるのかどうか知らないが、私が知る限りaikoでは初めて登場した曲である。その次がおそらく「秘密」の「You & Me both」からの「二人」なのだが、あれはフェードアウト&フェードインなので、ダイナミックに繋がる「熱」と「彼の落書き」程のインパクトはない。初めて聴いた時は「ウオオーaikoにもついにこういう曲がおいでなすったか!」と興奮したものである。曲自体も、当時多感な高校生だった為、思い入れもそれなりにあるのだが、さて「彼の落書き」とはどんな曲なのか。改めて考えてみたい。

■aikobon参照・体の落書き
 aikoはaikobonにおいてこう語っている。
「私、いまでも体に落書きするんです。曲書いてて、たまたまパンツからお腹が出てたりとかすると、そこに顔描いたりとかしてまう。ヒマなときとかに象さん描いたりとかして。それでお風呂に入って、油性やからタオルとかでゴシゴシすると、そこだけ赤~くなっちゃって、ヒリヒリするんですよね」
「あ~と思って、好きな人が自分のカラダの中に入り込んでくるっていうのは、消えてもそうやし、自分から消しても何か形が残るな、落書きみたいやなぁ~って思ってできました」
 これは曲中でも「体中の落書きみたい」と歌われるので、歌詞の通りなのだなと思わせる。また二〇〇七年発表の「リップ」(シアワセカップリング曲)でも「太ももに落書き」と出てくるので、これもaiko特有の癖からの描写であろう。
 体の落書きとはどことなく艶めかしいが、このaikoの言葉も念頭に置きつつ歌詞を読んでみる。

■彼の落書……き?
 ところで。先ほど「曲中でも「体中の落書きみたい」と歌われる」と書いたばかりだが、この曲に出てくる落書きは「彼の」落書きと言ってもよいものなのだろうか?
 主人公である「あたし」の「体中の落書き」は、正確には「落ちぬ取れぬ消えぬあなたへの想いは正に/体中の落書きみたい」であり、この部分以外に他に落書きと喩えられているものはない。要は、「彼」が書いたものではないし、「彼の」ものでもない。
 と言うことは「彼の落書き」と言うタイトルはおかしいのではないか? あるいは省略されているのであろうか。「彼(への想いはまるで体中)の落書き」――省き過ぎやろ!? と思わず腰を浮かしてしまう。主格が違うやないかい!? てんやわんやである(大袈裟)

■どういう状況なのか
 まずこの曲における状況を整理してみることにする。
「今日もやっぱ連絡はない」と歌い出しからあるように、「あたし」は相手である「あなた」からの連絡を待つ身である。「とうていクリアできないゲーム」に挑戦するのは「願掛け」のつもり、クリア出来たら「明日こそは電話のベルが大きな声であたしの事呼び出します様に」とあるように、彼から電話がかかってくる――と思う故である。
 二番でも「待ってるだけじゃ変わらないから」とあるし、ほうほう、なるほど彼氏に待ちぼうけをくらっている彼女の曲ですかあ、と思うが、二番サビの「始まりしか知りたくない 終わりなどいらない」と言うフレーズから察するに、おそらく「交際が始まってもいないし、終わってもいない」状況下だ。
 そしてCメロの「知らないふりしてあたしの前をさり気なく通るあなた」と言うフレーズを踏まえれば、「あなた」の方は「あたし」の気持ちをおそらく知っているのである。「あたし」が告白したか、ラブレターを送ったりして、気持ちは伝えたのだ。しかし、最初にあるように「連絡はない」のである。所謂「放置プレイ」状態である。まるで弄ばれるように相手の掌の上にいて、「あたし」は実に生殺しもいいところである。
 恋が実るか、交際が始まるかどうか、ぎりぎりのところを描いている。そしてそれはもしかすると、うやむやのうちに「なかったこと」になってしまうかも知れない危うさすらある。「今日何かにすがりついてないと 動き出す空に負けてしまいそう」と言うワンフレーズから、「あたし」の焦りが伺える。Cメロの時点で「ねぇこのかたまり冷えた心」と歌っているので、かなり追い詰められているのかも知れない。それを知って「あたし」を放置しているのなら、この「あなた」も相当の悪である。滅亡待ったなしだ(二回目)

