■生涯忘れることはない
 以上、読んできたように、「カブトムシ」は非常に繊細な美しい一篇の、歌詞と言うよりも詩であった。この「カブトムシ」にストーリーはあるのか? この先二人は別れるのか? 続くのか? 意味はあるのか? と人が問うことがあるだろうが、歌詞を鑑賞した上でそう言うのならば、それは極めてナンセンスな問いかけだと言わざるを得ない。別れであろうと、これから続くものであろうと、正直それは「カブトムシ」と言う作品上ではあまり関係のないことだと私は思う。
 フレーズ各所の繊細な筆致、時間を止めたような精巧な描写から、カブトムシは(前置きに書いたように)空間芸術の次元に近いところにあると思っている。それならこの曲の主眼はどこに置かれているのかと言うと、一番サビの最後に述べたことと同じになるが、恋愛の一瞬を、最高潮に達しているその瞬間を、性急な時の流れの中にいつしか埋もれてしまうその一かけらを切り取り、永遠に残そうとする── 一瞬を永遠に昇華するところだと思う。
 そして無理にストーリーやあなたとあたしの考察をする必要もないのだと感じるし、aikoのライナーノーツで語られた情報もいっそ必要ないのかも知れない、とすら思う。リスナーの心と言うキャンバスにメリーゴーラウンドや、流れ星や、四季の移り変わりや、あなたの睫毛や、弓張月の夜と言った美しい絵を描かせれば、そしてそれを忘れないでいれば、「カブトムシ」と言う作品のねらいは達成されてしまうのかも知れない。少なくとも私はそう思う。生涯忘れることはないと歌うaikoに私達も生涯忘れることはないと誓うのである。

■終わりに──出逢いと愛をありがとう
「カブトムシ」についての解釈──いや鑑賞のしおりにしかなっていないこの文章はここで筆を置くことにするが、ざっと眺めて毎回のことなのだが賞賛しか出来ていない。が、もともとaikoを賞賛することも歌詞研究の目的の一つだし、何せ対象があの「カブトムシ」なのである。どれだけ語彙を集めて丸めて放ったところで賞賛に終わるしかないだろう。冒頭の概要に書いたように「カブトムシ」ばかりが注目される世の流れに、これからもやっぱり私はいちaikoファンとして不満に思っていくのだろうけれど、それはそれとして「カブトムシ」が文句のつけようもない美しい詩であることを、このaiko二十周年の記念すべき年に改めてしみじみ思うことが出来たのはこの上ない幸せであった。これがなかったら私はずっと「カブトムシ」をあまり歓迎できない曲のように思っていたかも知れない。
 新しいアルバムも出て、毎年恒例ライブツアーも始まって、今年のデビュー記念日は彼女の全ての原点、大阪でのライブである(いやしかしマジでaikoさん毎年デビュー記念日ライブしてんな)残念ながら私は行けないし前半戦も諸事情があって一度しかライブ参加出来ないが、二十周年でも変わらずに──けれどもどこかで見えない変化を確実にし続けていくaikoを、これからも私なりのやり方と私だけの愛し方で末永く応援していくつもりである。この歌詞研究もその一環だ。
 いろいろとだらけきっていて腐敗しきった私ではあるし、aiko以外に愛するものも沢山増えた。けれど、aikoへの愛も、あの時抱いた憧れも、追い続ける情熱も、今もこの胸に確かにあるのを感じている。aikoに出逢えたことを想うだけで生まれる涙がそれを証明しているのだろう。それこそ、“生涯忘れることはない”出逢いを、愛を、ありがとう──そうaikoに伝えたい気分で以て、この稿を終わることとする。

(了)

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