繋いだ手を壊さない -aiko「Smooch!」読解-



■Smooch!概要
「Smooch!」は2005年3月2日にリリースされたaiko六枚目のアルバム「夢の中のまっすぐな道」の十曲目として世に発表された曲である。アルバム曲の恒例として(最近のMay Dream・湿った夏の始まりには無いのだが)MVが制作されており、そちらは「ウタウイヌ3」に収録されている。当時MVを見る環境が、一応はあったもののいつ放送されるかわからなかったので、当時高校生の私はネット(携帯で見た)で見かけたキャバレー(…?)で踊る赤いドレスのaikoの画像にむちゃくちゃ可愛い!! なんじゃこりゃ!! と腹を立て(可愛いが過ぎると怒りたくなるよね)見られない自分の境遇を呪ったものである。ウタウイヌ3のリリースがどれほどありがたかったか知れない。ライブではLLP14やLLP17などでフル披露されているが、最後に歌われてからそれなりに時間も経っているので是非今度のツアーでセットリストに加えて欲しいところである。個人的に何かエピソードがあるというわけではないが単純にめちゃくちゃ好きな、お気に入りの一曲だ。
 この曲についてaikobonのライナーノーツを参照してみよう。案の定歌詞についてはこれと言って言及していなかったのだが、作者からの貴重なエピソードは捨て置けない。

「「Smooch!」っていうのは、キスするときの“チュ”って音を表す言葉ですね。英語のタイトルは久しぶりですね」(筆者註:軽く調べたところ「夏服」のbe mastre of life、September以来の模様。単純計算で約四年ぶり?)
「たまたまこの曲を作ってデモテープに入れるとき、パッと目に入ったステッカーに書いてあった“feed us”っていうのをタイトルにしてたんですよ。で、歌を録ってアレンジも含め全部終わったときに、そのステッカーがきっかけになって、あ~やっぱりこの曲のタイトルは英語にしたいと思ってて、たまたま見つけたのが「Smooch!」だったの」

 以下、デモの時点から歌い出しはあのような形だったこと、それを千葉さんに気に入られレコーディングとなったこと、思ったようなアレンジとなって満足していること、最後の口笛を「へっぽこ」と評し、レコーディングで吹いていたのを忘れていたこと、「へっぽこ具合もちょっとこうチェケラ~な感じで(笑)」と語っている。またアルバム全体でのライナーノーツでは「Smooch!なんかは今じゃないとできなかった曲やろうし」と話している。その真意は文脈が乏しくわからないのだがaiko自身とても気に入っている曲なのだろうなと感じる。


■Smooch!を読む
 さくさくと歌詞を読んでいこうと思う。Smooch!。aikoも言うように「チュ!」と言うようなニュアンスで、言葉と言い意味といいとても軽快な、可愛らしいイメージである。ステッカーがきっかけになってはいるが、英語にしたかったと話すaikoはポップなイメージを意図したのであろうか。Smooch!が世に出て十三年も経った今となっては想像するのは難しいが、確かにこの曲がひらがなでもカタカナでも、少し、日本語としての意味を含んでしまっている所為で出来るある種の重たさがあっただろう。
 イントロはなく、深く深く広がりつつも勢いよく爽やかなaikoのロングトーンで始まる。「空の様に広くあっても 2人の今はこんなに近い」──aikoの歌い方に影響されてはいるが魚眼レンズで空を見上げているようなイメージが広がる。二人っきりの世界は空のように広大だが、けれど物理的な意味で肉体としての二人は今とても近くにいると言う。そしてあたしは言う。「だからチャンスよもっともっとあたしに近付いて」と。チャンスだと言うのは自分に対してか、相手に対してか? 私の感性で言うと相手に言っているような気がする。あなたからのスキンシップを求めているあたしは結構ぐいぐい来るタイプの女の子のようでaikoの曲の中では結構新鮮、珍しいタイプだ。と個人的には思う。
「2日3日そっけないフリをしたら解るこの存在/寂しいでしょ? どっか穴が開いたよな気がして」と続くフレーズも、相手が気付かなかった寂しさを敢えて暴くことで自分の存在を強調させていて、どこか誘惑めいたフレーズのようにも取れる。それにしてもこの二人は「2日3日そっけないフリをしたら」寂しくなるくらいには普段から傍にいるようだ。
 となると二人は友達以上恋人未満くらいの関係性なのだろうか。サビ前、「改めてちゃんと目を合わせたら」の“改めて”にも注目してみると、いざ意識して見ると……と言う感じで、サビに入る。「心暖かくなるでしょ一瞬だけでも/あなたとあたしは惹かれあってるから」──お互いを意識した二人の心は情愛の炎の如く燃え上がる……とまではいかずとも春の日のように暖かくなる。敢えて効果音を考えるときゅん、とかだろう。その暖かさは「惹かれあってる」の証明だ。そう、今こそ恋人未満の未満を取り払う時なのだ。あたしは強く歌う。「そこを逃すな!」と。
 恋人同士になる材料はたとえ一瞬であっても「心暖かく」なればそれだけで十分なのだ。何となくかな、とか気のせいかな、みたいななあなあで済ませてはいつまで経っても二人は結ばれまい。そんな時代はもう去ったのだ。Smooch!の曲名も曲調も軽快ではあるが、この「そこを逃すな!」のフレーズはそこそこ強烈であり、締めるところはバシッと締めようとする気風の良さ、勇ましさがある。
 サビは次の二篇のフレーズで締めくくられる。「たまには信じてみて絶対壊さないよ/あなたから繋いでくれた手」離さないではなく「壊さない」のだ。二人の関係を壊さない、そう歌っている。「あなたから繋いでくれた手」は二人のそもそもの出逢いのことを言っているのか、それとも「逃すな!」の後にあなたが大接近してくれて、関係を一歩進めたことを指しているのか。もし後者だったのなら、やっぱりと言うか何と言うか、あたしからのアプローチと言う名の誘惑があったように思えてならない。


