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あたしたちの勝利条件  aiko「赤いランプ」を始めとする考察



■はじめに
「赤いランプ」は二〇〇二年九月四日に発売されたaiko四枚目のアルバム「秋 そばにいるよ」の二曲目であり、ライブではもはや馴染みの一曲としての印象が強い。ベストアルバム「まとめⅠ」ではライブで演奏される形に近いアレンジ違いの「赤いランプ」も収録されている。またライブDVDではロックが収録されているもののほとんどに「赤いランプ」があり、ロックに限らずポップに収録されているのも少なくない。私的に「赤いランプと言えばライブだな」と思うのも無理はない話だ。またTour De aikoのデータベースによると必ずフルでの演奏であり、メドレーには登場していないこともその印象を強めている一因だろう。

■アラームランプ
「アンドロメダ」がaikoの疲れ目による視力低下により生まれた曲であるのは有名な話だが、「赤いランプ」の曲が生まれたきっかけもまた具体的であり、同じく有名な話であると思う。aikobonのライナーノーツを見ていこう。
「この曲は、ゲームボーイアドバンスをやっててできた曲。電池が少なくなると横のちっちゃいランプが赤くなるんですよ」と語るaiko。後継機のニンテンドーDSでもこのランプは現役なので馴染の深い方もいるかも知れない。「私は熱中していて「まだ、大丈夫やろ」って思ってやってたら、すごくいいところで「ブチン」って切れたんです。なんか、せつなくなっちゃって(笑)。んで、どんどん思い込んでいったらできたんです」とaikoは明かしている。「アンドロメダ」や「洗面所」のように、日常の小さな出来事から膨らませて歌詞の世界を創り上げるaikoならではの曲の一つと言えるだろう。
 しかしこの曲の「赤いランプ」はゲーム機のそれとはまた違ったランプであるらしい。aikoは「ゲームは赤いランプがついても、電池替えれるけど、もう私達の間についた赤いランプは消える瞬間のランプだったので、もう電池交換できなかったと言う歌ですね」と述べている。たとえ点灯したことに気付いても、どうにもならない、どう足掻いても終わりと言う結末にしかならない。警告の意味をなさないこの赤いランプはさながら死神の訪れのようでもある。これに続けてaikoはこう言う。「ほんとにね、きっかけはいろんなところにあるので、自分でもわからないんですよね」と。その赤いランプが点灯したきっかけ、理由はあり過ぎてわからない……どんな些細なことでももしかしたらこれが過ちだったのではと怪しく見えてくる。しかしどんなに後悔し反省しようが、二人の関係は終わっているから後の祭りとしか言えないのが歯がゆく、虚しいところである。
 もう一つ興味深いaikoの言葉がある。発売当時、新星堂のフリーペーパー「Pause」の全曲紹介にて、こんなことを語っている。赤いランプがついてもゲームを続け、いいところで電池が切れてしまったことを述べ、aikoはこう続ける。
「いつも明け方近くにやってるんですけどすごく切なくなるんですよ。そんな時に「昔、私もこういうことをしたことがある」って思って書いた曲なんです。「この人に気持ちは伝わってるから大丈夫よ。またいつでも会えるし」ってなんとなく相手に何もかも委ねてしまって自分のせいで大事なものをなくしたことがあると思って曲にしたんです」
 正直aikobonのライナーノーツより曲の本質に迫っている貴重な証言である。これらのaikoの言葉を覚えつつ、改めて歌詞を読んでいこうと思う。

