■おわりに――変わっていくもの、変わらないもの
 笑い飛ばす「誰か」にしても、聴いている「あなた」にしても、明確な他者の存在をこの曲は意識している。
 少なくとも、今までaikoの描く歌詞世界と言うものは、アンドロメダの「この歌」が指し示しているように、「あなた」と「あたし」の一つの完結した世界――俯瞰出来るものであったし、私達も当然そのように認識していた。「あたし」とほぼ同一の歌い手が外側の私達に干渉してくることもないものと思っていた。それは私達とaikoの間に交わされていた、暗黙のお約束であったし、aiko自身も「歌手として曲を作ることを、あまりしてこなかった」と明言している。少し言い方は悪いが、aiko自身、あくまで一般人、普通の人である「あたし」と「あなた」と言う一つの世界に「固執」していたかのようにも思える。
 ところが今回、その形式に穴を開け始めた。他の泡愛収録曲や、歌詞の言葉数の多さにしたって、各インタビューで語るように、全体的に「変わり始めた」ことをaiko自身も感じている。

「とりあえず言いたいことを全部言葉にしようと思って」(オリスタより)
「俳句で言う五七五じゃないですけど、そういうのができてくるというか。でもそれがヤダなぁと思って(中略)嫌なことも、うれしいことも全部書き留めて、そこから曲にしていこうと思って書いたら、どんどん長くなっていったという」(ワッツインより)
「思っていることを全部書き出そうって。一昨年くらいからそうやって書き始めたら、おのずと曲も変わって。気付いたら曲の言葉数が増えてきてました」(音楽と人より)

 特に「音楽と人」のインタビューではそのことに関する発言が顕著であるが、変わろうとしているaikoを曲の端々から感じ取れるからこそ、「泡のような愛だった」と言う一枚は、あるいは新鮮に、あるいはどこか不思議に聴こえ、千差万別の様々な印象をリスナーに与えるのかも知れない。今回取り上げた「明日の歌」はその中でも一番の変化球だったのではないだろうか。aikoの中で禁じ手であった手法を用い、「私達」の方へと枠を超えてきた歌詞は、aikoがそれまでいた世界とは違うところ、どこか別の世界へ繋がろうと、新しい可能性を模索し始めているようにも見える。それでも基本となるのはやはり、自分と他者――「あたし」と「あなた」ではないだろうか。それこそがaikoの変わらないものではないだろうか。
 自己と他己。LLP17の「あなたを連れて」歌唱前の言葉のように、人と人は百パーセントわかり合うことは出来ない。「サイダー」のようにすれ違いにやるせなさを覚えることもあるだろうし、「遊園地」のように相手は自分ほど恋をしていなかったことに愕然とすることもある。全ての関係は、いつか泡のように儚く消えていくことだろう。分かり合えないのがわかっているのに、やがては儚く消えるのがわかっているのに、――たとえば、ライブが二時間もすれば終わってしまうのと同じように――一緒にいようとする。それこそまさしく、アルバムタイトルの「泡のような愛」と言えるものなのかも知れない。
 それでも、人と人は繋がらずにはいられない。分かり合えなくても、一緒にいたいと思う。そう書く私自身も勿論、それが全て儚いものだとは思わない。愚かなことだとも思わない。aikoとの短い時間、ライブの一瞬間一瞬間を思い出すと、とてもそんなことは思えない。
 誰かと誰かが繋がろうとすること、誰かが誰かとわかり合おうとすることは、とても強いことだと思う。それこそ、「愛」と言う言葉でしか表現出来ない強い感情の極みまでも感じることが出来る。
 aikoも――願わくばきっとそう思ってくれていると思いながら、この考察を閉じるとしよう。……ところで、今更だが、「泡のような愛だった」はいわゆる撞着語法によるネーミングの意味合いもあったのかも知れない。



■おまけ・十六年目のデビュー曲
 ここからは完全に私のこじつけによる勝手気ままなおまけ文章である。こう読んだら勝手にワクワク出来るな、と思ってのことである。
「泡のような愛だった」発売前の年の二〇一三年は、aikoデビュー十五周年と言うことでaikoもファンも嬉しい悲鳴を上げる忙しい一年であった。その一年を経て発売された「君の隣」のカップリングであり、本稿でも対比した「舌打ち」は、(主に私のTwitterのTL調べであるが)結構いろんな人が「初期っぽい」と言っていた。無論私も初期っぽいなと思っており、ワッツインインタビューでも「初期のaikoを思い出しました」とインタビュアが発言している。本稿で書いた通り「明日の歌」も「舌打ち」と同じく言葉数が多く、やはりこれも「初期っぽい」と言う感想をよく見た。
 ところで、「泡のような愛だった」は十一枚目のアルバムである。十枚目までを一時代一区切り(ベスト除く)とするならば、十一枚目は新たなスタートを切っている一枚とも言える。その一曲目がこの「明日の歌」であって――奇しくもデビュー曲である「あした」とタイトルを共通させている。
 新たなスタートを切る一枚目の一曲目がデビュー曲のタイトルと類似し、しかも初期を感じさせる雰囲気である。更に、今までのaiko曲とは違う手法を取った記念すべき一曲でもある。これはひょっとすると――十五周年を経て新たに生まれ変わったaikoの、「十六年目のデビュー曲」なのかもしれない、ナア、と、思ったのであった。ちゃんちゃん。

(了)

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