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「僕」の慈愛と優しい支配 −とある少年少女の秋の夜− aiko「テレビゲーム」読解



■はじめに・歌詞物語の発掘
 いきなり余談から始めるが、私はこの「テレビゲーム」が結構好きである。発売当時かなり落ち込んだことがあり、この曲の優しさに何度も心を救われた。この曲とaikoがいてくれたお蔭で無事に生きてこれたとさえ思う。と言うのに、今までろくにaikobonを参照してこなかった。そもそもaikobon自体ちゃんと全部読んでいるかあやしいのであった。不真面目なaikoクラスタで申し訳ない。
 今回、ある程度の考察を立てて置いてから彼女のライナーノーツを参照した。普通はそんな掟破りはしないのだけど、でも歌詞が先にあり曲があり、尚且つ十年近く時が経過しているのだし、曲に対してある固定の物語を誰しも持っているものだと思う。
 そこでふと思ったのだが、歌詞を考察したり研究したりする作業は、歌詞に丁寧にあたることで歌詞の中にある、隠されたその固定の物語を明らかにしていくことなのかもしれない。そしてその物語は人それぞれであり、何が間違いで何が正しいとか、そういう問題ではないのだろう。
 以上、蛇足であるが、今回は私がぼんやりとしか掴んでいなかった「テレビゲーム」の物語を明らかにした、風な考察になっている。考察と言うよりも読解に近い。歌詞の物語なので、平安の歌物語でなく、平成の歌詞物語と言ってみるのもいいかもしれない。

■大きな愛
 先に、何も言わず、aikoのライナーノーツを引用してみるとする。少し長いが、重要な所をまるごと抜き出してみた。

「この曲、あたしはすごい好きで。恋の歌っていうか、愛の歌なんですよね、どっちかって言うと。恋をしていると言うより、その人に対して恋以上の愛情があるから書けた曲ですね。大きな愛みたいな。
 だから恋愛感情とか、この人と帰りたいから、抱きしめてほしいからとかで生まれた曲ではないんですよね。そういうことは思ったことはなくて。ほんとになんか恋愛感情抜きにして、親以外の人で男の人で、裏切られてもそれはきっと相手にすごい大変なことがあったんだろうなって思うぐらい信じられる人ができて、それで出来た曲なんですよね。
 一生会わなくても、あの人最悪らしいでっていう噂を聞いても、私は死ぬまでこの人のことは信じているんだろうなっていう人に出会えて書けた曲なので(後略)」

■一人称・「僕」
「テレビゲーム」は「かばん」(2004・4月)のカップリング曲で、三曲目に収録されている。おそらく「ジェット」以来初の「僕」と言う一人称を使用した曲である。aikoの「僕」曲と言えば「青い光」の「僕」使用が象徴的だが、実のところ、少なくとも発売順では「青い光」以前の「僕」曲である。
 では何故「僕」なのか。あくまで憶測だが、無垢な少年を語り手、視点人物とする方が先に引用した、aikoの言う「大きな愛」を表現するのに適していたのではないか。「青い光」のライナーノーツでは「僕という言葉を使うとより素直になれる」とある。

■歌詞からわかること
 今回はaikoのライナーノーツをふまえつつ、純粋にシンプルに歌詞を読んでいくことにする。
 では歌詞からわかることを以下に挙げてみよう。(順不同)

 ・主人公は「僕」
 ・季節は秋
 ・「君」の頭は「固くなっ」ている
 ・「君」は「多少の試練」を抱えている
 ・「君」は「尖ったバリア」を張っている
 ・「時間」が「僕」にも「君」にも迫っている
 ・「君」は「嫌なことがあった時すぐ顔に出してしまう癖」がある。おそらくそれ僕にもある癖。
 ・「君」は「僕を盾にして」「大きな道」を渡ることが出来る。そしてその為になら僕を裏切ってもいいと考えている。
 ・僕は「君のスイッチ」=涙のスイッチ? を押すことが出来る。


