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「この空をくれたのは」―「青い光」考察派生・「運命」との対比



■まえおき
 この稿は「青い光」考察の中に入っていたものだが、若干脱線が過ぎるものとなったので分離したものである。「青い光」考察の「空を意味するもの」と「祈る者――prayer」の間に挟まれていたものなので、その文脈を持っている。
 なので、先に「青い光」考察の方を読むことを推奨します。



「空」について書いてきているが、そもそも「空」は世界全体を包むものとして、空自体が世界を示すものと書かれることもある。先に書いたように「青い光」でも「空」は世界の象徴だ。「君」によって、空はいつもと違うように見えた。「君」がその世界を与えてくれたも同然だ。やっぱり、「君」は神様に近い存在なのだ。
 ここで「青い光」から七年後に発表されたある楽曲を見てみたい。十枚目のアルバム「時のシルエット」(以下時シル)収録の「運命」である。この曲を題材にして一本小説を書いたくらいに好きな曲であるが、「青い光」と比べてみると面白いくらい対照的である。
 まず曲調が激しく違う。「青い光」はバラードだが「運命」はロックナンバーである。爽快感とスピード感のある人気の一曲だが、歌詞的にも「青い光」とは真逆と言えよう。
「青い光」が少年の幼いが尊い恋の始まりを描いたものならば、「運命」は退廃しきった女の絶望して死にゆく恋が描かれたものと言える。あくまで寄り道の段落なので詳しくは検討しないが(いつか改めてやりたい)私が小説『冗談まじりに運命を信じてた』(←ちなみに歌詞だと「信じて「い」た」であることに頒布してから一年後に気付いた。今気付いた。うわ、馬鹿……)で書いた女性のように、「思い切り生きた もう生きた」だなんて、最終的にこの「あたし」はどこかから身でも投げているのではないか? と言うくらいの、いっそ爽快なくらいの投げやり感である。後ろ向きに全力疾走! と言いたい。aikoはよく、明るい曲調で暗い歌詞や不穏な歌詞をぶちかます傾向にある歌手だが、この「運命」もその類と言える。(aikoは歌詞が先なので、暗い歌詞だから曲を明るくしたい、と言うような旨を雲リン発売辺りにインタビューで答えていた覚えがある。ので、別にリスナーへの嫌がらせではないと思う)
 ついでに言うと、曲の位置さえ対照的である。「青い光」がアルバム一曲目なのに対し、「運命」は、aikoの意図かはたまた偶然かわからないが、時シルのちょうど真ん中に位置している。


 そんな真逆だらけの「運命」だが、「青い光」と共通するところが一つある。
 それは、「空」を与えてくれたのが「あなた」と言う点である。「青い光」で「僕」の「空」観を塗り替えた、言い換えれば「くれた」のは「君」である。「運命」でもそうなのだ。まるでようやく答えに行きついたかのように、最後の最後でこう歌われる。「この空をくれたのはあなただったの」と。
 それは疑問符のつくものか、それとも感嘆しているのか、フレーズだけではわからない。ちなみに一番では「ねえ本当にあの時抱きしめてくれたのはあなただったの?」と疑問符がついている。むしろどっちにもとれる。そしてどっちにとっても突き放し感はすさまじい。どこか痛快ですらある。イヤ突き放し感はいいとして、話を戻す。

 私は、確かに正反対の二曲であるが、「運命」も「青い光」と同じだと考えている。その恋が良い結果に終わらなかったとしても、実を結ばなかったとしても、真実のものでなかったとしても、遊びに過ぎなかったとしても、「運命」の「あたし」に「空」=世界を与えてくれたのは「青い光」の「君」と同じく、確かに恋をした「あなた」だったのだから。
「この空をくれたのはあなただったの」と言うフレーズが、「青い光」の最後を締めるフレーズとどこか似通う気はしてこないだろうか。「それは手を振る君の様で 突き抜ける程晴れた日」に。

 そういえば「運命」には「青い光」が収録されているアルバム名も、歌詞中に出てくる。「ガラス窓 ぶつかった光が増えて作る夢道」と。
 夢道――aiko公式の略称である。aikoの造語にも近いそれを、わざわざ出してくる意味があるとしたら?

「運命」の「あたし」は思ったのかもしれない。夢道の「青い光」の「君」と「僕」に導かれてしまいたいと。「あたしの心も連れてってくれないかな」は、あり得たかもしれない「あなた」と「あたし」の究極の理想形――「君」と「僕」に投げかけられているのかもしれない。
 ……と、妄想を書いて〆ることにする。

(了)

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