■シャボン玉とあたし
 さて二番に入る。二番のAメロが言うなればこの曲の裏サビと言うものか、サビ以上に重要なメッセージが刻まれている。  Smooch!の物語的にもaikoと言う作家的にも見過ごせない哲学が込められていて、これを何の気なくサラリと歌いこなしてしまうaikoは相変わらず末恐ろしい歌手だなと思わずにはいられない。二番の歌詞は曲が採用されてから初めて書かれる(2018年現在もこの手法は変わっていない。ラジオよなよな木曜日(2018/6/7放送)でのインタビューでaiko自身が語っていた)ので籠める想いが一番以上に深くなったりする、と言うことを念頭においても、十分に注目に値すべき箇所だ。
「漂い揺れるシャボン玉をあなたは隣でふくらます/最後に割れると知ってても舞い上がれと飛ばす」──シャボン玉は美しいがあまりにも脆い存在で儚さの象徴として持ち出されるのもしばしばである。こういった恋愛の歌で持ち出されると何の喩えとして用いられているのか、何のメタファーなのか、と問う方がどうにも野暮極まりない。あまりにもいつかは終わってしまう恋のメタファーに読めてしまう。
 いつか終わってしまう。弾けて消えてしまうけれど、それを承知の上で「舞い上がれ」と願って飛ばすあなたはそれでも最高のものになって欲しいと思っているのだろう。最初からどうせ終わってしまうと諦めたように受け入れたものが楽しめるわけもない。終わりを確信しながらも、それを見ていたいから、心を慰めたいから飛ばすのだ。だからシャボン玉をふくらますあなたが一概に悪い人だとも、情緒に理解がないとも思わない。でもどこか、シャボン玉に見惚れて大事なことを見落としそうな危うさを感じる。ここのあなたは、あたしのことを見ているのだろうか。
 そんなあなたの隣にあたしはいる。朝に紅顔有りて世路に誇れども暮に白骨と成りて、ではないが、あたしは舞い上がるシャボン玉と自分を準えてこう歌う。「同じ様に明日あさってもあたしが隣にいる事を/当たり前に思っちゃダメよシャボン玉の様に」と。対応するメロディも同じなので、一番の「2日3日そっけないフリをしたら解るこの存在/寂しいでしょ? どっか穴が開いたよな気がして」と、意味も含めて少しばかり対句になっているような気がする。そっけないフリをすれば穴が開いたような気がするし、明日も明後日も隣にいると思っているが、もし急にいなくなったりしたら、それはもう当然、寂しさを感じることだろう。
 だが重たさは二番が圧倒的である。「あたしが隣に」「いない」ことはどんなことなのだろう。あたしがあなたの前からサヨウナラといなくなってしまう──つまり破局──ことか、それとも、本当に存在がなくなる──つまり「死」だ──ことか。
 どっちの意味なのだろう。これはリスナーによって千差万別だと思うが、私はわりと最初に聴いた時からずっと、別に特に根拠もなく「死」の方だと思っていた。多感な高校生だったからと言う理由もあったが(何故かあの頃って妙に“死”に憧れるんだよな)幼い頃死が身近にあったaikoも、もしかするとここに忍ばせたのは「死」の暗示だったのではないだろうか。どっちが正解かと言うよりどっちの意味もあると思っていて、こんな可愛いポップな曲にそう言った重めのテーマも盛り込ませるaikoはとにかく超ど級にシリアスな作家で、本当に侮れないと思う。
「あたし」だって一番で「絶対壊さないよ」と歌っている以上、浮気してしまう可能性を自分から歌うのも何となく変な話だ。なので、「あなた」の方の動き(浮気や心変わり)を牽制してのフレーズなのかも知れない。とかく、人の生き死にも進退も、読むことは難しい。だから今二人でいることは決して当たり前ではなく、どんな奇跡よりも貴重だと思って欲しい。あなたを翻弄する、ちょっと小悪魔のような歌詞ではあるが、その裏では結構切実な想いが綴られているように読めてくる。
 そう、自身やお互いの関係をシャボン玉に喩えつつも、シャボン玉のように簡単には消えまいと言う心が伺えるのがサビ部分である。サビ前では「ぶつかって切れて目を背けても」、一番は「目を合わせ」二番は「目を背け」と対句になっていて、一番とは逆に二人に起こるトラブルやアクシデントの予兆を感じさせる。が、逆接の語句が示すようにサビでは元通りだ。「縺れたままで朝を迎えたりするのは/あんまり好きじゃないから喧嘩したら/すぐに話そう」と。「縺れたまま」と言う表現が個人的にかなりお気に入りである(「あなたと握手」の「絡まる糸」にも言えるが、人間関係をそう表現するaikoのセンスが大変好き)気まずい雰囲気は嫌だから、喧嘩した後はすぐに仲直りしようというサビだが、ぐずぐず引きずらずすぐにそれを実行できるあたしにやっぱり格好良さを感じるし、何よりほっこりする。そして「すぐに話そう」と言える。恋愛でも何でも、対話は本当に大切なことだ。
 二番サビを締めくくるフレーズも良い表現で気に入っているし、これも大事なことを歌っている。「大切に持ってるよ 心の中にいつも/特別笑ったあなたの顔」と。あたしはきっといつでもあなたの顔を思い出せるのだろう。「ずっと」で話していた“お守り”のような強い想いを彷彿とさせる表現だ。たとえ喧嘩状態が長引いたり、上手くいかないことがあった時でも、そしてもし別れが来たとしても、どういう結末を辿ったにしても、多分あたしの中に「あなたの顔」はそれこそ「特別」なものとして輝き続けているのだと思う。


