■aiko、初期という鋭さ
 しかし。苦渋の中であたしは遂に「別れ」のカードを選んだ。選び取った、ように見える。
「転んだって すりむいたって 傷口なめてまた歩けばすぐ」と傷を背負って戦い、進んでいくあたしの姿がそこにはある。かつて世界の中心だった存在との別れを「ただ痛いだけの後悔に」とはどこか吐き捨てるような表現だ。それに、「情愛もって手を振ってみせる」と宣言し、歌詞には表れていないがバイバーイと声が挿入される。ライブではaikoと観客の大絶叫が響いて盛り上がる箇所であるが、私はこのCメロ全体が強がりから来る言葉のような気がしてならない。「お薬」ほどサバサバしてはいないが、まだ完全に相手のことを振り切れていない。そう感じさせる生々しさがあり――それこそ今まさにナイフで切られた肉と肉の境目から、血が湧き出ているような――それこそが、まだ切れ味の鋭い、繊細で傷つきやすい思春期の少女の存在を感じさせるところが、aikoという作家の黎明期らしさであるように思う。



■赤い靴では歩けない
 大サビは一番と二番のサビのリフレインで締めくくられる。一番で歌われるのは「別れる理由」(さよならの理由)であり、二番は「好きでいる理由」あるいは「別れられない理由」(あなたの笑顔)だ。
 だがそれらはたとえ別れを選んだからといって完全に消去出来るわけではない。過去をなかったものには出来ないのと同じだ。二つは混在し、その二つどちらもを抱いて私達も、「あたし」も、そしてaikoも進んでいく。人間なのだからどちらかにうまく割り切れるようなものではないし、清濁入り交じっているものこそが答えなのだろう。もっともっと時間が経って、この恋愛を俯瞰した時に初めて答えが更新出来るのかもしれない。だが今はまだ生々しい傷を背負い、強がりを張ってバイバーイと手を振って去って、そして生きていく。尊い自分の足を失ったカーレンが義足を作ってもらい、信仰の道を歩み始めたように、あたしも世界の支柱を失って、またゼロから始めるのだ。
 もっとも、そう書くように容易くも、清々しくもいかないだろう。この二つのリフレインで終わらせることで、別れを選び取ってからもまだ迷いを見せ、悩み続けるあたしの姿を見ることも間違ってはいないのだから。このように迷いと悩みに翻弄されるあたしこそ、赤い靴によって踊らされるカーレンその人である。恋愛で傷ついた多くの「あたし」達のもとに、出来るだけ早く祝福が訪れることを願うばかりだ。

(了)

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