あなたが見ていた違う月 -aiko「17の月」読解と解釈-



■はじめに・「彼女」というアルバム
「彼女」はaiko六枚目のアルバムとして二〇〇六年八月二十三日に発売された。晩夏の発売ではあるが、七月に発売された夏らしいアップナンバー「雲は白リンゴは赤」に続く新譜であり、「夏に出たことを思い出すきっかけにしてもらいたい」「今年の夏を鮮明に覚えていてもらいたい」と言うaikoの意向により「キラキラ」のカップリングである「ある日のひまわり」も収録、aiko自身が出演したCMもひまわり畑での撮影、またゲリラライブ・LOVE LIKE ALOHA 2の開催もあったことでひときわ夏のイメージの強いアルバムである。夏が好きなaikoにとってもお気に入りなのではと思わせる一枚だ。全十四曲と現時点でもaikoのオリジナルアルバムでは最多曲数であり、「シャッター」「気付かれないように」そして「瞳」はベストアルバム「まとめ」にも収録されている。私の一番好きな曲「スター」もこのアルバム収録のシングルであり、それ以外にもバラエティーに富む曲が連なる作品なので、aiko初心者からコアなファンにまで満足してもらえると自信を持っておすすめ出来る一枚だ。
 なお「彼女」はaikoが三十代を迎えて初めてリリースされた作品でもあった。二十代から三十代、そんなにすぐ作品の雰囲気、および作風が変わるでもないだろうが、撰者たるaikoにはやはり年齢を重ねたことにより、ある種の変化があったようだ。発売時のインタビューでは以下のようなことを語っている。

(歌詞に描かれる恋愛観も大人になってきているような印象を受けた、という言葉に対し)
「いや~、やっぱり年齢とともに、人として昔は許せなかったことが許せるようにもなっていくことに自分でびっくりしてて(笑)(中略)私よりも痛い思いをして考え込んでいる瞬間がその人にもあることを知ったのは、歳を重ねないと分からなかったこと。いろいろあったな~なんて、過去の恋愛を改めて振り返ることが出来るようになりましたしね」(TOWER二一七号より)

「年齢を重ねてこれたからいろんな恋の歌が書けるようになってきた。特に恋の終わりやったり…(後略)」
「(過去の恋を)忘れられないし、覚えてるし、いけずやったんも自分の心の中では優しく残ってる。でもね、そうやってちゃんと振り返られるようになったんも年齢を重ねてからかな。十代のころは書けへんかったもん(笑)。(略)そのころと比べるといろいろなものを見てきたし感じてきたし、出会ってきたから、あの時とは感じ方も見え方も違う自分がいる。あの頃の自分も好きやけど、今の自分も好きやなぁって思うんですよ」(切り抜きにて所持のため、雑誌名不明)

 そしてアルバムタイトル「彼女」についてはこんなことを語っている。
「私って自分のことが自分で理解しきれてないんだなっていうこと。(略)楽曲の中では“こんなにも強く好きな人を思えている私”もいれば、反対に“辛い恋を諦めてしまおうとしている私”もいる。“年齢を重ねたからこそ、許せる自分”もいたり。(略)いろんな感情を持った女のコが自分の中にもちゃんといたんだなって。そんな自分をちょっと離れて客観的に見ることで“彼女”っていう言葉が浮かんだんです」(「彼女」発売時のオリコンスタイルより)

「いろんな“彼女”がね、私の中にもいるんですよね。歌う私はいっこやけど、そこに行くまでの過程の自分はホントにいろいろいる」(先述した雑誌名不明のインタビューより)

「もちろん、全部が私だし、自分の中から出てきたことに変わりはなくて。でも、歌い方も、息の仕方も、言葉遣いも、全て違うんですよね。(略)aikoっていうより、彼女だなっていうくらい、いろんな女の子がここにはいるなと思ってつけたんです」
(TOWER二一七号より)

 歌詞研究をする側としては、作者側のaikoがアルバムにまとめる際にこういう認識に至ったということは、より歌詞における物語性が高まったと感じている。少なくとも、aikoの内から出てきたものではあるが、かといってaikoとガチガチに密接する私小説性があるわけではなく、少し切り離された、「あたし」という女子個人――それこそアルバムタイトルが示す、無数の「彼女」達の物語としてaiko自身、客観的に読めるようになった、そういう認識がうまれた、ということは見過ごせないものがある。
 また、これはあくまで筆者自身の個人的な事情だが、この「彼女」は私が大学生になって初めてのaikoのアルバムであった。高校生というまだまだ子供の身分から大学生――少し大人の仲間入りを果たした私自身の意識の変化もあり、「彼女」という作品は、三十代になったaikoの中でも、大学生になった私の中でも、どこか新しいターム――時代に入った趣も感じられるアルバムであった。なので、私の中では他のアルバムとは違って少し特別な意味を持つ一枚でもある。

