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明日救済される世界より -私達の「明日の歌」- aiko「明日の歌」考察


■はじめに
 二〇一四年五月に発売されたaiko十一枚目のアルバム「泡のような愛だった」(以下泡愛)は、読者の方々にはどのようなアルバムとして捉えられただろうか。今回取り上げる「明日の歌」はその一曲目を飾り、先日行われたツアーLove Like Pop Vol.17では一曲目、追加公演Love Like Pop Vol.17.5では最後の曲として披露された。PVもあり、テレビ番組でも披露される機会が多かった為、まさしくアルバム一曲目らしい看板曲としての印象が強い。しかしこの曲は、従来のaikoとは少し違って聴こえる一曲でもある。
 曲を一聴、そして歌詞を一見すればわかる通り、言葉数の多さが非常に特徴的である。aiko自身も「言葉数が多いから早口で歌うのが大変で」(オリスタ二〇一四年二十一号)と言っている。初期の代表曲「花火」のAメロ・Bメロも言葉数が多いが、各雑誌のインタビューもよくこの点について言及されている。その現象が間違いなく「いつものaiko」とは違う、つまり「変化」であったからだろう。
 そんな風に一曲目から「何か違う」と思わせる泡愛は、いろんな人にとって新しいaikoを感じさせるものだったのではないだろうか。かく言う私もそうであった。詳細は書くのも恥ずかしい、と言うかぶり返して嫌になるのを避けたいから書かないが、泡愛発売前後からaikoとは、そして私とaikoとは一体何なのか、考えても仕方のない泥沼なことをあれこれ考えて――それこそ「明日の歌」の「また同じ事ばかりを考えては」まんまな状態をずっとずっと引きずってきたのである。それがようやく解消されたのは、最終日も程近い十月の金沢と福井のライブに行ってからだったので、やはりナマのaiko分の摂取は精神衛生上、必要不可欠である。ライブは、行けるなら行けるだけ無理のない程度に行くのをオススメする。更に言うとあまり間を置き過ぎると精神に悪影響を及ぼすので(ソース私)出来れば一年以上間をあけないでライブに足を運ぶことを強く推奨する。……と何やら脱線しまくっているので話を戻そう。
 泡愛を象徴するような一曲目、「明日の歌」。この曲はある点に於いて発売から半年近くが経った今でも私の気を引かせる曲なのだ。今回はその点からこの曲について考察を重ねていこうと思う。

■「明日の歌」を読む
 話を戻そう、と書いた割に少し引っ張るが、どうして私が落ち込んでしまっていたのか、原因の一つとして「明日の歌」が一聴する限りでは何となく救いのない失恋ソングだったので、ネガティブ要素がほとんどない「君の隣」との落差にショックを受けたからではないか、ということが考えられる。ここで改めてざっと歌詞を読んで明日の歌の状況、あらすじを掴んでおこう。
「暑いって言うかこの部屋には想い出が多すぎる」と言う歌い出しもなかなかに斬新だが(aiko曰く最初は「って言うか」と言う書き出しだったらしい。冷たい嘘の「しかし連絡がないな」もなかなかかも)「あなたに貰ったものどうしてこんなに大事に置いていたんだろう」と言うフレーズからは既に「あたし」と「あなた」は破局済みなのではないかと思われる。関係は終わっているが、思い出のものが捨てられない。「思い出の品を処分出来ないんです」(mina二〇一四年十二月号)と言うaiko自身が反映されているようだ。思い出の品々はしかしそんな、既に別れてしまった状況を知らず、今日も(かつての思い出について)「話そうよ」と語りかけてくる。(ここで私は重大な誤読をしでかしたのであるが、そのことについて書くと長くなる。以前ブログの方で述べたので気が向いた方は参照されたし。この誤読もなかなかにヘヴィである。多分誤読の方が辛い)
「その唇は今夜もあの子に触れる」と言うフレーズについてはオリスタで「もし恋がうまくいっていてもダメなことを想像してしまう。(中略)相手と連絡が取れない時とか、会えない時に「待てよ、今、ほかの女のコと?」とかって想像しちゃうんです(笑)」とコメントしているので、aikoの恋愛における不安、疑心暗鬼の強さの表れとも言える。「あたし」と「あなた」が破局していると仮定して、「あなた」を忘れられず、「あなた」が誰か他の人と付き合うことを恐れている――まるで自分が独り取り残されるような「あたし」の苦しさや寂しさがサビの前でうわっと吐き出されている。
