■はじまりはテトラポット
 古い曲なので資料がないゾ!ヨシ!aikobonを当たろう! としたが、何度か書いているがaikobonのライナーノーツは曲によって当たりはずれが多く、歌詞についての言及や制作背景が詳しく書かれているものもあれば、当時のaikoの思い出話に終始しているものも多くある。この「ボーイフレンド」も残念ながら思い出話がほとんどを占めているのだが、印象的なフレーズに使われている「テトラポット」が制作のきっかけだったと話す。

「歌詞はね、昔ノートに「これで歌詞はできひんやろ」って思う言葉を書き留めてて、ある日パラパラってめくってた時に「テトラポット」が目に入ってきて、ピンッてきて一気に書き上げました」

 ご存じだとは思うが、海岸などに置いてあるいわゆる消波ブロックのことである。株式会社不動テトラの製品としてテトラポッ「ド」で商標登録されており、紅白で歌唱するのは大丈夫なのか問題になったことは有名な話であるが(wikipedia「消波ブロック」参照)歌詞はテトラポッ「ト」なので何とかくぐり抜けた。
 サビに登場し「ボーイフレンド」と言えばのアイテム(シングル初回盤のカラートレイの穴の所にも可愛いテトラポットが描かれている)であるが、この語句がなければ生まれなかったと言うことで、思っていたよりも重要な存在だったらしい。よくライブでもお客さんからのお題で即興で曲を作るし、古くはヌルコムのジングル大作戦でも即興で歌っていた。2020年春先、ナインティナインの岡村さんがオールナイトニッポンにて数年放置した桃缶を開けた事件があり、そのことから曲を作れと岡村さんに無茶ぶりされ、「ホワイトピーチ」と言う曲をわずか数十分で作っていたことも思い出される。とにかくaikoの、そのちょっとした思い付きやお題から作品を生み出す才能は本当にすごく、同じ作家としてはズルい、と理不尽に嫉妬してしまうくらいである。
 それはおいといて、「テトラポット」はやはり「ボーイフレンド」を象徴するどころか、誕生を担っていたキーアイテムだったと言ってもいいだろう。


■恋愛のはじまりはじまり
 もう少し詳しく資料を見てみよう。さすがに20年前の雑誌の切り抜きは入手困難、持ってないだろうな……と思っていたのだが、たまたま所持していた発売当時の切り抜きを発見出来た。aikobonがアテにならない(おい)今回は非常に助かった。
 インタビューページ上部に「ここからは出てけぇへんやろって言葉から、曲を書いてみたかったんですよね」というaikoの発言が大きく載せられている。どんなことがきっかけとなって出来たのか問われ、aikobonと同じく、「テトラポット」のことについて言及している。

「歌詞のノートにテトラポットって言葉が書いてあって。テトラポットかぁ、カワイー、こっから曲を作ろうかなって感じで。なんかこの言葉って、字の見た目と読み方がすごく合ってると思うんですよ(後略)」
(するとこの曲のキーワードはテトラポット?)
「最初は。なんか、突拍子もない言葉から歌詞を書こうと思ってた時期があって。ここからは出てけぇへんやろって言葉から、曲を書いてみたかったんですよね。テトラポットも、そう思って書きとめてた言葉で。で、テトラポットから連想して出てきたんが、ボーイフレンドって言葉やって」
(テトラポット→海→夏→デートのノリで?)
「そうそう。でも私、実際は彼氏と海に行ったこと、ないんですよ。だから、ボーイフレンドっていう客観的な言葉が出てきたんかなぁって。そういう経験あったら、ダーリンにしてたかも」

 aikoの歌詞は自身のちょっとしたエピソードが元になったり、たまたま見つけたものに何かを感じ取って生まれたりと色々あるが、「テトラポット」から生まれた「ボーイフレンド」は「言葉先」と言えばいいのだろうか。そこを出発点にして、インタビュアーも聞いている通りテトラポットと言えば海、海と言えばデート……のようなノリで連想していき、世界を膨らませていったのだろう。海が出てくるので広い意味で夏曲にも該当するかも知れない。
 しかしaikoが「実際は彼氏と海に行ったこと、ないんですよ」と述べている通り、サビの印象的な情景はaikoのたくましい想像力によって生み出されたものらしい(余談であるが消波ブロックに登るのは超危険行為(下に落ちると出ること&救助が困難なため)なので真似しないように)「花火」の「夏の星座にぶら下がって」からもわかることであるが、非常に絵になるというか、そういったフレーズを生み出すaikoの想像力ならびに発想力、そして自然と磨かれている才能にやはりどこまでも恐れ多くなり、どこまででも付いていきますと盲目的に惚れ込んでしまう。
 それにしても、デートの場所で海はいかにもベタと言うか定番ではあるが、そうなると曲中のカップルであるあたしとあなたの仲の良さには安定感があるようにも思えてくる。そこでひっかかるのが「ボーイフレンド」である。歌詞を読む際に「キスしてるならそれはボーイフレンドじゃなく恋人で決まり!」と突っ走る予定であるが、そう、付き合ってるならそれはボーイ「フレンド」でいいのか? とも思う。
 しかしaikoが実体験がないために「ボーイフレンド」と言う客観的な言葉を使ったのには他にも理由がある。この理由が、「ボーイフレンド」鑑賞において見過ごせない要素だった。