■「17の月」概要
 今回取り上げる「17の月」はその「彼女」の大体真ん中付近に位置する曲である。アルバム内の位置もあるが、ゆったりとしていてどこかアンニュイな雰囲気の曲調は、過去の「夢のダンス」、後の「ハルとアキ」「リズム」「距離」といった曲群を感じさせる。私がよく言うところの「アルバム中堅曲」の系譜にある曲だが、音楽面については専門外なのでこの程度にしておこう。さて歌詞的には、「17の月」とは一体どのような曲なのだろうか。
 私が所有する「彼女」発売当時の雑誌の切り抜きに、「彼女」一曲一曲にaikoが曲のキーワードを中心に一言添えているライナーノーツがある。「17の月」で、aikoはこのように書いている。

「“17”って数字って、10より多いけど、20には足りない。でも多いジャンルに入ってくる数。だけど多すぎないぞって数だと思いませんか?」

 ……まるで謎掛けのような一言である。どこがライナーノーツやねんと思わず暴言が口をついて出そうである(わりといつものこと)。正直「はあ」とも「だから?」とも言いたくなるが、私の乏しい資料で「17の月」に言及しているものは少なく、これを手がかりの一つとして読み解いていかねばならない。が、歌詞そのものにまだ向き合ってはいないので、勝手にアレコレ先走りせず、ゆっくり読解していこうと思う。
 その前に、この「17の月」一言ライナーノーツの前にaikoはこう書いている。
「前回のツアーパンフのおまけの下敷きに、実はこの詞のフレーズが既に書いてあるの。なので、あれ?どっかで見たことある!?って人もいるかも」
 そう。LOVE LIKE ROCK 3のライブパンフレット付録の下敷き裏面のことである。LLR3自体には受験生であり、また高校生の財力では遠征も出来ない都合上参加することは出来なかったが(故に、私が一番愛している「スター」のフルサイズを生で聴くまでにおよそ九年三ヶ月もの歳月を要しなければならなかった。ああ、せめて大学生であったなら……)パンフレットは幸い通販で入手出来た。表面は赤が基調でありaikoとゴールデンレトリバーの写真が非常に可愛らしく、現在でもバリバリに愛用しているが、裏面のワンフレーズは入手した当時から素敵だなと一途に惹かれていた。(画像参照)
「あなたはあたしより/うんと背が高いから/この道もきっと見晴らしが/いいのだろう」――多少字数は多いが、まるで超一品の短歌を贈られたようではないか。それから数ヶ月後、「17の月」Cメロで耳に届いた時はそうだったのか! この曲が! といたく感動したものである。「彼女」オリジナル曲で一番先にリスナーに届けられたものは花王ハミングのCF曲としてオンエアされ、LOVE LIKE POP 9の追加公演で先行歌唱されたaiko屈指の名曲である「瞳」であるが、このワンフレーズだけではあるものの、「17の月」も「瞳」に次いでaikoファンに既に届けられていたことは、どちらかといえばaiko曲人気ではマイナーな部類に入る(と思う)「17の月」とは思えない意外な側面である。


(「17の月」初出となる、LLR3ライブパンフおまけの下敷き裏面。著者所有のものをスキャンしたため汚いもので失礼)


