あなたとなんて一日を -aiko「なんて一日」読解-



■「なんて一日」概要
「なんて一日」はaikoの二十五枚目のシングル「milk / 嘆きのキス」のカップリングとして発表された作品である。milkはaikoが初めてオリコン週間ランキングで一位を獲得した作品であり、初のベストアルバム「まとめⅠ」のトップを飾る曲でもある。ライブでも頻繁に歌われる曲なのでaikoファンにとっては思い入れが強い作品であると思うのだが、個性際立つ両A面の二曲のカップリングである「なんて一日」も快活で前向きな一曲であり、好きな人は多いと思われる。aikoはこの曲にどのような気持ちを込めていたのだろうか。

■変えるのは自分
 milk発売時のExciteミュージックのインタビューにて、「なんて一日」について「これはツアー中の私なんですよ」とコメントし、こう続いている。
「ツアーは毎回、色んな場所で色んなライヴをして、プログラムにはそんなに変化はないものの、毎回、色んなことが起こって。いつも「初日が最終日だな」って気持ちになるんです」
「自分のコンディションもあるし、会場の室温1度低いだけでお客さんの反応も違うし、湿度が違えば音の鳴りも違うからこそ、「今日はなんて一日だったんだろう」って良い意味で思える日々を過ごそうとディレクターと言っていて」
「そう思っている時に結局は誰のせいでもなくて、明日、明後日を変えるのは自分だなって思ったんです。自分が良い方にも悪い方にも動かせるんだなって思って書きました。ツアー中の私はいつもこんな感じです」
 最後の言葉には始終うんうんと頷いてしまう。もともと「なんて一日」はきっとライブやツアーのことを歌っているのかなと何となく思っていたが、aikoの見解とはそんなにずれてはいなかったようだ。aikoの中に確かにあるポジティブさ──それも彼女に無くてはならないライブと言う特別な時間に向けて生み出されるもの──を感じられる一曲。どんな景色が広がっているのか、意味が籠められているか、早速読み解いていこうと思う。

■少しでも違うハレの日を
 一番Aメロは「いつもと違うことをする」と言ったようなフレーズが連続する。「今の気持ちをわざと曲げてみたり/背中にあるスイッチに手を伸ばしたり/今日はいつも歩く道を変えてみた/眠いのを我慢して夜が明けるのを待った」と、あたしは何の変哲もない日常を変えるべく様々な試行錯誤、いろいろなチャレンジを繰り返しているらしい。いつもの日々、つまらない日々をどう面白く出来るか? と言うあたし自身の課題も感じられるところだ。
 こう私が読んでしまうのはaikoが常にライブの一公演一公演を、初日であろうと最終日であろうと関係なく、どう特別なものにすべきか考え努力していることを知っているからかも知れない。もっと言うと、いつもスタッフやマネージャー、バンドメンバー達をちょっとしたいたずらで驚かせて楽しませてくるいたずらっこaikoのスピリットも垣間見えて非常に面白いところである。インタビューで「明日、明後日を変えるのは自分」と話している彼女の想いがここに反映されているのではないだろうか。
 一番Bメロのフレーズも独特だ。「体に流れる血の色が赤じゃなかったらどうしよう」と、突拍子もない「もしも」を敢えて思い浮かばせ、いろいろ考えてしまう。妄想、と言うか家にいる時はいつも変なことばかり考えているaikoをやはり思わせる。
 そんな試行錯誤や変な妄想は功を成して、全てはサビのこの一言に集約されていく。「なんて一日なんだろう」と。歌詞上だけでも非常に満足げに見えるし、歌唱においても幸せそうに思える。「大きく息を吸えば/大人げないキスをすれば」とこのサビの部分でも少し違うことをしようとしていて、あたし、と言うかaikoのもっともっと違うことを求めようとする貪欲さを感じて思わず微笑んでしまう。
「なんて一日なんだろう少しだけまた明日は違うのさ」とその貪欲さとポジティブさは続くフレーズでも隠されることなく表される。少しだけでも「違う」一日にしたい。違う一日を、違うライブを届けたい。そう切実に願うaikoの気持ちがここに感じられる。もしライブがなかったら「なんて一日」ではない、なんでもない普通の一日だったかも知れないのだ。それどころか仕事で疲れたり、職場や学校やSNSで嫌なことがあって落ち込んでいたりして、沈んだ一日だったかも知れない。
 だからこそ「なんて一日だったんだろう」と思える特別な一日を、aiko自身も楽しみたいし、何よりaikoが皆に届けたいと、そう思っているのだろう。その心に目頭が熱くなってくるし、私もその気持ちに全力で応えたくなる。サビを締める「唇に水を声は空に構え」のフレーズも明日へ向かおうとする前向きさを感じられて、リスナーは爽やかな気持ちに満たされることだろう。

