aikoのインタビュー参照してみよう。
「作品にピッタリ合わせて作るわけじゃないけど、いつも自然により添える曲にったらいいな」
(花男の挿入歌であることに関して)
「ふっとこのフレーズ(友達なんて〜…)が出てきたんですよね」
「いつでもすぐ戻れる学生時代の自分と、今の自分を掛け合わせて作った曲」
「出会った頃の嬉しさも、恋の切なさも覚えているし、その記憶を大事にしたいって歌っていますよね」というインタビュアさんの質問に「はい」
(「まだ知らない〜」あたりに関して)「わかりたいけど、永遠にわかりあえないから好きなのかもしれないし、
もうわからなくてもいいと思ったら好きじゃないのかな」
*
「この曲やったらつくしちゃんの気持ちに重なるところがあるかもしれないなぁって思ったんですよね」
「ずっと年を重ねてきた今も私は切なくあなたを思っていますっていう気持ちを歌っています」←最重要か?
「時間が経つことによって宝物になっている」
「今年もまたそういう瞬間を好きな人と一緒に過ごせたらいいなぁっていう気持ちが届けられたらいいな」
(以上オリコンより)
「ずっと時を重ねてきた事でいろんな事をしってもらえた“あたし”が、今も一緒にいられる“あなた”を切なく思うという気持ちの歌」←重要では?
「ちょっと後ろ向きがちなところはきっとトラウマ」
欄外で「好きな人にしかしないという意味が込められた『KissHug』」(aiko直接の言葉ではない)
ライターさんいわく「胸をぎゅっと締め付けられる“切ない”という、淡くて温かい心象風景」→を描いた曲がKissHugということ?
(以上ぴあより)
「時を重ねたからこそ生まれる想いや絆、そして“凛と立つ”イメージ。あなたがいるから、立っていられる」
「凛と立つイメージがつくしちゃんに重なったんです。自分でもこの曲を歌いたいと思ったし、映画の中でも、つくしちゃんの背中を押してあげられるかもしれないなって」
「KissとHugはニコイチです」
(以上PSより)
「ずっと年を重ねた一緒に居られた今も切なくあなたを想う、という気持ちの歌」
「好きと何回重ねても、出逢った頃と同じで不安な気持ちは無くならない。でも時間というものがいろんなものを埋めてくれることもあるし、何よりも自分の想いが強くなったことで超えられるものもある、そういう歌」
「いろんなものが違っている二人だけど、見つめ合っている瞬間や一緒に歩いている時は一つのかたまりになれている」
タイトルに関して「すごく一つになっている感じがする」
「過去を振り返りつつ、今に戻ってきてやっぱり愛おしく思っているみたいな感じ」
(以上エキサイトミュージックより)
*
とりあえず、ざっと彼女の意見を眺めてみると、「星のない世界」の時のように「好き」=「切ない」ということを、出しているのかな、という感じである。
私の主張を支えてくれるワードである「今」が、結構出てきているという手ごたえも確かに感じる。
だから、
(バラードだからといって)KissHug=別れの曲と決めつけるのは、早計では、ないか!
と、ともかく私はそれを一番に言いたいのだ。
……ただ私は、恋愛の曲は何でもかんでも現在進行形であるべき論者でも、現在形至上主義者でもない。
別れの曲・始まりの曲・遠い失恋を思い出す曲はあって当然、言わずもがなである。それはもう、万葉集の時代から続いている文学の、絶対に崩れない基盤の一つである。
今回はどちらかと言うと、ウィキペディアの編集に対する文句でやり始めた感じが強い。
レポートや調べ物でウィキペディアを使うなや、失望される感じ、つまり教授側の気持ちが初めてわかった気がするのである。これは思わぬ収穫だった。
そして私がだらだら述べたような感じで、解釈なんて本当に人それぞれである。たまたま私がこういうコーナーを設けているからただ偉そうに述べているだけなのである。
その解釈や自分の考えっていうのは、実は意外にもろい。あの子がそういうならじゃあ私その意見で行くとか、この論文がもっともらしいこと言ってるし変えるかとか…そうやって貴重な意見が消されていくように思う。特に大学入って、専門分野に進んで、自分で発表とかするようになったりするとよく思うようになった。他の人はどうか知らないが…
全然「異議あり!」と仰って構わない。今回のはあくまでも覚書の段階である。意見などはweb拍手やブログなどにお寄せいただきたい。
以下、とりこぼし。
曲が最も盛り上がる場面、サビで
「夏髪が頬を切る」
「光に手をかざして 隙間から見えた通り雨カゲロウ」
「あなたの影」
などあるが、これは風景描写だろう。「あたしの言葉」「あたしは想う」は抜くとして。
この描写によってaikoの言う「切ない」っていう感情が非常によく表されていると思う。「暑い帰り道」とかも。言ってみれば「夏」の描写である(それにしても彼女はよく「夏」を描く。これも何か面白い研究材料になりそうだ)
実際、aikoにとって、いや曲の「あたし」にとって、この「KissHug」は別れただの付き合ってるだの関係なく、
ただ「恋愛の切なさ」を描写した曲、「切ない」感じを出した曲……夏目漱石の「草枕」がただ「美しい感じが出ればいい小説」と彼自身が言ったようなのと似ていて、“意味や解釈を超越したところにある曲”でもあるのかな、と思ったし、そっちの方が芸術として洗練されている気が、しないでもない。
ぴあのライターさんも「胸をぎゅっと締め付けられる“切ない”という、淡くて温かい心象風景」って言っていることですしね。