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「青い光」考察 ― What a beautiful world



■はじめに
 私はこれまで何作かaikoの曲をタイトルにして小説を書いてきたが(本館「たまくしげ」に掲載されている諸作がそう)「aikoの曲名をタイトルにして小説を書こう」と言う気になったのはラジオで「青い光」を初めて聴いた時であった、と振り返って思う。ぶっちゃけそれより前に「アンドロメダ」と言う作品を構想してはいたのだが(ちなみに構想したのは二〇〇四年頃で、手をつけて完成させたのは二〇一〇年の話。正直出来はあんまりよろしくない作品。今夏たまくしげに掲載予定だったのだがずるずる引きずって未だ掲載出来ていない)
「青い光」がそう思わしめる程、当時の自分にとって強烈だったのかと言われると、またまたぶっちゃければ、「aiko曲小説を書こう」と言う企画と「青い光」にはそれ程因果関係はない。その時聴いたのが「星物語」だったとしても、多分同じことを思っていたのではないかと思う。
 ……のだが、やはりつらつら考えて見ると、その時そう思わせたのはやはり、「青い光」の持つ力だったと思う。単純思考な物書きの自分にとって、「小説を書く」ことは最高の自己表現であり、そう思わせたと言うことはつまり私にとって最大の賛辞も同然だったということになる。で、その「青い光」の小説はどっかにあんの? と訊かれれば――お恥ずかしながらナイのである。大きい風呂敷を広げておいて何だ、と言う話。
 まあ毒にも薬にもならないマクラはこのくらいにしておこう。


■一曲目という立ち位置の中の「青い光」
 「青い光」は二〇〇五年三月二日に発売された六枚目のアルバム「夢の中のまっすぐな道」の一曲目を飾る曲である。aikoに限らずどんな歌手のアルバムでも一曲目と言うとアルバムの中でも特に印象が強いだろう。aikoはこれまでベストを除くと十枚のアルバムをリリースしてきたが、十曲ある一曲目の中で、この「青い光」はかなり独特の存在感を築いているように思う。
 まず、唯一のバラードであることが挙げられる。「熱」もバラードに近いがあれはどちらかと言えばミディアムに近いと思うし、「彼の落書き」との接続もあるから「青い光」とは違うと思う。「Aka」もミディアムであろう。……と書いてきて「あれ? でも青い光もミディアムぽくね?」と思えてきた。バラードと言うと印象としてマイナースケールだし……。
 ええい、音楽的なことは私にはわからんのだ(投げ)ここらへんは専門的に語れる人に任せたい。とにかくバラードと言う位置づけにしておいてください。
 それよりももっと「青い光」の個性として挙げられるのは一人称が「僕」であることだろう。「青い光」以前にも僕曲はある。「ジェット」と「テレビゲーム」であるが、リスナーに大きく僕曲の印象を植え付けたのはこの「青い光」であろう。



■aikobon参照 aikoが「僕」を使う意味
 ではaikobonを参照していこう。箇条書きで引用する。

・「この曲が出来たからアルバムは大丈夫、出来るって思った」
・(三国駅とシングルを競り合ったけど)「「青い光」はアルバムを代表する一曲目に入れたいと思ったんで、アルバムに入れました」
・「作った時はホントに突然ふって湧いてきたんですよ。サビから出てきて、そっからAメロBメロつけて、大サビもつけて」
・「この曲では、Bメロが結構重要ですね、一瞬なんですけど。で、歌詞では思ってても言葉に出来なかったことが書けたというか、とても尊くてせつなくて清いみたいな部分が表現できたんで、すごく嬉しかったんですよね」
・「たまに僕という言葉を使うとより素直になれるんですよね。だからこそ、今まで探し続けてきた言葉が、僕という言葉を使うことで見つかったのかもしれないなって思いますね」
・「今まで作った曲の中でも、とても広いイメージが出てる曲なので、いつもこの歌からは高い空が浮かぶんですよ、自分にとって。なので、こういうタイトルになりました」

 なかなかに興味深い証言達である。先ほど一曲目であることに注目したが、aikoもまた「一曲目に」と考えていた。「この曲が出来たからアルバムは大丈夫、出来る」と思ったことからも伺える通り、「青い光」は彼女にとって自信作であり大切な曲であるのだ。ライブで歌われる際も「大切な曲である」旨を話している。
 そしてaikoは「僕」を使うことについてもここで言及している。aiko曲の一人称はほとんど「あたし」である。だからこそ別の一人称である「僕」を使うことで、語彙に変動が見られ、視界、世界観も変わる。それは女から男への性別の変化も伴っていることも理由にあるだろう。だが「僕」は「男」と言い切ってしまうよりもむしろ、どこか女性に近い「少年」であるような印象がある。「少年」が表すものは純粋さであるとか、無垢とか、清らかさである。いっそ「少女」よりも、それらの度合いは高いのではないかと私は思う。
 純粋であるとか、清らかであるとかは、アルバムのハード的な側面を見ても思い浮かぶものかも知れない。アルバムジャケットの舞台は雪山(なおロケ地はアルバムブックレットによると軽井沢プリンスホテルである)であり、冷気に包まれた青白い幾枚かの写真は、前作「暁のラブレター」を軽く上回る程の幻想的な世界を表している。カラートレイも、その凍てついた高原の清らかな空気を引き立てる深い青色だ。
 さてどのような曲からこのアルバムの世界が紐解かれるのだろうと待ち受けるリスナーの鼓膜に、イントロも何もなく、aikoのか細いが芯の通った歌声が響きゆく。「青い光」はアルバムのハード的な側面もそっくり受け継いで、まさしくアルバムの顔であり、水先案内人とばかりにリスナーを「夢の中のまっすぐな道」と言う幻想世界へ導くのである。

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