「あなたの唇触ってみたいけど笑ってそしらぬ顔して見ていた/言いたいことが言えなくてもあなたの言葉に頷くだけで嬉しかったの」は破局以前のことだろう。先述のminaで「話を聞いているだけで幸せなとき、あるなって(話している相手を観察し、知らないところを知って)そうやって「ふーん」っていっている時間が幸せなんですよね」と語っているのでまたまたその表れであろうが、この「明日の歌」ではまるでそれが遠因で別れてしまったかのようにも読めなくもないので、minaのaikoの発言とはこれまた随分落差があるな、と苦笑を浮かべてしまったりもする(またそのページのaikoが可愛らしくなおかつ暖かく見えて尚更落差があるのよこれがまた)
 一番サビに移ろう。「明日が来ないなんて 思った事が無かった」とサビの頭から「あたし」の抱える絶望が容赦なく叩きつけられているような感じがして、個人的には結構残酷なフレーズだと思っている。まあそれは置いといて、「いつでも初めては痛くて苦しくなるんだね」は何だか矛盾している文章のように読める。いつでもなのに初めてなのか……と首を傾げたり、初めてとあるのでつい初恋なのか? と思ったりしたのだが、もしかするとこれ、「失恋の最初の方はいつでも痛くて苦しい」と言うことを表しているのかも知れない。本当のところはわからないがそう読むと幾分自然に取れる。(だったら「初めて」じゃなくて「初め」と書けよと思わなくもない。イヤ単純に私の誤読の可能性もあるけど)最初の方は痛くて苦しいが、「お薬」の「時間がお薬」ではないが、時が経つにつれてタフになっていくと言うか、忘れていくものである。それこそ「鼻唄で笑い飛ばせる」ようにもなる。
 二番に移る。「濡れた髪の毛を握った もうあなたに触ってもらえないんだな」とは最新曲の「ドライヤー」にもリンクするが、「もうあなたに触ってもらえない」と言うことはやっぱりこの二人は別れているようだ。別れているのにこの未練タラタラぶりよ! と驚愕する。そう言う曲だから当たり前だが。Bメロの「この電池切れてもずっと点滅したままきっと止まってはくれないし」も、「切れた電池」が終わった恋の暗喩ならば、ずっと点滅したまま止まらない状態はやはり終わった恋を引きずっている様子ではないだろうか。なお電池切れが恋の終わり、縁の切れ目と言うとどうしても「赤いランプ」を彷彿とする。
「また同じ事ばかりを考えては」はサビの「行ったり来たりして痛くて苦しくなるんだよ」と対応するようで、出口のない堂々巡りを続けることの閉塞感や疲労感を聴いている者にずっしりと与えてしまう。でもこんな恋の様を、惨めったらしい自分のことを「いつか遠い遠いあたしも知らないあたしを\もう一度包んでくれますように」と未来の自分に向けて結ぶのは、やはりこの恋を、「あなた」のことを忘れたくないからなのだろう。
 そう言った意味でもやはり未練が甚だしいが、未練があって何が悪いと言うのか! ……と突然開き直ってみたが、忘れられない思い出があってもいいじゃないか。忘れたくない、と言う「あたし」の切ないあがきを感じて、何とも「あたし」が愛しくなってしまった。
 一通り「明日の歌」を読んでみたがざっとまとめると、恋愛関係はもう終わっているのにいつまで経っても相手を忘れられないし、諦めきれてもいない。同じことを思って痛みと苦しみを繰り返すと言うまるで地獄のようなところに「あたし」はいるが、でもいつか、こんな自分を誰かが笑い飛ばしてくれますように。散々な内容ではあるが、一応は希望を感じさせる結び方で終わっている。私がそう読むのは、この曲を初めて聴いて、ラジオを録音した音源で繰り返している内に「何かこの曲って、ずっと曇り空だったけど最後は晴れる、歌詞的にも音的にもそんな感じだなあ」と思っていた所為もあるかも知れない。
 さてそんな「明日の歌」のどの部分に私が疑問を感じているのかと言うと、敢えて触れなかったフレーズについてである。
「これはあなたの歌 嫌なあなたの歌」――私と「明日の歌」を巡る争い(何)は全てこのフレーズに起因している。

■His song? or Your song?
