aikoとてれふぉん -aikoにおける電話の研究-



■はじめに
 電話というコミュニケーションツールが世界に登場して百五十年近くが経とうとしている。日本での電話の歴史も紐解くと実際それと同じくらいの長さを持ち、瞬く間、と言うわけには、高価な機械であるゆえさすがにいかなかったが、徐々に徐々に、長い時間をかけて民衆へと広まっていった。そうした広がりの中で電話は文学作品にもぽつぽつ登場するようになっていったが、それは詩歌、つまり歌謡曲、引いては現在のJ-POPの歌詞にも普通に、日常生活に欠かせない道具として登場するようになっていく。
 現代では一人に一台携帯電話――いやほぼ小型パソコンも同然であるスマートフォンが当たり前の時代となり、電話よりももはやメール、LINEやTwitter、FacebookなどSNSでのコミュニケーションが主流となってしまっているが、それでも社会に出て生活し、職場の様子などを眺めている限りでは、電話がお役御免となる未来はまだ先の話になりそうだなとのんきに思う次第である。携帯電話だって、あくまで「電話」であるからこそ携帯する必要性があるのだし、LINEもSkypeも、文字でのメッセージのやりとりも出来るが「通話」の機能だって備えている。たかが電話、されど電話である。肉声でのダイレクトなやりとりは一見洗練されていないように見えるが、なかなかどうして、手間のかかる文字でのやりとりより勝る点が、時と場合によっては誕生するのである。
 それはともかくとして、電話が登場する、あるいはモチーフになる曲の存在は勿論aikoにもあり、わざわざ言わずとも「二時頃」「おやすみなさい」「4秒」など初期の曲から最新の曲まで様々に散らばっている。これらの曲を聴きながら、昔から私は何となくぼんやりと思っていた。「いつかaikoの、電話が出てくる曲について考察なりなんなりしてみたいな」と。
 何となく聞き流してはいるが、時折聞こえてくる「受話器」「ベル」「ダイヤル」と言った電話関連の単語。aikoの曲に電話はどれくらい出てくるのだろうか。その電話はどのような意味を持ち、どう捉えられているのだろうか。そしてどのような曲に登場するのだろうか。それらの疑問を抱いたのは、もともと私が「電話」と言う、当たり前に私達の日常に浸透していて、その実奇妙な機械に対し昔から関心があった故であるが、今回の文章はその欲求を大いに叶えるための文章であり、考察や読解と言うよりはむしろ研究に近いスタイルとなっている。

■aikoの電話観
 そもそもまず、aikoは電話に対しどんなことを思っているのだろうか。aikobonのライナーノーツでは、「バスタブ」の項でこんなことを語っていた。

「私ってよく電話が曲に出てくるんですけど、aikoの曲って、全部電話は電話なんですよ。ケータイとか公衆電話とかは絶対出てこないんです。電話は全部電話なんです。で、電話してて、今も昔もケータイであろうと家の電話であろうと好きな人と電話する時っていうのは、同じだなあと思って」

 これは二〇〇五年の時点での意見なので、実際には後年発表される「milk」や「距離」などで携帯電話らしい描写も出てくるが(もっとも、後述するが「milk」の電話は通話するものとして登場するわけではない)aikoが作品中での電話というものにある種作り手のこだわりを持っていることがこの短いコメントの中でばっちり伺えて思わずほくそ笑んでしまった。
 続くコメントもまた興味深い。

「あと、メールもポケベルもなんとなく使ってません。その曲に時代が反映されるし、でも手にとって聞いてくれた人が時代を決めてくれればいいんとちゃうかな? って思うので」

