二・中期作品
声帯結節とその後のシングル――「おやすみなさい」「あなたと握手」「今度までには」
古株のaikoファンにとっては、aikoが声帯結節急性咽喉気管支炎と診断され、Love Like Pop vol.6のスケジュールを一部延期したことは、忘れられない忌まわしい事件であろう。
ちなみにこの時期私は彼女のファンになったのだが、
ライブがなく、aikoメールも、aikoダイアリーもなく、ヌルコムですらaikoがいない――
その頃に味わった喪失感は、おそらくファンだけではなくaikoにとっても相当重く苦しいものだっただろう。
その当時の雑誌がここに残っていないので私の記憶によるものだが、ずっと醤油瓶を眺めて過ごした一日もあったという。
どうしても個人的な見方になるのだが、この出来事以降、彼女は歌を歌うということ、ファンに歌を届けるということに対してとても真剣になったような気がするのだ。
デビューしてまだ三年しか経っていない。あれよあれよという間に売れるアーティストになってしまい、aikoはただ、そのことについていくことに精一杯であったのではないだろうか。
「花火」のライナーノーツで書かれているような殺人的キャンペーン、何度も録り直した「カブトムシ」等……レギュラー以外の仕事をなくした2000年6月は創作活動ではなく運転免許取得にのり出したという(ちなみにストレスでちょっと神経性胃炎になったという)
(09年9月追記:休みをもらっても曲を作る、というスタンスであるはずの現在のaikoとはだいぶ離れているような)
この突然の悲しい休業期間は、aikoにとってある意味、自分を見直し、曲を創るということ、「歌う」ということを真剣に考える尊い時間になったのかもしれない。……そんなことを、LLP6金沢公演で彼女は言っていた(確か)
「おやすみなさい」は今までの路線をくるりとひるがえして、別離の曲である。
aikobonライナーノーツによると大人っぽくなったね、と言われたらしい。
確かに「カブトムシ」もバラードだったが、「おやすみなさい」は大人らしい落ち着きを見せる曲だ。
曲に対してはここまでとして、歌詞は先述したとおり、「最後のおやすみ」という言葉もあるように別れの曲だ。上向き路線の流れを断ち切ってタイプの違う別れの曲を出したのは、他のアーティストだと別に取り立てて騒ぐことではないだろうが、aikoを考えると別の意味を付加してみたくもなる。
路線を変更し向かう先は、売れる売れないという商業的な問題は関係ない、歌うことを奪われたあの時間で思考し、涙し、求めた、歌を歌う「アーティスト」としての自分を打ち立てていく、aikoという世界だった。
それを示すのが、今までと曲調を変えた「おやすみなさい」と言えるのではないだろうか。
「あなたと握手」はaikoというアーティストに必要な、大切な誰か――「あなた」という存在との繋がりを主題としている。
「言葉足りない事があったら あなたが歯痒い思いしないように/「どうして?」「なんで?」といつでも何処でも/あたしが聞き返せばいい」というフレーズがそのことを強く表している。
「今度までには」は、これもまた「おやすみなさい」のように今までと路線を違えて出された曲だ。特に歌詞はその時点でのラインナップで考えるとシングル曲と思えないほど暗いイメージの歌詞である。
曲自体は19・20の頃の「愛の花」という曲が原作で、当時事務所の社長に「暗いね」と言われトラウマになったことがaikobonに書かれている。
「こういうテイストの曲をどうしても書きたくて」という言葉が、aikoというアーティストの欲求を端的に表しているだろう。
「それは愛情じゃなく、ただの甘えと無理だった」という、aikoの言葉。
純度百だと思っていた「愛情」にまるで裏切られたかのような錯覚――今までシングルで歌ってきたものとは違い、複雑で様々な思惑が巡り、良いことばかりではない恋愛の真相を暴いた曲とも言えるだろう。
この曲はどちらかというとアルバム向けの曲と言えるのだが、あえてシングルとして持ってくるところに、aikoという歌手はこのような曲も歌え、創り、そういうことを「思う」人物なのだ――と人に思わせる。
「秋そばにいるよ」時代の三曲は、私個人の結論としては転換期――ただ歌手として売れて、だらだら生活をするような人生ではなく、aikoに無くてはならない魂の投影である曲を、
大切なファンのもと届ける、歌う――
そういったアーティストとなることを意識した曲達ではないだろうか。