赤い靴では歩けない -aiko「赤い靴」読解-



■赤い靴概要・初期失恋曲の系譜
「赤い靴」はaikoの初期シングルである「ナキ・ムシ」のカップリングとして1999年に世に発表された。「ナキ・ムシ」がまとめⅡに、「二時頃」がまとめⅠに収録されているがこの二曲に挟まれた「赤い靴」も根強い人気を誇っていると言ってもよい。初期曲ゆえにライブでの披露回数も多く、個人的には定番曲の一つに加えたい。
 先に書いたように「ナキ・ムシ」はこの「赤い靴」からあの「二時頃」という鬼セットリストが組まれている。「ナキ・ムシ」は比較的穏やかで愛を誓う切ない曲だが、「赤い靴」は不穏であり「二時頃」は不穏を通り越して突然の死を迎える、と脅してもおかしくない一曲だ。曲順を決めるのはaikoなのでなんて人の心のない歌手なのかと内心憤慨する、というのは言い過ぎだが、いいようにaikoの掌の上で転がされるのがなんともたまらない。
 ところで、何となくではあるが、aikoの初期の曲は失恋系というか「相手が他の誰かを好きになった故に別れる・故に不穏になる・故に尖る」というモチーフが繰り返されているような気がする。が、あくまで気がするレベルなので発表順に俯瞰してみたらそこまで多くはない。多分インディーズ一曲目の「Do you think about me?」がそのモチーフの観点からするとあまりにも尖りすぎた一曲だから印象が強いのだろう。だが「赤い靴」はその路線の二曲目にあたり、後ほど詳しく読んでいくが相手の心変わりや自分の見えないところにいることに対して不安を感じたり、別れ方を思案していたりする。
 この「赤い靴」の正当な進化、あるいは路線的に近所にいるのがおよそ一年後に世に出る「お薬」だろう。「お薬」も「赤い靴」も別れを選ぶ自分や別れた事実に、どこかしら強がりを抱いているように読めるのも近しく感じる理由である。強がりとはすなわち嘘であり、傷を負ったあたしの姿がそこには見て取れる。あるいは負ったではなく、現在進行形で傷つけられている姿が発見できるだろう。

■踊り続ける赤い靴
 楽曲のことはひとまずおいて、赤い靴に人はどんなイメージを抱くだろう? 赤い靴をはいていた女の子のことだろうか。アンデルセンの童話のことだろうか。aikoにとって赤い靴は一体何だったのだろう? この曲がどういう経緯で出来たかを彼女はaikobonライナーノーツで語っていて、そこでは赤い靴がいかなるものかを伺うことが出来る。

「これは、私スニーカーしかほとんど履いたことがなくて、全部家にあったんもスニーカーだらけやったんやけど、夏やからっていって一回だけ赤いサンダルを買ったんですよ、ちょっと底の高いやつを。で、細めのジーパンをロールアップして素足で、いちおうマニキュアもかわいいの塗って、履いていようと思って」
「やったんやけど、足は痛いわ、冷えるわ、いいことがまったくなかったんですね。それで出来た曲」
「そういう新しいことを試みようとしている根源にあるものは全部、好きな人のために、よく思われたいと思ってやったことやと思うんですよ。でもそれが全部裏目に出て、ほこりをかぶっていったんですね。で、できました」

 この後に「いつも自分の心の中にひっかかる人がいて、なんかあると思い出す人やけど、その人のこと思って書きました」と興味深いことも書かれているが、今は割愛する。aikoの赤い靴のエピソードは、人生生きていると一つや二つ……どころではなく千も万も遭遇する、何も功を成すことがなく裏目にばかり出る、いわゆる「ふんだりけったり」なエピソードの一つで、私達の誰もに心当たりがあるだろう。期待したものやこうありたい理想に裏切られ痛い目を見、惨めな自分を見てしまう。現代の寓話とでも言いたいくらい良くできたエピソードである。aikoのこういった事情に裏打ちされ生み出されたと知ると「赤い靴」の歌詞を深く読み込まずとも「あたし」の事情を何となく察せられるというものである。
 このエピソードをふまえるとaikoの赤い靴は少女との別れを歌う野口雨情の童謡「赤い靴」よりかはやはりアンデルセンの「赤い靴」の方に近い作品である。aikoがアンデルセンのそれを知っていたかはともかくとして(多分知らなさそう)(しかしaikoは漫画でいろんな知識を吸収してくるので侮れない)読解の参考程度に軽く内容を記しておく。
 赤い靴の虜になってしまった少女カーレンが、親代わりの老婦人の看病をしなかったり、老婦人の葬式に赤い靴で出席するなどして不敬な行いをした結果、その赤い靴によって永遠に踊らされることになる。呪いを解くためには自分の足を切り落とすしかなく、カーレンは木こりに頼み斧で自らの両足を切断する。その後、義足をはいた敬虔なクリスチャンとなったカーレンは最後には祝福されて天に召される。というのがいろいろ端折った赤い靴の内容だが、筆者が幼少時に読んだ際、子供心に「足を切り落とす」というのが怖くて痛々しく(それも斧である)可愛いイラストと表紙の絵本にすっかり騙された……! と軽くトラウマをこさえられた童話である。
 それ故に「赤い靴」と言う響きには心くすぐられるものがあると同時に、何かしら恐ろしいものを含んでいるモチーフであるように感じられるのだ。赤い靴の歌詞には「やっぱり真っすぐ歩けない」とあるが、踊り続ける呪いで自由に歩くことすら出来なくなったカーレンと赤いサンダルを履いてもいいことが全くなかったaiko、これらがリンクするのは不思議な話である。シンクロニシティではないが、どこか遠いところで繋がっているのかも知れない。

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