■青春の中の少年少女
「僕」と言う一人称故か、この主人公と「君」はそれほど大人ではないように読める。「テレビゲーム」と言う言葉も気分転換の遊びのことであるが、遊びと結びつくのは子供だろう。かと言ってそれほど子供とも思えない。「僕」が何となく達観している人物であることもあるのだが、では彼と彼女はいくつくらいか。
 大人でもなく子供でもない……それは思春期ではないか? よって、私がテレビゲームから読む物語の登場人物であるこの二人の年齢はだいたい十四〜十七歳辺りである、と設定したい。二人は少年少女と呼ばれる世代なのだ。もっと言えば青春の少年少女である。
 世代をその辺りと見て、青春とすると、「君」が抱えている「多少の試練」や二人が迎えなければいけない「時間」と言うものも、自ずから浮かんでくると言うものだろう。具体的な語を挙げると途端にチープになるが、例えば将来や夢のこと……受験や進学と言った進路のことであろうか。他にも思春期ならば友人との関係や大人(両親や家族や教師)達との軋轢、恋愛などがある。
 それらの問題は、大人になってしまった今の私達が考えられないほどリアルに、深刻に「僕」や「君」へ襲いかかっている問題なのだ。そういうことにいちいち深刻になって時には過激な風にまで言ってしまうのだが(「ラジオ」の「あの時は小さな悩みでも 死にたいくらいだったの 辛かったの」のように)それが少年少女達の小さな世界を占める圧倒的な現実なのだ。
 そういう状況の中で「僕」が見守る「君」は「尖ったバリア」を張っていたり、頭を堅くしていたり、涙を堪えたりしている。誰にも弱いところを見せないで、精一杯困難を乗り切ろうとしているのだ。「僕」によるとそれは何やら「大きな道」であるようなのだが、それが何なのかはリスナーの推測に委ねられる。私も特に規定はしない。抽象的なままで行こう。
 だが岐路に立たされているのは「君」だけでなく「僕」もである。「僕」もまた何かの「時間」が迫っているのだ。「嫌な事があった時すぐに顔に出してしまう癖」をどうやら「君」だけでなく「僕」の方も持っているようで、それを直そうと言うが、子供っぽいそれを直すことは即ち大人になることとも同義である。子供時代と言う楽園を後にして、大人が生きる過酷な現実社会へ出ていかねばならないことを、むしろ「僕」の方がよくわかっている。なかなか直せないのは「君」の方である。もしかするとそういう理由もあって彼女は何者にも意地を張っているのかもしれないし、そちらの方がやや滑らかに読める。
 ところで季節は「秋の空」から秋としたが、秋の次に来る季節は冬である。冬。過酷そのものの象徴であろう。草花の気力が衰え全てが沈黙するかのような季節が訪れる予感。聴く者は「僕」と「君」のこの先に不安を抱かざるを得ない。「秋の空は虚しいだけじゃない」と、しかしここでも「僕」は「君」を張りつめた気をほぐすように言う。風景描写に何らかの意味を見出すとするならば、「虚しい秋の空」を「君」は自分自身だと思っているのだろう。自分が虚しい、何もない奴だ、例えばそういう風に思っているのかもしれない。でもそうじゃない、そう「僕」は優しく言ってくれるのだ。「僕」は徹底して「君」に優しい。それも決して甘いと言うわけではない点でその優しさの完成度は高い。