■タイトルロールの不在
 以上ざっと読んで状況を整理すると、
「あたしはあなたからの連絡を待っている」「あたしはあなたと付き合っていない」
「想いは伝えてあるが返事を貰えていない」「話がなかったことになるかもしれない」
と言う、かなり負けのムードが濃い一曲であることがわかってきた。さて、この状況を踏まえ、疑問に思っていた【「彼の」落書き】と言うものは、どこにあるのか。あるいは、何なのだろうか。少し考えてみたい。
 やはりつぶさに読んでいくと、曲中で例えられる落書きとは「あたしが彼に抱く想い」のことを指していて、「彼から「あたし」に刻んだもの、書き落としていったもの」では、やはり無い。
 しかし、「不在の何か」を描く為に、存在しているものを描き、「不在」を浮き彫りにする手法は別段珍しくない。aikoクラスタ作家の作品で言えば朝井リョウの「桐島、部活やめるってよ」がそれに近いだろう。(すいません、読んだことないですし映画も見てません)(て言うか朝井リョウは私の超絶個人的な敵ですすいません)(届けこの嫉妬と怨念)この作品の桐島はウィキペディアによると「タイトル・ロールである桐島は本編に直接登場せず、その人物像は伝聞のみで明らかにされる」とあるように、作中では描かれない。逆に言えば、不在の存在を、他の存在によって浮き彫りにしていると言える。「彼の落書き」もこの作品と同じ手法なのだ。この曲で描かれるものは「あたし」の「あなた」への想いだけである。
 歌詞をふまえて聴いている私達は思うはずだ。「そんじゃあ、「彼の落書き」ってなんじゃらほい」と。

■落書き ―意味なく落とされたもの―
 存在によって浮き彫りになってくるものが「彼の落書き」なら――それは「あたし」がこれ程までに想いを抱えるに至った「あなた」が「落としていったもの」であり、それを読み取るとしたら、「「あたし」が「あなた」に恋することになった所以の出来事」のことではないだろうか。
 恋に堕ちるきっかけは人それぞれで全然違う。自分には何気ないことでも、相手にとってはものすごく大きな意味のあるものとして映ることが、たびたび恋のきっかけとして登場する。このこと自体、「相手と自分が思っていることは違う」「客観的な事実は一つだが、捉えられる真実は一つではない」と言う世の虚しさを表していると思うが、この曲の「あたし」と「あなた」もそうで、恋のきっかけとなる出来事は、「あなた」にとってはそれほど大きな出来事ではなかったのかもしれないが、「あたし」には相当大きな出来事であり、そのことが心に残されたのである。
 そしてそれが相手を想う気持ちへと成長し、恋になったのである。aikoの言う「好きな人が自分のカラダに入り込んでくる」状態である。しかしながらそれは、「あなた」からすれば「ほとんど意味のないもの」――言ってみればほとんど「落書き」に過ぎないようなものであったことが、悲劇たる所以であろう。相手との想いの相違による悲恋。前回の「こんぺいとう」と思わぬところで繋がってしまった。

■消えない落書き ―あたしの中に残るもの―
 aikoはこう言っていた。「好きな人が自分のカラダの中に入り込んでくるっていうのは、消えてもそうやし、自分から消しても何か形が残るな、落書きみたいやなぁ」と。この恋が相手からの返事が来ず自然消滅しても、自分から振り切ってなかったことにしたとしても、「あたし」の中で痕が残ってしまう。第一、「こすって赤く腫れてしまう」とあるように、消そうとするとより濃くなってしまうのだ。忘れよう忘れようとしても、どんどん深みにはまる一方だ。この落書きを善い方向に昇華するには、「あなた」からの返事がないといけないだろう。この落書きを消せるのは「あなた」だけということだ。
 それなのに、「あなた」は何も動きを見せない。手紙のように「あなた」への想いを閉じ込めているのであろう「きつく縛ったままの日記」を開けて再び「あたし」が「あなた」への想いを再燃させたとしても、やがては「冷えた心」になってしまう。ああ、「あたし」の未来はどっちだ! 早く返事をよこせ! と思わず応援したくなってしまう。こんなやきもきも、また恋と言う不可思議な現象における一側面なのだろう。

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