■社会と言う風
「強がり」が往々にして自分を破滅に追い込んでいくのは、何もそう珍しい話ではない。それこそまさしく、歌詞にあるように、「風が口を塞いでく」ようにだ。
 私がひっかかっているのは「心とこの風を〜」のくだり、最初に上げた三と四である。

 ばっさり自分の考え、つまり先に書いた例の新しい解釈、をここで書いてしまうと、「風」とは「世間」や「コミュニティ」のことを指すと思っていた。何とかそれを示せないかと思ってここまで考えてきた。しかし桜の時氏の解釈がそうであるように、考察を進めるうち、どうも「風」は自分が起こした、己の身を守るはずのもの、「言葉」だったらしい。「強がり」は自分の身を守るもので、おそらくは己についたであろう「小さな嘘」も、自分を守るもののような気がする。
 読者の方々よ、大人になるにつれ「嘘」とは自分につくものが圧倒的に多くなっているような気はしないだろうか? それは大体において、自分が傷つかない為の、一種の術に比せられるものではないだろうか? ……なんて、横道に逸れるのでここでやめるが。
「何事でもちょっと動くと風って吹くじゃないですか」とaikoが言うように、「風」とは自分から起こせるものである。そういえば、詩人・イラストレーターの326がフォークデュオ・19に「すべてへ」と言う歌詞を提供したが「風が吹かないそんな場所でも ぼくたちが走るなら感じる事が出来る」というフレーズがあり、中学生当時の私は初めて気付かされたそのことにいたく感動したことをふと思い出した。
 しかし考えてみれば風は、そもそもあくまで自然現象である。こちらに「起こそう」と言う気があって、自然に起きるならまだしも、「起こすまい」と思っても、起こさない、なんてことは、まず無理ではないだろうか。自然など到底人間が操れるものではないことは、ここ数年の異常気象や大災害で私達は嫌と言うほど身に沁みているはずである。

 さて、ここで一つなぞなぞを出そうと思う。
 起こそうと言う気があっても、起こさない気があっても、起きてしまうものはなーんだ。風以外で。
 正解は……多々あろうが、ゲームマスターは私である。答えは、「世間との軋轢」である。
 軋轢では響きが悪いのであるが、「社会やコミュニティで生活する上で、自分の思惑外で必ず生じてくるもの、多くは障害」 これもちょっと抽象が過ぎたまどろっこしい書き方ではあるが、これも「風招き」における、「強がり」や「嘘」に並ぶ「風」と見てもいいんではないだろうか。あるいは、「他者から「こうである」と期待される己のイメージ」など。こういうのは専門用語で何と言うのだったか。どなたか教えていただきたい。
 先の繰り返しになるが、風とは、確かに自分が走ったら起こせるもの(感じられるもの)であるが、それは限定的なものに過ぎず、多くは自然発生するものである。それは他者から自分に投げかけられるイメージも同じではないだろうか。そしてそれは往々にして「自分」とはかけ離れているものだったり、受け入れるにしても「こんなんじゃないんだけどな……」と言う想いが、いい意味にしろ悪い意味にしろ、僅かなりにも存在するもの、だと思う。しかし、それを受け入れて生きていくことが、すなわち社会で生きていくことではないだろうか。
 それを大きくひっくるめて、私の当初の読み通り、このことも「風」としよう。「風」は言葉であり社会である。社会は世界と置き換えてもいい。そもそも言葉(言語)は世界を作る(認識する)うえで必要不可欠である。言葉が世界なのだ。そして人間が社会的な生き物であり、喜びもまた社会や他者との関係の中で得られるものだとしよう。
 孤独な人間が何よりも欲しいものは「承認」である。そしてそれは自分以外の他者から与えられるものでなくてはならない。確かに、「風」を切り離して孤独に生きる道も悪くない。いっそ好きにやっていくならその方がいいとさえ思う。
 だがそこに承認はない。誰からも認められない。それ以前に、そこには誰ひとりとしていない。「独りぼっちが好き」と虚勢を張り、うずくまっているあたしがいるだけである。
 そんな中で、果たして「あたし」がやっていけるのだろうか? ――答えは否であろう。あたしはきっと独りで泣くのだろう。
 だが希望はある。あたしは、そのままで終わらない。
「風招き」はこのサビから始まる。

 転がせこの風を泣き叫ぶもいいさ
 だけどちゃんと泣き止んでね
 小さな嘘をいくつもついたね
 だから涙が止まらないのね

「だけどちゃんと泣き止んでね」というフレーズは「戻れない明日」(2010・2月)の「沢山泣いてもいいけど ずっとそこにいないで」とほぼ相似形を成すフレーズである。「あたし」を慰めるかのような厳しくも優しいこの言葉はおそらく自分に向けられたものである。

 「自分から動き出さないと何も変わらないんだなって。夜が怖いからって、怖いよ怖いよって隅で泣いているだけじゃないなぁって思って書いた曲でしたね」

 aikoはそう書いていた。「あたし」もこのままではダメとわかっている。
「転がせこの風を」――自分を守りもするが、同時に障害にもなる風を――今は苦しめられた海幸のようであるが、伝説の山幸のように意のままにしてみよう。吹かせてみせよう。今は泣いているけれど、いつかきっとそうしてみせよう。

 そうして、孤独でなくなろう。少しずつ少しずつ、心を開いていこう。
 強風が吹く時もあれば、優しい風や心地よい風が吹く時だって、あるはずなのだから。

 大丈夫。明けない夜はない。
 この風招きの「あたし」に「暁」が訪れるのは、だから、きっとそう遠くないはずだ。

(了)

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