■一番・走り去る想い出、あたしの敗北
 一番Aメロは二人が別れた後、「あたし」が一人で電車に乗り帰路についている場面であると予想される。「駆け抜けて来た今まで」を電車に乗りながら音楽を聴き、回想している場面だ。「駆け抜けて来た今まで」を単に振り返るのではなく、「走り去る」と表現しているのが興味深い。去る以上、二人のそれまでの関係には戻れないことを表していて、何気なく聴き流してしまいそうになるが、既に曲の頭からはっきりとした破局が示されていることになる。
 Bメロを見ていこう。「フレーズにあなたが浮かんだ」のと似たように、別れたばかりの「あたし」には「かすかに残った(あなたの)ニオイ」が残り香となっていた。電車で遠ざかる以上物理的にも離れているのに、まるで今まさに「あなた」がいるかのよう。しかし「ここにあなたがいればなぁ」と歌われるように「あなた」はいないし、「あたし」との特別な関係も消えてしまった。「こんなあたしを笑い飛ばしたよね」――「明日の歌」にも「笑い飛ばしてくれますように」と言う表現があったが、そんな風に「あたし」を救ってくれていた「あなた」はもういない。……余談であるが「明日の歌」にやはり「赤いランプ」を思わせる、「この電池切れてもずっと点滅したままきっと止まってはくれないし」が登場する。
 サビに移る。「あの雨がたくさん降った日 離れずにいれば良かった」の後にタイトルである「あたし達に赤いランプが...」が現れる。赤いランプが点灯したのが「あの雨がたくさん降った日」なのだろう。つまりこの日が二人にとってのいわゆる分岐点となったのであろうが、この短いフレーズの中で一体その日に何が起こったのかは読み取れない。離れずにいればよかったとあるので、何かしら離れてしまったことがランプ点灯を招いてしまったようであるが、ここら辺はリスナーの想像あるいは妄想が果敢に働くところであり、自由に想像すべき箇所であろう。
 続く「ついにこの日が来たんだ 2人電池切れたんだ」の「この日」は、一番の時間軸の現在である。電車に乗る前、別れ話をして破局に至った自分達を回想して「ああ、電池が切れたんだな」と気付いたのだろう。以上により、一番は「二人の関係を終わらせた直後、回想し後悔するあたし」を描いている。
 そんな一番を締める「黄金色の今の空は何も知らない」は、全体の文脈から少し浮いている印象を与える。文の構造的に、どこか芥川の「羅生門」の末文である「下人の行方は、誰も知らない」を思わせるが、羅生門がそうであるように、このフレーズは一番全体の余韻を深める役割もあるだろう。そして空が何も知らないというのは「あたし」と「あなた」のそれまでの関係を知らない、興味もない、どこか突き放すような【他人】の存在を表しており、同時に、「何も知らない」以上、二人の別れの本当の原因がどこにあったか、空でさえも知り得ないと言うことも表現しているように思える。どうあがいても「あたし」と「あなた」の別れはもはや必然だったのである。未来におけるあらがえない決定事項を「運命」と呼ぶならば、まさに「あたし」は「運命」に敗北した形となる。

■あたしの慢心
 それでは二番に移ろう。「あたし」の回想は続いている。A・Bメロで歌われるのはいつかのデートの一場面だろうが、歌詞の不穏さから赤いランプ点灯後と見ていいだろう。お互いが――かどうかは判断しかねるので、「あたし」が「あなた」と(明確にそうだと思っていたかはわからないが)恋人でいられるかどうかにどこか不安を感じ始めたか、その不安がもくもくと育ち始めた頃、ナイターの遊園地にデートに来たものの、「あたし」は「手を握ること=簡単な事? 世界一難しく悩んでた」。
 二番頭で「熱の引かない疼く指先」とあるので、きっと手を繋ぎたい、握りたい……と思っていたに違いないのに、この有様である。おかしな話だ。恋人同士ならば繋げばいい、簡単なことじゃないか。いや、きっと赤いランプ点灯前は歌詞にあるように「簡単な事」だったのだ。それが出来なくなってしまった。簡単なことが出来なくなるのは、たとえば友情から恋に発展していく過程にも見られるだろう。どうやらその逆にもあるようだ。成熟していた恋愛が枯れていく――終焉を迎えようとする過程でもまた、簡単なことだったはずの愛情表現や求愛が出来なくなっていく。
 Bメロの歌詞を見ると「遂げる事なくさようならをした あなたの右手あたしの左手」とある。遂げる――つまりその目的を遂げることなく、ということなので、手は繋がれなかったようだ。残念な結果に終わってしまったが、ではその時の「あたし」はどう思ったのか。それが次の歌詞に表れている。「だけどまたここへ来れると あたしずっと信じていたから」と。
 aikoのインタビューを思い出してみよう。「「この人に気持ちは伝わってるから大丈夫よ。またいつでも会えるし」ってなんとなく相手に何もかも委ねてしまって自分のせいで大事なものをなくしたことがあると思って」――つまりここで「あたし」は完全に慢心していたのである。相手に自分の気持ち、すなわち愛は伝わっている。あたしも彼の気持ちはわかっている。またいつでも会えるし、二人の関係はずっと続いていくと。今は少し悪い状態でも、きっと回復していけると。その時にまた手を繋げばいいと。果たして、「あたし」は再び手を繋げたのだろうか。おそらくその答えは、無情であるがノーである。
 この状態を踏まえてサビに移る。多分サビまでで回想は終わっており、「あたし」による冷静な分析が始まっているようだ。「憧れを愛に変えた時 何かが破れて壊れた\胸をえぐる赤いランプが...」と先に別の言葉で赤いランプを表現しているところから始まるサビ。ここで登場する「憧れ」と「愛」とは何のことか。愛はそのまま愛として、ならば憧れは恋だろう。恋と愛は似ていながらもその実全く違うものである。
 この赤いランプ文脈上の「愛」は関係性や絆の安定から来る安心と、それに裏打ちされて出来る相手への信頼で成り立っているものであると読めるが、安心はやがて慢心や油断に繋がり、信頼はいつしか侮りに変わるおそれがある。その二つが行き着く最悪の結果として別れや破局がある、とは言い過ぎだろうか。
 一方「憧れ」は尊敬と言い換えられるが、相手への恋心や好意、興味がまだ強い状態で、常に相手を見ていたいと言う愛にはないある種の緊張感と同時に、相手と自分に、良い意味での一定の距離を思わせる。また「恋」とは基本、往々にしてまだ実らない状態、片想いを多く指す。どれだけ相手を想っても、どれほど好きでも、届かない故に想い続ける、諦めきれない。手の届かない場所に相手はいないのだ、到底その状態に安心はない。
 しかし、恋が成就し、成熟し、やがて「愛」になると、手の届く範囲に相手が入ってしまうことになる。そこには安心が生まれ、そのうちaikoの言うように「この人に気持ちは伝わってるから大丈夫よ。またいつでも会えるし」などと――たとえそれが不安を晴らす為であっても――のんきに思うようになってしまう。そんな状態で赤いランプが灯り関係がたち消えてしまったら――終わりが訪れたら、多くの人は戸惑ってしまうだろう。「何がどうしたの?」と。
「何がどうしたの?」――どこかで聴いたような言葉ではないだろうか。そう、これはあるaikoの歌詞の一節である。「飛行機」だ。

