あたしの小さな部屋へようこそ -aiko「ボーイフレンド」読解-



■はじめに
「ボーイフレンド」はaikoの6枚目のシングルとして2000年9月20日にリリースされた。バンジョーが奏でる特徴的なイントロと少しカントリー調のアレンジがどこか物珍しくありつつも、明るく開放的なサウンド、「テトラポット登って」と言う印象的なフレーズ、ボーイフレンドへのストレートな想いが溢れる歌詞、そして何よりaikoの伸びやかな歌声やフェイクが耳に残る、軽やかで気分が明るく楽しくなる人気の高い一曲である。
 2000年3月に発売されたセカンドアルバム「桜の木の下」がヒットし、オリコン最高順位1位、5月にはミリオンを記録した。そのことからもわかるように、「花火」で知名度を上げて以降、一気に人気アーティストの一人に数えられるようになっていたaikoが、そこから更なる飛躍を遂げ、人気をより盤石なものとした一曲であったように思う。現在でも代表曲の一曲として「花火」「カブトムシ」と並んで挙げられる曲として名高い。
「桜の木の下」リリースから「ボーイフレンド」まで半年開いている。その間aikoは何をやっていたかと言うと、当然アルバムを引っ提げたライブツアーLove Like Pop Vol.5で全国を回っていたそうである。こちらはその様子を収録したDVD「Love Like Pop」も発売しているので各位確認されたし。この頃はまだポップでもライブハウスがメインで、昔のライブパンフのバイオグラフィーを見ると懐かしい会場名が並んでいる。
 ライブ後は少し長いオフ期間で、運転免許を取ったり車を買ったり人間ドッグに行ったりと色々していたようだ。なおヌルコムことaikoのオールナイトニッポンコムもその前年1999年カブトムシリリースの頃から始まり、まさに、その頃まだaikoファンでなかった私でさえも、綴っていてなんだか懐かしくなってしまう、歌手としての青春時代と言うか、とにかく乗りに乗っている辺りである。この頃からaikoを追いかけていたかった……。

 先述した通り代表曲の一曲であるわけだが、それもそのはず、aikoはこの「ボーイフレンド」で紅白歌合戦に初出場したからである。2020年の今でこそ大晦日の競合番組は多くなり、視聴率もかつてほどではないものの、当時はまだ大晦日と言えば紅白のムードが強かったし、現在でも大晦日の代名詞とも言える番組で、司会や出場歌手については毎年注目が集まっている。日本人と言うか、日本の音楽シーンにおいて紅白の存在はやはり依然として大きいように思う。人気アーティストとしての太鼓判を押される感じと言うか、伝統ある番組に出場出来ることは多くのミュージシャンにとって名誉であろう。
 その年のヒット曲を引っ提げて出るのが常ではあるが、最近ではダウンロード販売・各サブスクリプションでの配信で音楽が手軽に聴けるようになっているのもあり、紅白での披露を受けて爆発的にヒットすると言うのも多い。(特に、これも個人的な印象ではあるが2019年出場のLiSAの「紅蓮華」は、2020年の「鬼滅の刃」大ヒットも相まって紅白以降ものすごく聴くようになった気がする)
 私などはaiko、および見ているドラマの主題歌以外のJ-POPや世間のヒット曲などは、多少ラジオで耳にすることはあっても、チャートを追ってるわけでもないから正直ほとんどわからないので、紅白で初めてアーティストと曲名が一致し、のちにiTunesStoreで入手する……と言う流れがよくある。2019年の紅白でaikoが紹介し、あじがと等でも度々話題に出しファンを公言しているOfficial髭男dismも紅白がきっかけで曲を購入した(ところでヒゲダン紹介で出てきた時のaikoの衣装マジ好みめちゃカワだったのでこの時のオフショットが超超欲しいですaikoさん!聞いてますか!)

 こんな私のように、2000年の紅白を通じてaikoを知らない人にも知ってもらえたのではないかと思うと実に感慨深い。勿論私も、今も昔も大晦日は紅白派なので当時も当然見ていたはずであるが、その頃まだaikoに心を奪われてはいなかったのでそれほど覚えていないようである。ああ本当にこの頃からaikoを追いかけていたかった……。
 そんな記念すべき初出場の紅白を、Tシャツジーンズと言う至って普段着に近い服装、しかもジーンズのポケットに携帯電話を突っ込んで歌唱したと言うので当時のaiko、実にロックである。何と言うか怖いものなし、若さでブイブイ言わせていた頃だなあと、すっかりおめかしして出場する昨今となってはついつい苦笑が漏れてしまう(なお、これは「好きな服を着て歌番組で歌いたい」と言うaikoの夢があったからであるが、「貧乏で紅白に相応しい服がないのだ」「お給料を上げて欲しい」と思われた所為で事務所に続々と服が贈られたと言う逸話がある)

 個人的な思い出を述べさせてもらうと、この「ボーイフレンド」が、今は亡き再生媒体MD(MD!)に初めて録音したaiko曲だったりする。何度か書いているがaikoファンとして真に覚醒を遂げたのは2001年の初夏であり、2000年は椎名林檎を熱狂的に追いかけていた時期で、あくまでaikoはサブ的な存在として好きでしかなかった。当然aikoの人となりもよく知らなかった頃で、今となっては本当に遠い遠い昔である。
 今でこそ「aikoは人生です」などと言うくらい、いつの間にか人生の半分以上aikoと言うアーティストの活動を追いかけていて、シングルでは「おやすみなさい」アルバムでは「秋 そばにいるよ」以降全ての作品をリアルタイムで迎えてきているわけだが、「ボーイフレンド」はそれ以前、歴史で言えば紀元前、B.CならぬB.a(Before aiko)の頃の一枚である(そんな大袈裟に言う?)だから、何と言うか、私がまだよく知らなかった頃の彼女……などと言うとなんだか「付き合う前の彼女」みたいな言い方になるが、知らないことが沢山ある頃のaikoであって、いつも以上に新鮮な気持ちで資料に当たることが出来たような気がする。

 個人的な思い出やら何やらはこのくらいにしておこう。「まとめⅡ」の1曲目だったり、FNS歌謡祭やCDTV年越しライブと言った音楽番組での披露、ライブでも盛り上がるところでの披露だったりと、「ボーイフレンド」はその発売から20年(20年!??!?)が経った今でも、aikoのアップテンポナンバー主力の一曲である。音楽的なことは何一つわからない、超門外漢で専門外なので何も言えないのだが、aiko曰くコード進行とメロディが合っていないだとか気持ち悪いだとか言われていたらしいこの「ボーイフレンド」が、今やaikoの代表曲の一つとなっているのも、野性的な音楽の才能をほしいままにしては、音楽評論家を唸らす曲を作りだしてしまうaikoらしいなあと思ったりする。
 長々と書いたが、そんな広く愛されるaikoの代表曲「ボーイフレンド」の歌詞をこの機会に改めて読んでいきたいと思う。後々言及するが、とっかかりがやや少なく、いかにも大衆にヒットした曲らしく素直でわかりやすい歌詞である。aikoはどんな経緯でこの「ボーイフレンド」を書いたのだろう。



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