上向き曲の路線――「カブトムシ」から「ロージー」




 一曲一曲真摯な態度でと書いたが、さすがに時間がないのと、
 メインは個別の解釈ではなく具体的な変化を辿ることなので、
 ここからは簡略化して出来るだけ述べていきたい。



「カブトムシ」はaikoの代表曲としておそらく最も有名な曲であろう。
 その題名とメロディアスなバラードのギャップが当時多くのリスナーを惹きつけたのだと思う。
 05年、06年と二年連続で、aikoはオリコン企画「二万人が選ぶアーティスト」第一位の座を獲得したが、
 その際の曲の人気投票で当然のように一位を取ったのがこの「カブトムシ」である。

 さて、それほどまで愛されている「カブトムシ」、あんまり好きではないという個人的な事情はわきに置くとして、歌詞は恋人との別れを示唆しているのか、それともそうでないのか。
 バラードという曲調の為前者ととられそうだが、ここはどちらかというと後者であろう。

 曲の中で「あなた」と「あたし」は既に恋人同士の関係であり、「そう 今が何より大切で…」と
「あなた」と離れたくはない。「強い悲しいこと全部 心に残ってしまうとしたら/それもあなたと過ごしたしるし そう 幸せに思えるだろう」とやがて来る別れとそれに伴う痛みさえも「あなた」を思い出す形見になると信じている。

 そもそも恋人同士であるという前提からして既に「ナキ・ムシ」「花火」とは違うのだ。
 それでは、続く「桜の時」ではどうだろう。

 こちらも最初から恋人同士だ。「桜の時」――「春」という季節に相応しい、初々しい二人のこれからをどこか祝福した歌詞となっている。過去の過ちや想いを伝えられないもどかしさ、しかしそれでも「あなた」と肩を並べて歩くという幸せがあり、「どんな困難だってたいした事ナイって言えるように」とその幸せをかけて願うのだ。まるで恋愛小説のハッピーエンドを迎えているような気分にさせられる。

「桜の木の下」のミリオンにより、より多くの人に知られるようになった次の曲は紅白初出場曲と、これまたaikoの知名度を上げた記念すべき「ボーイフレンド」であるが、こちらも系統としては「桜の時」とセットとして考えても差し支えないほどハッピーラブラブラブラブラブソングの道を進んでいる。唯一陰が入り込む部分は「哀れな昨日」しか見当たらない。

 次なる「初恋」は続けていた「恋人同士」の前提がなく、曲・歌詞の雰囲気から「ナキ・ムシ」と同系列になるのだろうが、「ナキ・ムシ」ほど弱い自分を吐露してはおらず、初めての恋にひたむきにひっそりと、しかししっかり想い続ける可憐な少女の姿が浮かび上がってくる。

 次なる「ロージー」はインディーズ曲であるが、数あるインディーズ曲から「ロージー」を選んだことが味噌である。この曲も「恋人同士」が前提、それも「運命にはさからえないね/きっとどう転んだって きっとどうあがいたって」という強い絆で結ばれた二人だ。
「この青い空が黒くなったなら/あたしを連れ出して そして早く逃げよう/だって二人は恋人だもの」と、状況が悪くなれば世界さえも捨ててどこまでも二人で行こうという「あたし」は、正直強い存在でありすぎるきらいさえある。(「あした」の二人は、世界を敵に回してもとは言ったが、社会的なものを望まなかったわけではない解釈を私は既に述べた)



 さて「カブトムシ」から「ロージー」まで駆け足で辿ってみたが、考えてみるとこの曲群に暗い暗い別れの曲は、カップリング曲はともかくとして、存在しない。
 バラードの皮を被った「カブトムシ」がおとりのようにその役を買っているようにも見えなくもない。
 ここで穿った見方をあえてしてみるが、aikoが「売れる」アーティストとして確固たる存在になるため、暗いイメージを与える下がり調の曲はあえて表に出さなかったことは考えられないだろうか。
 結果として「桜の木の下」はミリオンを記録し、オールナイトニッポンのレギュラーを獲得し、紅白歌合戦にも出場し、「夏服」は勿論オリコン一位をとった。aikoは誰がどう見ても「売れている」アーティストとなった。

 ――しかし私達が肝に留めなければいけないのは、本当のaikoは、「september」で歌われているように
「いつも元気だなんて決して思ったりしないでね」という弱い存在でもあったということだ。
 「ナキ・ムシ」で言えば「泣き虫」で「花火」で言えば「つかれてるんならやめれば?」と自分に囁ける女子だった。
 一見幸せそうに書かれている「ボーイフレンド」や「桜の時」の歌詞は、
 ひょっとしたら「花火」や「ナキ・ムシ」の歌詞の悲愴性をより際立たせるものなのかもしれない。




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