あなたのそばを離れるいつか -aiko「瞳」考察-



■瞳 概要
「瞳」は2006年8月に発売されたaikoの七枚目のアルバム「彼女」の最後を飾る曲であり、aiko屈指の名曲としてファンからの支持が厚い一曲である。初出自体は「彼女」のどの曲よりも早く、筆者の記憶によると既に2005年、もしかすると2004年に、ハミングのCM曲としてお茶の間にオンエアされていた。
 曲が誕生した経緯が(私の感覚では)あまりに有名なので、ファンならおそらく誰もが知っていることとは思うが、ご存じない方の為に説明したい。臨月の親友から「今破水しました!」とのメールを受け取ったaikoが、出産に臨む彼女と、新しく生まれてくる子供のことを想って作った曲がこの「瞳」である。
 私の記憶が確かならば、このことについて確かaikoメールで2004年頃にリアルタイムにファンに伝えられたはずである。残念ながら当時のaikoメールは、筆者が使っていた昔の携帯が初期化してしまった所為かデータが失われてしまったようで(めちゃくちゃショックである)参照出来ないのだが(もう十三年も前のことなのでしょうがないと言えばしょうがない)そんなaikoメールがあった記憶を妙に確かに覚えている。それに対して曲を作ります云々とあったかはよく覚えていないが、まさかその時の曲がこんなにまで素晴らしい名曲となり、aikoファンの暖かな愛を集めるまでになるとは、当時の私は思いもよらなかった。あくまで、ハミングのCMの曲、いい曲だなあ、と思うばかりだった。確かそのCMも赤ちゃんが出演していたはずである(2017年6月現在YouTubeで検索してみても「青い光」が使われている別CMしか見つからなかった)
 明確な音源化は2006年まで待たなければならなかったが、2005年秋に開催されたLove Like Pop Vol.9add(追加公演)にて流れたという。その時に「瞳」というタイトルであることも判明したのだろうか。そこまではわからないのだが――何せこの頃はまだ受験生真っ最中の頃で、時間はともかくお金がないので遠征なんか出来るわけがなかった(お金と時間は今もないけど)――おそらくこの公演に参加した落語家でタレントの、熱心なaikoファンとして知られる笑福亭鶴瓶師がいたくこの曲を気に入り、アルバムに収録され、最終的に「瞳」で2006年の紅白出場までこぎ着けたということは、やはり他のaiko曲とは一線を画するものを感じさせる。紅白からリストラされた2017年の今を迎えて考えるととんでもないことである。音源化に関してはファンの要望も強かったと思うが、紅白に関しては正直「瞳」以外で出場出来る要素がなかったので(別に雲リンが悪いと言ってるわけではない)このあたり鶴瓶師には頭が上がらない。
 師匠に頭が上がらない点はもう一つある。ベストアルバムまとめ発売時の番宣で鶴瓶師司会のTBS系のトークバラエティ「A-studio」に出演したのであるが、ここで「瞳」研究には必見としか言いようのない、大解剖とでも言いたいくらいの特集を組んでくれたのである(勿論番組でaikoが歌ったのも「瞳」、しかもフルサイズ)
 この番組で取得出来た「瞳」に関する情報を以下にまとめてみた。

 ・人に贈る、仕事とは関係ない曲はaiko史上初めて
 ・「今破水しました」というメールを受け取ったものの、どうすることも出来なかったaikoは、いたわりと祝福の想いを曲に託し、すぐに「瞳」(1番まで)を書き上げた
 ・「すぐに出来る曲は想いが強い」と手紙に綴った
 ・生後十一日後に曲を収録したCDと歌詞カードを持っていった。直筆の歌詞カードはその一家にのみ贈られている。
 ・親友とその旦那さんはaikoが縁を繋げた夫婦である

 放送が六年前で大分時間が経っており、録画を見直していた私も忘れていたことだらけで、また今回考察に臨むという心構えで見たので新しい発見を出来たことで正直大興奮な番組であった。改めて、どこまでも「瞳」という曲は特別な存在だなと、とかく深く感じ入った。そして歌詞の面から見ても、「瞳」は他のaiko曲とは違うのではないか、と私は考えるのである。