(ボーイフレンドは2人の距離感が出てる言葉?)
「うん。相手の生活、いいとこ、悪いとこ。まだそこまで知り合えてない、みたいな。だからこの曲、すごいワクワクするんですよ。夢のふくらむ歌やわって思ってしまう」
(昇り調子の恋愛初期の歌ですよね)
「そうです。楽しいこといっぱい想像してて」
(でも、相手の影が歌には出てない、という)
「ヘヘヘッ、フハハハッ。ホンマや~」
(出さないようにしたかった?)
「いや、何も気にせず書いてん(後略)」

 いや笑てる場合か~い! と突っ込みたくなってしまうのだが、そう。ボーイ「フレンド」と既にタイトルが示している通り、この曲は恋愛の初期も初期の初期段階なのである(キスはしてる)(キスしてるならそれは友達以上で決まりやって!)aikoも言う通り、いいところも悪いところも、深くは知り合えていない、どころか全くまだ何も知らないような状態の二人だったのだ。
 名は体を表すではないが、先述した通りボーイ「フレンド」でしかない、本当に深く入り込む一歩どころか十歩ほど前で、世間一般の言葉で言えば友達以上恋人なのだろう(いやキスしてたらそれは恋人に決まり!)それ故に、aikoには珍しく陽の気100%の歌詞だし、明るい曲とくれば歌詞は反対にネガティブだったり暗かったりする作風も表れていない。恋愛におけるしんどくて重くて苦しいしがらみが何もない状態──「ひまわりになったら」で例えるなら「ただの友達だったあの頃に/少しだけハナマルつけてあげよう」の辺りなのである(いつまでひまわりになったら引きずってんねん)

 そうなると、この曲で紅白に出場、人気を不動のものにし、売れるアーティストとなったaikoにはどこか皮肉めいたものを感じる。つまり「ボーイフレンド」にはaiko特有の、行き詰ったり上手くいかない恋愛へのシビアでドライな目線、愛と憎しみを彷徨う狂おしい感情の歪み、ダークさ、残酷さや彼女にある無常観と言ったものが(比較的初期の曲と言うこともあるが)希薄、どころかほぼ無いとも言えるからだ。
 下手すると「ボーイフレンド」だけしか知らない人はaikoのことを「なんか明るいラブソング歌ってたちっこいねーちゃん」としか認識していなくて、それが20年アップデートされていないおそれがある。……いやファン以外だったら大体そんなものかも知れないが。まあ大衆受けし一般に広まるものは作者の本質から遠いものだったりするのが古今東西よくあるわけで、それを今更嘆いたってしょうがない話だし、そもそも私が偉そうにこんな風に書く権利は実はどこにもなかったりする(第一しんどい曲で紅白出られてもな~と言う話)

 でもaikoは、いくら時々ひねくれた歌詞を書く作家(言いたい放題)だからと言って、何らかの邪悪な意図があってこの上り調子の二人で明るさ一辺倒な「ボーイフレンド」の歌詞を仕上げたわけではない。「いや、何も気にせず書いてん」「夢のふくらむ歌」「楽しいこといっぱい想像してて」とあっけらかんと、それこそ何の邪気もなく言っていることからわかるように、彼女は本当に純粋に明るくて楽しい、恋愛の始まりの曲として書き上げたのだろうと思う。こちらが「明るすぎるのは、むしろこの先の暗い未来を暗示しているのやも」と好き勝手に推測したり、明るいのは絶対何か裏がある! と息巻いたりするのは、aikoの意向には沿わないような気がするのである。それこそライブでボーイフレンドが歌われて盛り上がる時のように、私達も純粋にまっすぐ楽しめばいいのではないだろうか。



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