■二人が一緒にいる理由
 間奏を経て大サビへと入る。歌詞自体は一番のサビのリフレインではあるが、二番の重いくだりを経ての一番サビへの帰還は、他の曲のリフレインとはかなり違った意味と言うか重みを増していて、リスナーの心に沁みていくような気がする。
「心暖かくなるでしょ一瞬だけでも/あなたとあたしは惹かれあってるから/そこを逃すな!」──惹かれあっていると言う事実。それを確実に射止めんとする意志。恋人同士が出来上がる理由などそれこそ億千万の星の数だけあるが、この曲の二人が一緒にいる理由は「一瞬でも心が暖かくなる」「惹かれあっている」ただそれだけで十分なのだ! と言う強い意志を感じずにはいられない。その理由に該当する小さな恋の予感を、私達は零しやすい。あるいは、自信が無くて気の所為だと流してしまう。そんな私達に、あたしは(そしてaikoは)この曲を通して勇気を与えてくれる。背中を押してくれるような気がする。「そこを逃すな!」のエクスクラメーションマークの理由を私はそんな風に捉えてみたい。
「たまには信じてみて絶対壊さないよ/あなたから繋いでくれた手」と締めくくり、あとはaikoがへっぽこと評した、けれども可愛い、楽しげな口笛が乗せられる後奏が続いていく。「あなたから繋いでくれた手」を、そこから始まった二人の関係を壊さないと約束するあたし。二人は喧嘩もするし、あなたは大事なことを見落とすかも知れない。でも「あなたから繋いでくれた手」をあたしは非常に大事な愛しいものとして歌う。そこにある信頼と親愛に私はやはりほっこりするし、「信じてみて」と相手に願うのも、そこを逃すな! と格好良く歌っておきながらも、相手に対して少し不安を抱く普通の女の子らしさが覗いていて可愛いなと微笑んでしまう。
 Smooch!。ポップで可愛いタイトル、軽快な曲調だと言うのに、その実籠められているものは意外と重い。けれど、最後はちゃんと可愛く締め、口笛まで吹いていく。全く、一体aikoはどういうつもりなのか。それはわからないが、そういうところが二十年の長きに渡り愛される由縁なのだろう、それだけは確実に言える。そんなaikoだから私もまだまだ知りたいと思うのだ。「Smooch!」はそれを“改めてちゃんと”気付かせてくれた一曲だ。そう思いながら今回はこの辺で筆を置くとしよう。

(了)

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