■読解・一番
 少々寄り道が長くなったが、「17の月」歌詞本編に移ろう。こんな歌詞研究なんぞやってるから、さぞかし普段から歌詞に鋭敏な感覚を持って聴いているんだろうと思ったら案外そうでもなく、歌詞研究で改めて歌詞を俯瞰してみて初めて見えてきたり、隠された物語の筋道を辿れたりするものである。それまでの曲はわりとフワッとした印象しかなく、その「フワッ」を限りなく固体にしていくのが年二回私のやっていることである。
 と能書きが長くなった。要は「17の月」も考察に取りかかるまであくまでフワッとした印象しかなく、別れの曲であるのか、それとも恋路は上手くいってるのかどうかも定かにはしていなかった。ずぼらなaikoファンですいません。しかし、この曲はどうも別れの曲であることが伺える。それものっけから。
 オリスタのインタビュアも「振られた彼に対して<心変わりを許したわけじゃない>ってね」と引用しているが、振られた――どうやらこれは恋が終わったところからスタートしているらしい。確かに、歌いだしの「心変わりを許した訳じゃない」の「心変わり」とはおそらくは「あなた」の浮気か何かのことだろう。次のフレーズの「傷付いたまま癒す事もない」にしても、破局か、破局に至るまでの過程で「あたし」が傷ついたことを表しているのは明らかだ。
 では「あたし」は今どういう心持ちでいるのか。前期に発表した「あたしたちの勝利条件」でそれぞれ読解に当たった「赤いランプ」「飛行機」「愛のしぐさ」「あたしの向こう」で言えば「呆然」とした心境を表していた「飛行機」の「あたし」に近いのかも知れないが、どうも「17の月」の「あたし」は「飛行機」で言う「何がどうしたの?」という段階にすら至っていない、あるいは、もうとうの昔に通り越しているようにも読める。そもそも彼女はこう言っている。「お願い今日はこのまま寝かせて」
 恋愛自体はもう終幕を迎えている。しかし傷付いた、「心変わり」から察するに「捨てられた」側の「あたし」はしかし、相手を恨むでも憎むでも責任を追及するでもなく、かといって自分のどこが悪かったのかと悔やむでも、破局に嘆くでもない。眠りにつく以外、何かしらの行動に至れていないのだ。もうずばり一言で言ってしまえば、彼女は疲れている。「もうあたしに力が残ってない」の通りである。ゆったりとした曲調も傷ついて疲弊しきった「あたし」を和ませ、癒しているかのようではないか。だから彼女は「お願い今日はこのまま寝かせて」と、曲の始めから早々に退場するのである。これでは、歯に衣着せず言ってしまえば「出オチ」もいいところではないだろうか。何せざっと歌詞を追ってみればわかるのだが、一番Aメロの時点からこの曲の時間はそれ以上前にはどうやら進んでいないようなのだ。主人公の「あたし」が寝ちゃったもんだからしょうがない。進みようがないと言うやつだ。
 いやしかし、だからといってそんな終わった恋から意識を完全に背けた状態の一番Aメロで曲が終わってしまうと、それこそaikoが言っていた「昔」と同じになってしまう。「昔」とは――少しオリスタを引用しよう。
「昔は目を背けてきたものを、今はもう一度見つめ直そうとしている自分がいる。恋愛でも何でもそうだけど、今までは過ぎてしまった痛みや後悔はできるだけ忘れる努力をしたんです」
 即ち、何も考えず、それ以上何も思わずに、その恋に対して封をしてしまうだけで終わる形、忘れてしまう形そのものになってしまう。それでは、aikoが年齢を重ねたからこそ作り出せた楽曲の集う「彼女」、その中堅曲だとは全く言えないのではないだろうか。
 確かに一番Aメロで現在の、肉体を持つ現実世界の「あたし」は早々と退場する。続く一番Bメロ以降は、その「あたし」の精神のみで、いわば“回想”“追憶”“内省”と言う形で、モノローグを綴るようにその終わってしまった恋を見つめ直す――向き合っていくのだ。おそらく。「このまま寝かせて」と言う歌詞に従うのなら、もしかすると一番Bメロ以降は彼女が見ている夢そのものなのかも知れない。
 Bメロは「あなたの丸い爪に射して跳ね返すオレンジの色」とワンフレーズ。爪を見る辺りいかにもaikoだと思う。この部分、ソースがないので定かではなく、もしかすると私の作り話に過ぎないかも知れないので流してもらいたいのだが、「あなた」とドライブに出ていて、オレンジの夕日が射し、彼の爪が煌めいた、そんな一時の情景を描いているのかも知れない。確かaikoがラジオか何かで、ドライブ中がうんたらかんたらと言っていたような記憶がもんやりとあるのだが、何せ彼女発売はもう十年近く前のことなので、どうもはっきりしない。百パー私の作り話か妄想のような気もする。もしかすると同じ「月」のつく松任谷由実の名曲「14番目の月」とごっちゃになっているのかも知れない(14番目の月はドライブデート中の男女も歌っているので)また「オレンジ」というと同じ「月」がタイトルに入っている「オレンジな満月」も読者の諸兄らは想起するだろうが、ここでは触れる程度にしておこう。ただ、サビに「帰りたくなかった」と続くことからこのオレンジ、やはりおそらくは夕日のことなのだろうとは思う(まートンネルの中の光ということも考えられなくもないが)
 一番サビを見てみる。「迷ってしまえ」で思い出すのは「恋のスーパーボール」の大サビ前「出口は塞いでしまおう/二人で迷いたいの/今夜をあげる」だが、「恋路に迷う」ことと単純にその分長くいられることが掛けてあるのだろう。「長い道路の白い線」は多分ガードレールや道路に引かれた分離線などのラインを指しているのだろうが、そうなると多分前述通りに二人はドライブ中か何かがやはり妥当と思われる。「消えるまで止まらないでと」と言う表現でサビは閉じられるが、二人のドライブ中でこの恋が終わらないように、相手へのときめき、あるいは相手のときめきがなくならないように、と願っているのだろうか。「止まらないで」が何を指しているのかいまいちわからないので、結局は推量になってしまうのが歯がゆい。

