■愛のしぐさ概要
「愛のしぐさ」は秋そばから二年と半年後に発売されたaiko六枚目のアルバム(ついでに言うと筆者の一番お気に入りのアルバムだ)「夢の中のまっすぐな道」(以下、夢道)に収録されている。ライブで演奏された回数は実に少なく、現時点ではLLP9の本公演のみとなっている(Tour De aikoより)夢道は収録曲のライブ演奏回数に差があると言うか、むしろ全体的に夢道の曲はライブ向けではない、のかも知れない。次曲の「ずっと近くに」と並んで言ってしまえば地味と言うか目立たないと言うか、なんともマイナーな印象を与えてしまうのではと、いち夢道ファンとしては穏やかじゃないのだが、本題に移ろう。

■aikobonより
 最初にワンコーラスだけ書き、続きは後で書くいつものスタイルとは違い、「スタジオですぐ書いた」とライナーノーツにはある。二番Bメロでの「ですます」調について、「好きな人と少し距離が出来てしまったからあえて、相手に気づいてもらいたいためにわざと丁寧語になってる、ちょっとやらしさみたいなのが出てますね(笑)イジワルさっていうか」と説明。確かに、敬語もしくはですます調とはある種の距離感を感じさせる言葉である。「すごい仲いい人とケンカすると敬語に変わったりするの。それで怒ってるのに気づけよってやるんやけど、気づかない人もいます(笑)」と語り、歌詞そのものについてはあまり言及してはいない。

■「あたし」の方から離れていく
 それでは歌詞を読んでみる。一番Aメロ、のっけから「あなた」の台詞でスタートする。「言葉とかもういらないよ...何があっても繋がってるよ」と言う文句だが、「赤いランプ」をざっと見てきた我々からすれば一見して穏やかでないものを感じるはずである。一体何を根拠にこの「あなた」は「何があっても繋がってるよ」などとのたまうのか。それは一言で言うなら「愛」であろう。しかし「愛」が作る安心はやがて別れを呼びかねないものであることは前項で確認した通りである。この「あなた」の台詞も「あたしまたここへ来れると信じていたから」や「同じ道を辿っていると一人思い込んでた」などと同じように十分「慢心! 慢心!」と罵ることが出来るだろう。
 ではこの台詞を受けた愛のしぐさの「あたし」はどうしているかと言うと、例えば「二時頃」のように「何も知らず嬉し」くなっているわけでもなく、「あなた」が「優しい目をして」いることを、ちょっと怖いくらいに、随分冷静に捉えているのである。aikoは「好きな人と少し距離が出来てしまった」と言っていたが、「あたし」はこの距離を敏感に感じ取ったに違いない。そしておそらく「あなた」側は距離が生まれたことに気付いていない。気付いていないのだから生んだという自覚もない。ちょっと怖いくらいにと書いたが、その怖さはaikoの言うところの「怒ってる」を感じさせるゆえかも知れない。
 Bメロの歌詞はそのまま、「赤いランプ」の歌詞の一部を思わせる。「ふと道で香ってた 同じ匂いにこのまま\倒れてしまいそうだった」は「かすかに残ったニオイがかすって いつまで経っても涙が止まらないよ」と同じ嗅覚の描写だ。aiko代表曲の「カブトムシ」もそう言えば「甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし」と言う表現なので、嗅覚からaikoにアプローチしてみるのも面白いかも知れない。――と言うのは完全に蛇足であるので本論に戻るが、「愛のしぐさ」の「倒れてしまいそう」は香りの中に「酔いしれる」感じであろうか。嗅覚は他の感覚器と違い脳のより本能的なところに通じており、情動的な反応を引き起こしやすいそうだ。視覚、聴覚と比べても呼び起こされる記憶の鮮度が違うらしい。読者の方々も香りと記憶が結びついている覚えが多数あるだろう。
 だから、愛のしぐさの「あたし」は今ではない過去の記憶を呼び起こされ、「倒れてしまいそうだった」と歌っていると推測出来る。「同じ匂い」はおそらくはかつての「あなた」の匂いを指す、とは思うが、二番で登場する「あの日の2人」がいた頃の匂いかも知れない。
 長くなった。サビに移る。「一瞬離したあたしの手 ほどいてしまったあなたの手」は、これもまた赤いランプ二番のBメロを思わせる。「遂げることなくさようならをした あなたの右手あたしの左手」だ。しかし「赤いランプ」との細かい差異がこの一文からは読み取れる。
「ほどいてしまった」とはどういうことだろうか。「ほどく」のだ。他ならない「あなた」の手を。別にここは「離れてしまった」でも意味は通じる。でもそうではない。別の意味が込められているからこその「ほどく」だ。「あたし」からの能動的な動作だったと読むことは誤読にはならないだろう。そう、「あたし」は「あなた」の手をほどいた――「遊園地」の「握り潰して捨ててやりました」が何故か脳裏に浮かぶが――のである。これは「あたし」からの別れのサインではないだろうか。
「愛のしぐさ」は「赤いランプ」及び「飛行機」と違い、「あたし」の方から、距離を無意識に生んでしまった「あなた」に距離を置き、別れを告げていく歌詞なのではないか。続く「傷付いていったのだろう」は相手のことでも自分のことでもあるようだが、自分のことを言うにしては淡泊に過ぎるし、何せ直前が「ほどいてしまった」なので、どちらかというと相手のことを言っているように思える。それにしたってちょっと冷たいような気もするが……。末尾の「解ってたのに知ってたのに」もどうにも上から目線の印象が強い。後から回想している「あたし」が俯瞰してコメントしているようである。