■「あたし」のいる場所
 歌詞を読んでいく前に少し書いておきたいことがある。
 aikoの歌詞の特徴というといろいろあるであろうが、私の言葉でその一つを書くならば「徹底的に「あなた」と「あたし」の狭い世界を舞台として描かれている」と言うものを挙げたい(※あなたの表記は曲によって「君」や「あの子」等に変わる)その曲の恋愛がうまくいっていようがいまいが、まだ始まっていようがいなかろうが、あるいは終わっていようがいまいが、あるいは恋愛であろうがなかろうが、あくまで「あなた」と「あたし」の物語であり、その地平は一定だ。
 ここに「第三者」が乱入してくる曲については以前「二時頃」の考察にて言及したが、そうではなく、「あなた」と「あたし」の存在する次元が違う――地平が一定ではないと明確にわかる曲があるとすれば、それはおそらく、現時点では「瞳」ただ一曲ではないか? と思うのだ。歌詞を全部マラソンして読んだわけではないので軽率な物言いになっているところは認めるが、少なくともそういった曲の一つであることは疑いようもないと思われる。
 この「瞳」において、「あたし」は「あなた」と具体的に、積極的に接触することはない。そもそもこの曲、「あたし」が現れるのは一番のラストのみで、「胸を体を引き裂くような別れの日」が訪れても、「あなたのそばにいる」と勇気づけるのみだ。いや、勇気づけることすらしてないのかも知れない。目に見えない存在としてあくまで「そばにいる」だけかも知れないし、私的にはその読みの方が好きだ。徹底して、「あたし」は「あなた」よりも離れた、少し上の次元で見守るようなポジションに在る。曲が出来た背景を考えるならそれも納得だろう。少し上の次元で見守っているような曲というと「歌姫」がまず浮かんだが、この曲の「あたし」は「瞳」よりもうちょっと積極性があるし、同じ地平に在ると思う。そもそもこの「瞳」の「あたし」は自分のことを歌ってるわけではないのだ。主役は「あなた」にある。なんとなく「蒼い日」も浮かんだが、あれはこれまでのいろいろなことを振り返っているようなニュアンスの曲なので見守るとは違う。
 先ほど「瞳」の「あたし」を「目には見えない存在」と読むのが私は好きだと書いたが、松任谷由実の名曲「やさしさに包まれたなら」には「小さい頃は神様がいて 毎日愛を届けてくれた」と言うような歌詞がある。「あたし」は目には見えず、人間(あなた)より上位の、見守るような存在とくれば――全知全能でもなく、世界を統べる存在でも、崇拝されるものでもないが、“神様”あるいはそれと並ぶような存在、と捉えるのがベストかも知れない。
 こういう「あたし」のポジションは、やはり「瞳」にしかないのではなかろうか。一言で言えば異色である。曲の誕生背景と併せれば、異色に異色を塗り重ねたような曲なのだ。そして私は常々こういった、「あたし」に見守られた曲がもっと欲しいなあ、とは思っているのだが(具体的に言うと、谷山浩子の「よその子」や「ひとりでお帰り」のようなもの)「瞳」について、そしてaiko曲について考えれば考える程、出来ればそういう曲は「瞳」だけにして欲しいなと思ってしまうのである。
 それくらい、「瞳」を特別な曲として私も愛しているのだ。と言って何かこの曲に関連した思い出があるわけでもないが、ただ初めてフルで聴いた時、aikoもこんな歌詞を書けるのかと純粋に驚いたからだ。それまで私が追いかけてきたaikoとは全く違うaikoの世界がそこには広がっていた。全人類に向けられた、普遍的に聴けるaikoの曲が誕生した。胸を熱くしながら、そう思ったのだ。

■普遍的な愛
 誇張でも何でもなく、この「瞳」は新しいaikoの世界でありなおかつ、万民向けである。aiko自身も「彼女」発売時のインタビューにおいて「自分では今まで書けるとは思わなかったですもん」と述べており、「あの曲は彼女と赤ちゃんのおかげでできた曲やけど、たくさんの人と、あと私の親に聴いてほしい。(中略)お父さんもお母さんも「瞳」の詞のような気持ちになったことあるのかなぁとか思ったなぁ」と続けている。また先述したA-Studioにて、鶴瓶師はこの曲を「娘が大きくなったらまた聴ける」とし、「母から娘に伝える歌」と高く評価していた。
 曲の背景が背景なだけにおわかりだろうが、この曲はそれまでaikoが数多く歌ってきた恋愛の曲ではない。本当の意味で「愛」の曲だ。生まれてくる一つの新しい命に最大限の祈りと祝福を贈り、それだけでなく、生と死が巡るこの世界の理までも歌い、その中で生きていくこと、誰かと共に生きていくことまでも歌いあげている。恋愛という、それまでの枠組みを外したからこそたどり着けた新境地である。aikoと言えば恋愛の曲を歌う人、であるが、それだけだと思っている人には是非この「瞳」を聴いてもらいたい。

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