■あなたへと至る歌
 何気ない日常を非日常に変えようとし、ぐいぐいずんずん進んでいく一番だったが、二番になると不穏な一連が挟み込まれる。「「君にとっては小さな出来事さ/だけど僕は苦しい程すりむいた」」と読むだけでも辛く切なくなってしまうフレーズがAメロ全てに当てられているのだ。
 何故「僕」からこんな言葉を向けられてしまったのだろう。考えられるのは、一番Aメロで繰り広げられてきた試行錯誤の中で意図せず衝突してしまったと言うことだ。自分にとっては些細なことでも、他の人にとっては不快なことだったり心外なことだったりと言うのは人間関係においてはあまりに多く見られる事例である。aikoもまたツアーやライブの中で意図せず傷つけてしまったり迷惑をかけてしまったことが人知れずあるのかも知れない。故にBメロの「気付かなかったよ 本当にごめん 声を聞かせて」がやはり歌詞で見るだけでも切実で、胸に迫ってくるものがある。
 おそらくは一期一会の出逢いである傷つけてしまった「僕」にあたしは、aikoはどう向き合っていくのだろう。「空は続いてあなたのいる所も青く射しているのなら伝えて欲しい」と頭上に広がる天を仰ぐ。場所を違えてはいるものの、あなたとあたしは同じ空の下で生きている。伝えて欲しいとあるが、同じ世界を生きているのなら伝わるのではないか。
 ではどうやって伝えていくのか。「あたしが書いた上手くない手紙の文字の隙間にもあなたはいるのさ」と──おそらくではあるが、この手紙とはaikoが発信するメッセージであると同時にaikoの曲の歌詞でもあるのではないだろうか。このフレーズは私のお気に入りの一節でもあり、自分の創作活動の作品も同じようにaikoがいて、全てがaikoに向かっていくぞと聴くたび張り切るのである。
 それはともかくとして、自分の一挙手一投足に、発信する言葉に、歌に、一期一会の出逢いであるあなたがいるとaikoは本気で想っているし、それは冗談でも何でもなく真実なのだ。あたしは歌い続けることでまたあなたに、今度は傷付くことなどないように、「いつもより多く胸を高鳴らせ」る一日を届けると約束している。勿論対象は傷付いたあなただけではない。ライブに来ている人、この曲を聴いている全ての人に約束している。
 この二番サビはおそらくは全ファンに伝えたいことが凝縮されているのだろう。aikoのおふざけや悪気がなくとも出過ぎた行動でもし傷付いた人がいるなら全力で謝罪し、同時に全力で歌うことで詫び以上の何かを届けられたら。そんなaikoの苦しいまでの真剣さがびしばしと感じられる。

■笑って送って、笑って迎えて
 なんて一日なんだろう。いい意味でそう思える日を過ごしたいとaikoは語っていた。けれども、考えてみれば人間の時は有限で振り返ってみればそれはあまりにも短く、「木星」のフレーズにあるように「宇宙の中で言うチリの様なもの」でしかない、あまりに儚い一瞬だ。だからこそだ。惜しんだり悲しんだり、泣いている余裕などどこにもない。
 大サビでaikoはそのことを歌い上げる。「過ぎてゆく時に泣いて振り向くより/両手上げて笑って手を振ってみたい」と。前半は「Aka」の「泣いてしまうなんて勿体ない」を思い出すところだし、全面同意以外の選択肢などあるのだろうか。aiko自身、過ぎていく日々を愛し、かつこれから来る日を期待しているから、愛しているからこそこう歌えるし、紡げるのだと思う。泣いても笑っても同じなら笑う方がいいじゃないか。
「なんて一日なんだろう少しずつまた明日は違うのさ/唇に水を声は空に構え」と、この先にどんな不幸や困難があるとしても「少しずつまた明日は違う」と純粋に楽しみに期待し、わくわくしているあたし──aikoの姿が今にも目の前に浮かんでくる。「明日、明後日を変えるのは自分」と話していた通り、何か困ったことがあったとしても、自分と、そして皆の力で変えていこう。そんなポジティブさだって感じられるのだ。ただのリスナーの私達も、そしてライブに参加して「なんて一日」な非日常を共有する私達もまた同じように「声は空に構え」と明日を迎えられることだろう。


■終わりに
 これまでaikoの歌詞にいろいろと触れてきて、aikoという人はとことんまで冷徹な視線と思考を持ち、同時に極度のネガティブを常に持ち、本人の明るさとはあまりにも真逆が過ぎるシビアな歌詞世界を創作する作家であることは嫌と言うほどそれなりにはわかってきていると自負している。
 けれどそれと同時に、同じくらい確かか、いや、それを上回る程に、何としてでも明るい方向に向かおう、希望を絶やしてなるものか、ほんの少しでも残ったポジティブさに全力を尽くさんとしている作家でもあると思う。絶対に、何があっても、この苦しみと切なさに完全に屈してなるものかと、その存在を認めながらも決して折れようとはしない。故に根本的なところでこの人はとても強い明るさを持った人なのだと私は思っている。今回取り上げた「なんて一日」は全体的にそんなことを感じさせる名曲であった。
 そんなラジカルな明るさや熱が知らず知らずの内に人を惹き付け、離さない。それがaikoが二十年の長きに渡り支持される理由の一つであると私は何の疑いもなく信じている。新しい歳を迎え、新しい時代と共に二十周年の向こう側へ向かおうとするaikoの歌詞から探れる新たな姿、新たな世界を、これからも見つけ続けていきたいと志を固めたところで、今回の読解を終えるとしよう。

(了)

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