■神様の優しい支配
 突然だが「僕」は非常に理想的な人物であるなと、今回読んでいて思った。自分が辛い時、こんな人物がいてくれたら癒されるだろうなあ、と言う意味でだ。その癒しがひょっとするとaikoの言う「大きな愛」に近いのかもしれない。aikoは「君」の方に「裏切られても信じていられる(許せる)人」を投影しているが、「僕」の方だって裏切りを許してくれる人と言う意味で、その存在と慈しみはかなり大きい。
 許してくれる人、と言うとなんとなく神様のようにさえ思ってしまうのは、さすがに飛躍しているか。だが彼の優しさ、慈しみと、そして「君のスイッチ」のことを考えると、ある種神様のような大きな存在に比せられても不思議でないような気がするのだ。
「君のスイッチ」とは文脈からすると「君の涙を流させるスイッチ」であるが、そのスイッチを押せるのはどうやら「僕」だけらしいのだ。「君」が「僕」の前でも頑ななままを貫くと言うのなら、「僕」はそのスイッチを押すことを辞さないらしい。
 広い意味でスイッチは「君」の感情を司る何かだ。そのスイッチをどうこう出来る権利は「君」ではなく「僕」の方にあるというのは、これは、柔らかく優しく歌われてはいるが、なかなかに怖いことである。程度の軽い「支配」が、真綿で優しい縛られている何かがそこには見える。
 無論それは邪読が過ぎてはいるが、しかし考えてみると支配という言い方が悪いだけで、「僕」はただ優しく「君」を、精神的な意味で抱きしめている、繋いでいる何かなのかもしれない。言い換えれば支配なだけである。そしてそういう優しい束縛は、悪いものでなかったりする。それも一つの癒しであり、救いである。そしてそういうものも、また神様らしいと私は思う。そして「大きな愛」はそれこそ、神の与えたもうものではないか。


■とある少年少女の、秋の夜の休息
 だがあくまで「僕」も「君」も人間である。おそらく「僕」にとっての「君」も、「君」にとっての「僕」も、互いに掛け替えのない存在なのだろう。これも「鏡」と同じように「君」からの返答はないが、もしかすると一見ツンとしている「君」だって「僕」の「大きな道」の為に自分を犠牲にしてもいいと思っているかもしれない。
 いろいろつらつらと述べてきたが、この曲にはそんな、裏切られてもいいとさえ言えるほどの少年と、そんな少年に涙のスイッチを握られている、意地っ張りな少女が描かれている。
「僕」と「君」と言う少年少女が、子供から大人になっていく微妙な年頃のある秋の夜を、実に繊細で優しいタッチで描写した、大きな愛――「癒し」そして付け加えるなら、「泣くことを許してくれる」ものを歌った名曲。それがテレビゲームと言う曲の中にある、私、おきあたまきが見つけた物語なのだろう。

(了)

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■歌詞とは関係ない余談
 以下は全く読解にも何にも関係ない、筆者によるただのしんみりとした余談である。私がただ書き残しておきたいだけだ。
 「かばん」が発売された高校二年生の頃、この歌詞で国語の問題をなんちゃってで作り上げ(無論、雰囲気だけのもので、答えなど用意されていない)嬉々として恩師に見せたことがある。確か「スイッチとは何か」とか、「何字で抜き出せ」とか、なんかそのようなものだったと思う。恩師はaikoが好きと言うわけではなかったが、何かそれを元にして話を弾ませたような記憶がある。私はとにかく恩師によく懐いていた。彼女のおかげで国語や文学が一層好きになり、文学部を志す気持ちが固まった。おそらく生涯の中で一番の恩師は他の誰でもなく彼女だと思う。
 その恩師は去年、生涯を終えるにはあまりにも若い年齢で亡くなられた。私には突然の訃報だった。
「テレビゲーム」についてやろうと思った時に、真先に思い出したのが、先生とのそのやりとりのことだった。
 先生がいなければ、先生の授業を受けてお話をして、文学好きな私に育たなければ、こんな風に歌詞を読んでいる私はきっといなかっただろう。そこそこ読めるものが書けたことを報告したくても、もう先生はいない。信じられないことだが、もういない。あの字で赤を入れてくれる存在は、もうこの世のどこにもいないのだ。
 だから何だと言うものなのだが、少し恩師との思い出のあるこの曲についての考察は、恩師への追悼の意味も少し込めたつもりである。あの時作った問題文の行方は今も知れないままである。