 そうaikoは言うが、末永く聴き継がれる楽曲が必然的に持たねばならない普遍性を、彼女が、難しいことはわからないでもアーティストとしての本能が察知している辺りが実に素晴らしい。正直aikoの曲に「メール」はまだ百歩譲って理解は出来ようが、「LINE」や「Twitter」なんぞ出てきた日には百年の恋も冷める勢いで興ざめである。その辺りの節度をさすがにaikoは感じ取っているだろうから歌詞に出してくることはない、とは思うが、言葉を変えて使う可能性は十分にあるだろうし、その片鱗は既に最新アルバム「May Dream」で見えている。詳しくは後々触れることとする。
 他にも見ていこう。電話での会話をモチーフとした曲で最新のものと言うと「プラマイ」のカップリング「4秒」があるが、オリコンでのインタビューにおいて「受話器」と言うどこかもはや古くさい表現に「レコーディングしてる時に「受話器か…」って思いました(笑)」などと言っているものの、「(メールも電話も)どっちも好きですけどね」と答えている(もっともその後に「LINEも好きですけどね!」なんてのたまっているのであるが)
 What'inのインタビューでの発言もなかなか面白いものが伺える。やはり「4秒」についてのコメントであるが、「特に電話ってホントに言葉だけじゃないですか」と話し、こう続けた。
「言葉と、あとは想像ですよね。「今、どんなふうにして喋っているのかな」とか、受話器から聞こえてくる音。テレビの音だったり、救急車が通ったり、そこからいろいろ想像しながら、「もっと言いたいことがあるのにな」って思っていて」
 そういう時の気持ちを書いた曲として「4秒」を紹介している。「救急車が通ったり」は「そっちで鳴ってる救急車」と言うフレーズのある「ビードロの夜」を思い出す。あの曲もまた「4秒」とは違う電話会話の特性を活かした切ない曲であるが、電話というツールによって発生するコミュニケーションはとかく特異性がある。それこそ、aikoが生業とするラブソングの主題にもってこいとばかりに、だ。

■電話のコミュニケーション
 多分、どころではないがaikoは電話でのコミュニケーションが間違いなく「好き」であろう。自他ともに認める電話好きと書いて支障はあるまい。
 ところで唐突かもしれないが、ここで思い出すのは、LLP8の点取り占いと言うライブグッズのことだ。これは十点を出すとなんと「aikoと電話が出来る権利」を得られると言う、今考えても当時考えても度肝を抜くような斬新過ぎる企画を内包したものだった。握手してもらうより、サインしてもらうより、「電話で話す」ことの方がよっぽど貴重で甘美ではなかろうか! 実に羨ましい限りである。そしてこれを企画したのは多分aiko本人なのではないか。電話が好きでなければ発想することすらないだろう。
 今私は「甘美」と書いたが、それもそのはず、電話とは原則「かけた側」と「かかってきた側」のみの限定的な、密閉された空間で行われるコミュニケーションである。グループ会話など多数対多数の通話も出来なくないだろうが、基本的に受話器を持つのは一人だし、会話は常に一対一で行われる。
 LINEやSkypeなどの文字によるトークもまた一対一でも出来るが、電話は冒頭に書いたように、個人をさらけ出す「肉声」でのやりとりである。しかも電話番号は数ある個人情報の中でも極めて重要な情報であり、ちょっと大げさに書き過ぎているところはあるが、仕事の上でならまだしも、プライベートでの電話での会話は、双方の際どいパーソナルスペースに相当入り込んでしまっているところがあるんじゃあないのか? と思うのである。とてつもなくプライベートな空間だ。(それゆえに、盗聴と言う犯罪は個人の生活に於いても許しがたい行為となる)
 また、メールや手紙に比べて相手の貴重な時間を生々しく割いてしまうのも電話の特性だろう。後で読もう、後で返信しよう、と言うような後回しは出来ない。かかってきたらその時に対応せねばならないし、その分相手の自由な時間は減るだろう。だから気に入らない相手からの無意味極まりない長電話が時として迷惑になったりもするわけだ。
 また、メール・手紙のように文面を考えるなどという余裕はない。あるとしても頭の回転がよほど早くなければならない。けれどなかなか上手くいくものではない。何せやり直しもきかないのだ。aikoもインタビューで言っているが「もっと上手く伝えたい」「もっと言いたいことがあるのに」と思っても時間も相手も待ってくれない。そのもどかしい想いはやはり受話器を手に自分一人でやきもきと抱えなければならないのである。当たり前の話だが、相手はその場にいないのだから。
 そう。そもそも電話とは別の場所にいる相手と話す為の手段であるし、その為に開発されたと言っても過言ではない。距離と空間を超えて相手とダイレクトに、リアルタイムで繋がるコミュニケーション手段としてまだまだ電話は権威を誇っている。一人でいるのに、一人ではないと実感出来る。適度な緊張感を持って、相手との特別な時間を過ごせているのは想像するだけで甘酸っぱい気持ちで一杯にならないだろうか。
 ここで「ネット電話とかスマホならカメラつけりゃあ顔も見られるジャン」などと野暮な突っ込みはご遠慮頂きたい。何度か書いてるように電話はあくまで声と音のみが情報として伝わってくるもので、aikoの言うようにあとは想像力を働かせる必要がある。原始的で、冒頭で述べたように確かに洗練されていない手段ではあるが、それこそ電話の持つ最大の醍醐味の一つだ。
 また、文字はログとして、実際の手紙なら手紙そのものとして残せるが、電話での通話はそう簡単にはいかない。普通、通話記録は警察の捜査にでも関わらない限りなかなか残せるものではないと思うのだが、どうだろうか。モノとして残る手紙やログとして保存出来るメールはそれはそれで相手を想う形見となって切ないが、電話は逆だ。残せないからこそ大切なのだ。それに通話は一回一回全く違うのだ。大体はどうでもいいくだらない話に時間を費やすが、そのくだらなさ、電話で相手とお喋りする日常がどれだけ愛おしいものか、それが恋愛にしろそうでないにしろ痛感出来る人は少なくないはずだ。
 以上述べたことを箇条書きにしてみよう。