 純粋に歌詞だけ追っていけば、サビの「これはあなたの歌 嫌なあなたの歌」の「あなた」は、それまでの歌詞の「あなた」と同一のもの、つまり「あたし」と関係を持っていた「あなた」であると見なされる。私自身最初に聴いた時はそうだと思い、そう読んでいくものだと思っていた。一番と二番で「嫌なあなたの歌」と歌っているのに、大サビで「好きなあなたの歌」に変わるのも、本当は嫌いなのに愛を捨てきれない、想いを諦めきれないあたしの人間臭さを表しているのかしらと考えていたし、そういう結論で以てこの曲の考察は終了、ハイ解散~――となるはずだったのだが、どうもそうではなかった、このフレーズの真の意味を、泡愛発売時のインタビューの中で私は知ってしまったのだ。ああ、この部分を見なければ単純な解釈でいられたものを!
 別冊カドカワaiko特集号の「泡のような愛だった」インタビューが端的であるので、これを引用しよう。
「歌詞はね、私の場合、歌を歌ってる自分を表現するような言葉選びを今までちょっと避けてきたところがあるんですよ。職種を限定してしまうことで、聴いた人が主人公になれない気がしてたから。でも今回はサビに〈これはあなたの歌\嫌なあなたの歌〉っていうフレーズがあって、この詞があることで、それを表現することが出来たんです」
 ワッツインではこのようにも言っている。「今までは歌手として曲を作ることを、あまりしてこなかったんですけど。歌手じゃなく、ひとりの人間として考えることを曲にしてきたというか。やっぱり歌手の人が作った曲だと思うと、聴いた人は同じ気持ちになりにくいかもしれないな、って。だから「嫌なあなたの歌」みたいなフレーズを避けてきたところもあったんです。だけど、今回はそこもあえて言いたくて」
 この二つのaikoの言葉から言えることは一つ。「明日の歌」を象徴するような名フレーズ、その肝である「あなたの歌」の「あなた」とは、「あたし」が愛した「あなた」を指すのではない。リスナーである私達を指しているのである。
 言ってみれば一種の叙述トリックのようなものと考えればいい。日本語の「あなた」が「あたし」の愛した特定の「あなた」(仮に男性として「彼」とする)も指し、単純に二人称単数として不特定多数の誰かも指す故にこういった誤読を引き起こすのだ。加えてそれまでの文脈と言うものもあって、私はすっかり誤読してしまったのだ。もしこれが英語詞であり、なおかつ彼としての「あなた」を三人称単数のheで表していたなら、この部分は「Your song」となっていて、こういった誤読はおそらく引き起こさなかっただろう。
 それでもいきなりYour songと出てくれば混乱しそうにはなる。そう、私が何をごちゃごちゃとこの曲について頭を悩ませているのかと言うと、その混乱があるからこそなのだ。歌い手であるaikoが「これはあなたの歌」と、静かに聴いていたリスナーに突如として揺さぶりをかけてくる。そう感じたのである。
 それは、記憶している限りでは――aikoも「今までしてこなかった」と言うように――aikoの曲では初めての経験だったからだ。

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