■落ちていくのはいやだから
 以上、雲は白リンゴは赤を読んでみた。発表された頃から思っていたことだが確かに歌詞は暗めで救いようがない。これがマイナースケールの曲だったら雲リンはそれほど愛されてはいなかったかも知れない。明るい曲調だったからライブでも演奏されやすいのだし、まさにaikoが思う夏を体現したかのような曲であると改めて思う。
「日差しも強くて周りも華やいでる夏って、いちばん楽しい季節だからよけいに痛さもマックスですよ(笑)。だからこそ、この季節にしか感じられないことを書きたかったんです」と発売当時のインタビューでaikoは話している。歌詞の面ではそういう狙いがありながらも曲調を明るくしたことに、オリコンスタイルでは「何でこの詞にこの曲がついたのか、いい意味で、全然考えてないから」と話しながらも「ただ、自分の中でいっこわかるのは、悲しい詞を書いた時に落ち込むのはイヤなんです。だから、アップテンポな曲をつけるのかも。聴いた人にせつなさを味わってもらいつつも落ちたままではなく、最後にはアガッて欲しいし、自分もアガりたいから」と分析していた。
 その後のインタビューでも「落ちちゃうのはイヤやから、気持ちはどっか前向きにしたくて、スコーンと抜けたアップテンポにしてみました」(隔週aikoより)「切ない歌詞にはなっているけれども、自分は前をやっぱり向きたいし、ホントに元気になりたいっていうのがあったからこそ、こういうアレンジになったんやろうなって思う」と明るい曲になった理由をそれぞれ述べているが、この理由こそまさにaikoが老若男女の隔てなく支持される由縁なのだろうなと調べていて改めて感じた。そして私が今まで歌詞を研究していく中で段々見えてきたaikoという作家、aikoという人の像とも、そう離れていないように見える。


■終わりに -aikoという人と夏-
 aikoは「最高と最悪をいちばんリアルに感じられる季節」と夏を評していたけれど、aikoという人は、最高と思うものの裏側の闇と言うか、それこそ雲リン発売時の隔週aikoで「お祭りにしたって、夜10時くらいになると、帰らなきゃいけないモードになるじゃないですか。露店のお兄さんも、さっきまでニコニコ笑ってたのに急に大人の顔になったりして。海だって夕方の4時か5時になると、パラソルがいっせいになくなるでしょ」と話しているように最悪の面や最低の面、あるいは楽しいものごとの終わり――それはaikoで例えるとなるとやっぱりライブの終焉が一番典型的なのだけど――をどうしても感じ取ってしまう、感じ取らざるを得ない人で、それをそっと歌詞に忍ばせたり、メインテーマとして歌詞を綴ったりする辺り、まごうことなくaikoというアーティストだなとつくづく思う。言ってみればむちゃくちゃめんどくさくて重い人なのだが、でもそういうところがやっぱり好きである。
 そういう人が夏にデビューし、夏に「花火」という曲で全国の、私も含めた多くの人に知られることになったのはあくまで偶然でしかないのだけれど、その「夏」という季節がaikoにとって契機の季節になったのは、実はaikoと言う人、aikoという作家にとってはなかなかに象徴的なことなのではないか、と私は思う。
 動と静、光と闇、最高と最悪が両立する夏は、本人の見た目の明るさと反して時に暗く時に重く、究極に切ない歌詞世界を二十年近く紡いでこれているaikoそのものなのではないかと思う。まあaiko本人は秋生まれなのだけど、その類似性が無意識下で共鳴を起し、aikoの曲に夏が多い傾向を示しているのかも知れない。
 けれども、最高なものの裏側の闇や、楽しいことが終わること、なくなってしまうこと、いつか失われる時をどうしても感じ取ってしまう感性があるということは、逆にものすごくネガティブになって落ち込んだ時に、その状況で希望を見出そうとする力や、少しでも上を向けるようにする力があるということだと思う。
 実際aikoにはその力が、ひょっとすると常人の万倍は備わっているのではないか。aikoという作家、aikoという人がそういう人であることを、aikoのライブに初めて触れてからのこの16年、そして歌詞研究を続ける中で私は理解してきたつもりだし、「雲は白リンゴは赤」やその前身とも言えるような「あなたの唄」が明るい曲であることも、つまりはそういうaikoの一面が表れた結果なのかも知れない。
 いや、知れないのではなくそうなのだ。そうだから皆、aikoのことが好きなのだ。この過酷な芸能界で、流行の移り変わり激しい現代で十九周年を迎えられたのも、周りの力も勿論だけれどaiko自身がそういう強い人――それこそ、夏の日差しの強さにも負けない人だったからだ。
 夏は何度もやってくる。aikoがその足を止めない限り、彼女の命が続く限り、私は何度もやってくる夏に彼女の記念すべき日を祝えるのだ。それは今年もやってきた。それも彼女が一番に美しい姿を見せるライブツアー真っ最中ときたものだ(去年もだったけど)(一昨年もだったけど)(aikoいつもツアーしてんな)
 これからも描き出されるであろうaikoの夏の曲達はどんな表情を見せるのだろうか。「雲は白リンゴは赤」を塗り変えるような夏の曲もいつかは登場するかも知れない。そんな日を楽しみに待ちながら、今年はこの辺で筆を置くこととする。

(了)

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