■さよならの予感
「素直に話すね」とあたしが宣言しているように二番の多くは「あたし」の告白で構成されている。何のことを、「嘘だとかでたらめだとか思ってはいないの」だろう。文脈に即すると続く「あの日の2人」のことだろう。ではあの日の2人をどう思っているかと言うと「あまりにも幸せそう」そして「つい後悔しただけ」と続く。
 後悔。いろいろ思い浮かぶ。もっともっと楽しんでおけば良かった、もっともっと相手に好意を伝えていればよかった――あるいは、あの時どうしてああしたのだろう、あの時どうしてああ出来なかったのだろう。あるいは、それらを総括して、「どうしてこんな状態になってしまったんだろう」だろうか。読者それぞれに、ここには様々な後悔のパターンがあるだろう。
 そしてBメロで「さよならを言われるとどこかで気付いていました」と、それまでの文脈と雰囲気を画するような丁寧語が少し唐突に登場する。これこそaikoがライナーノーツで語った「(距離が出来たことに)気づいてもらいたいためにわざと」出した丁寧語の類であろう。「すごい仲いい人とケンカすると敬語に変わったりする」とも言っていた。ライナーノーツでの発言とは言えケンカとは――愛のしぐさ、これは予想以上にすこぶる穏やかじゃない状況である。歌詞は「それがダメだったのかな」と続く。「さよなら」の予感を感じ取ったことが別れの訪れを早めた、と読むのが普通だろうが、私の読みでは「さよなら」なのをわかっていながら、「あたし」の方が“あえて”「何もしなかった」ように感じ取れる。別れと言う流れにあらがうこともなければ、その流れを変えたり、止めようとも考えなかった。あるいは、後の歌詞を考えるならば「したことはしたが、変わらなかった」と言うのが正しいところかも知れない。
 その後の歌詞、二番サビを見ていこう。「すねたふりも悲しい返事も 伝わりづらい愛の仕草」とタイトルである「愛のしぐさ」が現れている。「相手に気づいてもらいたいためにわざと丁寧語になってる」と先ほど引用したばかりだが、この「すねたふり」「悲しい返事」もaikoが言う「相手に気づいてもらいたいために」出てしまう「愛の仕草」なのだ。なまじ「愛」なのだから、相手を嫌っていることから来る行動ではない。しかしこの「愛」が「あなた」に伝わっているかと言うと微妙なところで、多分「あたし」は「あなた」に見切りを付け始めている。「目を開けてキスをした 解ってたのね何もかも」にその予感が感じられてならない。うっとりとキスに、二人の世界に浸れないあたしは、「別れ」が来ることが解ってしまった。
 ここで思い出せる、キスにまつわる別れの曲は「嘆きのキス」だが、確か「嘆きのキス」はもう別れることに気付いている時に交わすキスのことで、そのことを曲にしたとaikoは言っていたはずだが、「嘆きのキス」ほどの悲しみに近い切なさは、ここには少ない。相手に気付いてもらえなかったと言う失望が寄り添った切なさ、ならあると思うが。勿論、これは私の主観に過ぎない(第一「嘆きのキス」はめちゃくちゃ好きな曲で思い入れが深いのでかなりバイアスがかかっている。「嘆きのキス」にも寄り道したい気がないでもないが、どんどん冗長になって赤いランプからますます遠ざかっていくので、今回は泣く泣く割愛させていただく)

■「諦観」を歌う愛のしぐさ
 大サビは一番のサビのリフレインで終わる。「解ってたのに知ってたのに」は、ここまでのことを踏まえるとやはり別れを予感していた「あたし」自身のことを言っていると思われる。正直「知ってたんなら何とかしろや!」と思わず突っ込みたい気持ちにかられるが、二番Bメロについて、私は「あたしは“あえて”「何もしなかった」」と書いた。この「あえて」がどのような気持ちに基づいて生まれたものかと言うと、先に出たような相手への「失望」そして別れが訪れる関係への「諦め」である。「さよなら」を言われる――いやむしろ「あたし」からさよならを言うんじゃないかと思うのだが、そうだとわかっていながら何もしないのは、何をしても無駄と言う諦観があった為だと思うのだ。
「愛のしぐさ」は別に、相手が嫌いで嫌いで、それゆえに別れたと言う曲ではないと思う。何となく別れの流れになっていることを察した「あたし」が、その流れに従っただけなのだ。先に使った言葉を再び持ち出すのならば、「運命」にその身を委ねたと言えるだろうか。抵抗するのも逆に傷つくし、疲れるだけだ……と「あたし」が思ったかどうかまでは、これは想像自由だが、大方そんなことを思っていそうである。でもこの「あたし」だって鬼ではないはずだ。関係が助かる道があるならそっちの道へ行っただろう。けれども、この曲から感じられる「諦め」はその行動すらどうでもいいと思わせるのだ。諦観とは怖いものである。まあ、私の書き方では幾分「投げやり」に近くなっているが(二重の意味で、ではないけれど)
 以上で「愛のしぐさ」については閉じようと思うが、熟語でそれぞれの楽曲を表すのなら「赤いランプ」は「後悔」、「飛行機」は「呆然」、「愛のしぐさ」は「諦観」となるだろうか。
 では、もう一曲の方はどうなるだろうか。先に言ってしまうとおそらく「抵抗」となるだろうが――その一曲とは何か。それは、現時点では準新曲である「あたしの向こう」のことである。

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