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ロージー 強くて弱い「あたし」という存在



「ロージー」を聴く時、歌う時、歌詞を見る時、常に頭にひっかかる語句がある。
「萎えた傷」だ。
 曲の主人公「あたし」が引きずる、前回の恋の痛手だろうか? それとも恋は関係なく、辛い人生を送ってきた、ということだろうか。どちらにしても、「重い過去」があるという読みは可能である(そもそも、人生は誰だって深い傷を背負っているものである)
 サビや他の部分などからは、見ただけでも愛情が滲んでくる、ストレートなラブソングであり、非常に好感が持てる。「ロージー」は文句のつけどころがなく、打つべき杭も無いような良曲なのだが、唯一解釈の手がかりとするならばその「萎えた傷」であろうと思う。
 それに加えて「この青い空が黒くなったなら」も、不思議と浮いた部分であろうか。ここではサウンドの方もエフェクトがかかっており、看過できない部分である。


「この青い空が黒くなったなら/あたしを連れ出して そして早く逃げよう」とある。青い空が黒くなるということは順風満帆な二人の仲が怪しくなる、危うくなるといった意味合いであろう。
 しかし、歌詞を読む限り、その迫りくる恐怖に対して、「あたし」はさほど危機感を感じさせないような口ぶりをしているようだ。恋人の手を取って、あははと笑う可憐な少女のように、逆にその困難すらも翻弄するように逃げおおせてしまう――と私は読んでいる。その証拠に、「一か八かのゲームみたいなこの道を/寄り添って今はただ歩いてみたい/そんな気持ちよ」と、困難を二人で乗り越えようとしている姿勢が伺える部分が同じ二番のBメロに現れる。
 この二つの部分から思うに、主人公は「恐怖」を容認しているのではないか。その存在から目を背けない。むしろ望むところだ、という気概が、歌詞全体を貫く、恋人に対する篤い愛情からひしひしと伝わってくる。『二人ならば怖くない』というテーマを「ロージー」に掲げるなら、「だって二人は恋人だもの」という歌詞が、それに相応する言葉だろうか。


 ここで、「萎えた傷」の存在を思い出してみる。
 対比してみると、前述した強い「あたし」に「萎えた傷」があるということになる。その強さの裏側にいる、確かに傷ついた過去を背負っているかよわい女子の姿がぼう、と浮かんでくるだろう。
 彼女は強い一方で「萎えた傷を癒すのは/あなた以外に考えられないね/あなた以外にいないわ」と、激しく恋人に依存している面も持ち合わせている。……依存というと過剰な読みになるだろうか。「強い信頼」と言い換えた方が無難かもしれない。だが何にせよ、二人を結ぶ愛の力で(それがたとえ一方的なものにしても)恐怖を容認している彼女は、同時にそれが出来る程強く、相手を希求しているのである。
 「ロージー」に描かれる「あたし」はそんな、強さと弱さを併せ持つ女子なのだ。それを思うと、aikoがラストでロージーの名を咆哮するように歌いあげる、強く聞こえる声が、どこかで彼女を支えなければならない繊細さを隠しているように聞こえてくることだろう。

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