 ・原則、一対一の双方向コミュニケーション
 ・密閉された、限定的な空間
 ・時間を消費する
 ・やり直しもリハーサルも出来ない
 ・離れた場所と場所を繋ぐ(距離と空間を超える)
 ・基本、声のみのやりとり。想像力が必要となる
 ・原則記録に残らない、残せない
 ・通話は毎回違う

 以上を眺めていると、何かがピンと閃かないだろうか。私はこう思った。「電話ってライブに似てね?」と。
 ソフト化の可能性は置いといて、記録に残せないこと、あくまで一度きりで同じ通話は二度とないこと、そして何より、一対一と言うaikoの理想の概念が存在していること。これらを総合すると、電話と言うコミュニケーションは実に実にライブに近いものになっている。ライブが好きと言うことと電話が好きと言うことは全然違うように見えて、実は結構似ているのではないか。aikoのライブ好きと電話好きは、実際のところ、理念として同じところを根っことしているのではないだろうか。となると、aikoの曲に電話がよく登場するのも、ライブアーティストaikoの楽曲として意味深い何かが、やっぱりあったりするんじゃあなかろうか。
 いや。落ち着こう。電話がライブに似てる! 近い! といくら私が興奮したところで、じゃあ歌詞上でもそういったライブに近い効果を期待されて電話と言うアイテムを採用しているのかと言うと、それとはまた話が違ってくる。歌詞はあくまで日常であり恋愛の描写である。電話は背景、あるいは単なるアイテムとして存在しているに過ぎない。
 過ぎない、が、それでも確認した通り、電話での会話やそれに付随する思い出は、電話自体が特殊なツールである以上、ただの思い出とはならない。またただのアイテムでもなく、背景にもならない。

 それならば、aikoの作品にて、電話はどのような曲に登場し、どのような役割を持っているのだろうか。それを調べる為には、二〇一六年七月現在発表されているaiko曲全ての歌詞を参照しなければならない。およそ二百曲超、居並ぶ名曲達を総なめにする壮大なaikoマラソンの始まりであった。――文字通りまさしく浴びるようにaikoの歌詞を読み、せっせこ採集したデータを今ここに発表したいと思う。

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