■読解・二番
 続いて二番に移る。突然だが、回想なのだから当たり前なのかも知れない&所詮読んでいる私の印象でしかないから書いてみても大した意味はないのだが、一番に比べると二番の「あたし」は少し雰囲気が違うように感じる。若干若返っているというか、もっと突っ込んで書いてしまうといい意味で無邪気、悪い意味で子供っぽく感じてしまうのだ。
 一番が控えめな描写に留まったのに対し、二番はより、恋愛真っ最中だった頃の「あたし」が引き出されている。相変わらずと言うか何と言うか、「あなた」側の情報は少なく、「あたし」がひたすら想いを寄せていたことが伝わってくるので実に切ないのだが、「逢えば逢うほど恋は募るもの あたしおかしくなってしまったの」はあたしだけが一方的に好きを募らせていく様子がどこか切ないと言うよりも痛々しい。何せ「おかしくなってしまったの」と評価するくらいなのだし。しかし一番Aメロで疲れ果ててぐったりしている「あたし」と同一人物とは思えないくらい、恋にはしゃいでしまう少女らしくはないだろうか。続く「我慢できない」などというのも、子供らしいというか、若干分別がないようにも読める。ともかく二番前半を一番と比べると、驚くべき格差があるように個人的には思うのだ。
「二度と言わないと決めた事なのに 我慢できないあたしを許して/言葉にすると軽くなりそうだけど何度も言うわ 「好きよ」」とBメロ含め一気に抜き出したが、いやいや「軽くなりそう」どころか、むしろ「重い」のではと思わず突っ込みを入れたくなる。無邪気な「あたし」が一方的に好きになり過ぎて相手を困らせてしまった。それゆえに「あなた」の方も「心変わり」をしてしまったのでは……と勘ぐりたくもなる。
 続くサビもまたどこか哀愁を誘う。「あなたの傍で 声出して髪を結び手を繋ぐ」ことを「いつも夢見ていた」のなら、それは即ち叶わなかったことが察せられてしまうのだから。もしこの「いつも夢見ていた」が、結句の「同じルールの白い線の上向かい合ってキスを」にも掛かっているのならなお切ない。同じルールの白い線――たぶん、考え方や意識を同一にしている(と読むよりほかにない……)二人としてキスをしたかったのだが、どうやらそこまでは行かなかったようだ。
 そして続くCメロは下敷きの裏面に書かれたあのフレーズだ。「あなたはあたしよりうんと背が高いからこの道もきっと見晴らしがいいのだろう」――改行もスペーズもなく、一文で綴られる。aiko百人一首には是非セレクトしたいフレーズだが、どこか既に「あなた」から離れてしまっている、少しの精神的な距離を感じさせる風に読めるのがなんとも哀しい。そもそも下敷き裏面のイラストが既にそうである。三日月と星が浮かぶ下の道路で、女の子が背を向けて月を見上げている。aikoのイラストが持つ独特の暖かさはあるものの、実に寂しい情景である。
 このフレーズについてはまた後で詳しく考察するとして、大サビは一番サビのリフレインと、「消えるまで止まらないでと...」のフレーズをリフレインさせることで終わる。結末の「消えるまで止まらないでと..」はどこか夢がうっすらと消えていくように感じさせ、「あたし」は目を覚ますのか、それともより深い眠りの海へ沈んでいくのか……リスナーに切なさともの悲しさを残して、この曲は終わる。

■読解から解釈へ
 以上、歌詞に従って一通り読解を披露してみたわけだが、書いてみてなんだが正直これ、と言う手応えを感じない。あまりに当たり障りない回想でしかない、単純な読みにしかならない、と自分の力不足を痛感するのであった。もっと「17の月」には奥深い何かがあるはずなのに、とは感じているのだ。その鉱脈を見つける為には、勘ぐりだろうが何だろうが、とにかく何とか解釈出来ないだろうかと思考するよりない。なのでここからは解釈に移ろうと思う。

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