■「飛行機」との共通点
「飛行機」は赤いランプに先駆けること一年と三ヶ月前に世に発表されている。aikoの三枚目のアルバム「夏服」のトップを飾る曲で、余談ながら筆者が初めて生で聴いたaikoの曲でもある。この曲が出来たきっかけもaikoファンの間では知名度のあるエピソードだ。東京で道に迷い、心細かったaikoが空を見ると、そこには飛行機が飛んでいた――赤いランプのようにそんな小さな出来事から生まれた曲であり、赤いランプと同じく「まとめⅠ」にも収録されている。そんな「飛行機」を、「赤いランプ」を念頭に置きながら歌詞を拾い読みしてみると、驚くほど似通うところが多い。一番Aメロの「音もなく声も上げず消えていった」「小さな灯」とは赤いランプと同義語では? と思わせるし、Bメロの「あなたもあたしも少しずつ大人になって\同じ道を辿っていると一人思い込んでた」は「だけどまたここへ来れると あたしずっと信じていたから」と、行動は違えど「あたし」一人が思い込んでいる(信じている)点はまるきり同じである。また同じ動詞に注目するならば、飛行機二番サビの「あなたはいつもあたしに笑って 教えてくれたのに」は赤いランプ一番Bメロ「ここにあなたがいればなあ こんなあたしを笑い飛ばしたよね」を思わせてならない。
「飛行機」については当初の執筆予定にはなかったので以上で切り上げるが、予定外だけが理由でもない。「赤いランプ」には「飛行機」にないものがあって、ここからはそのことについて書こうと思う。従って赤いランプ歌詞精読に戻らせていただく。

■「あなた」のいない「あたし」の決意
「飛行機」ではただ突然訪れた別れに呆然としている風であったが、「赤いランプ」はその状態で終わらない。「でも誰が悪いわけでなく ただ臆病だっただけと/言い聞かせてあたし強く涙を拭いた」のである。個人的な印象ではあるが、赤いランプが「悲壮」(悲しくも勇ましい)であるのはこの一節があるからかも知れない。恋人と別れたのだ。泣いていいだろう。なんだったら泣き叫んでもいいだろうに、そうはせず、泣くことを潔しとはしなかった「あたし」はこの別れに屈しない強い姿勢を見せたのである。
 ……と先走ってしまったが、「でも誰が悪いわけでなく」の下りを読み捨ててはおけない。誰が悪いわけでなくと言う以上「あなた」の方に非をなすりつけているわけではない。「あたし」が悪かったと言う意味でもない。しかしながら続く「ただ臆病だっただけ」は自分のことを指しており、これはかえって「自分の臆病の所為だ」=「臆病な自分が悪かった」と言ってるようなものである。赤いランプ全体を見て「あなた」に言及しているところが少ないのも、その読みを裏付ることになる。自らの所為で恋愛に終わりを迎えてしまった(と読める)「あたし」は、しかしながら強く涙を拭く。では、次の恋をする! と奮起しているのかと言うと、そうでもない気がする。むしろ「あなた」なしでもこれから生きてみせる、そんな風に誓いを立てているように思える。
 さて「赤いランプ」はこれで終わりではない。まだ大サビが残されているが、一度ここで区切り、「飛行機」に寄り道したように別の楽曲を見ていきたいと思う。と言うのもやはり「飛行機」と同様、「赤いランプ」と類似した箇所が見られるためである。その楽曲とは「愛のしぐさ」だ。

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