光射す時、君に歌う -aiko「君の隣」解釈-



■はじめに
「君の隣」は2014年1月29日にリリースされたaikoの31枚目のシングルである。前年の2013年はaikoの記念すべき15周年の年であり、Love Like Pop16・Love Like Rock6・Love Like Pop16.5、そしてFC会員限定のLove Like Rock 0、計四つのライブツアーが並行して行われると言う実に精力的な年であった。その様子はDVD「POPS」「ROCKS」に収録されているので、是非ご覧いただきたい。

「君の隣」はその四つのツアーが後半に差し掛かった頃開催されたLove Like Pop16.5のアンコールで初披露となった曲だ。発売されたばかりの曲をツアーの後半や千秋楽のセットリストに組んだり、あるいは未発売だが音源が先立ってCM等で公開されているものが歌われたりと言う例は過去にもある。例えば「あの子の夢」は当時「BABY」未発売であったが、LLP12のツアー中にNHKの朝ドラ「ウェルかめ」の主題歌として既に放送がされており、LLP12のセットリストに組まれている(後半ではセトリから除外されていたような情報を目にしたことがあるが、記憶が定かでない)(それはともかくとして、もう一回歌ってくれ頼むからマジで。むちゃくちゃ好きな曲なのである)「瞳」もCM曲としてオンエアされていたが、LLP9の追加公演にて、歌われていたかどうか、これも記憶が定かではないのだがCDに先行して流れていたと言う情報を目にしたことはある(※Tour De aikoのセットリストには記載なし)
 しかし本当にどこにも音源が出ていない新曲を披露したのは正直LLR2にて歌われた「三国駅」と、デビューしたばかりの頃に開催したLLP1の「花火」くらいなのではないか。「花火」に関してはさすがに古すぎるし、キャパも人気も今ほどではなかったので例外として考えるが、「君の隣」はそんな経歴のある「三国駅」と同様の出生を遂げた、aikoの中ではわりあい貴重な存在と言えよう。

 まだCDが発売されていない曲を、ライブのこの瞬間だけで聴く。録音も出来ないし、音源自体もまだ世に出ていないから、もう一度聴きたくったって聴けない。だから私は「君の隣」に初めて出逢った時──それはLLP16.5大阪公演の一日目だったわけだが──そんな貴重な、大事な曲の初披露に立ち会えることに感動したものだ。だから私の思い入れというか、曲に対しての甘い憧憬のようなものは他の曲よりも特別濃かったように思う。優しいメロディと、まっすぐな曲調、晴れやかな歌い方がとにかく好きで泣けて、早くCDが発売しないかやきもきしていたものだ。ジェネリック「君の隣」と称し、おそらく同じスケールの曲である谷山浩子の「見えない小鳥」を聴いたりもしていた、と言うどうでもいい記憶も一応書いておこう(ほんとに同じスケールかどうかは知らない)(単に雰囲気が似てると言うだけで選んだ)
 特にCD発売以降は当時書いていた長編小説(「八犬士にさせないで」コミティア108にて頒布)のテーマソング(と言うか主題歌)として思い切り主人公二人を投影させていたこともあって(一番が男の子の主人公、二番が女の子の主人公の心情として聴こえていた)ますます思い入れが深くなった。これは豆知識だが、物書きが自分の作品と曲をリンクさせると非常に思い入れが強くなるのである。aikoと付き合って二十年近くもなれば、人生の思い出と同じくらい沢山の作品と曲が結びついているのだが、そんなわけで近年(と言ってももう五年前)のaikoの曲の中ではおそらく五本の指には入る、極めて好きな曲だと言わざるを得ない。
 さて、そんな著者の一方的な熱さを贈られるこの「君の隣」は、果たしてどんな曲なのだろうか。歌詞にはどんな想いが込められているのだろうか。

■ライブの申し子
 初披露の地がライブのアンコールだったこともあって、「君の隣」はライブを背景に生まれている印象が強かったのだが、どのインタビューを覗いてみても、ちょっと読むだけでそれがはっきり伝わってくる。この曲は本当に、ライブあってこそ生まれた曲なのだ。

「1人ひとり皆さんの隣で歌いたいという気持ちを込めて書きました。これまでライブのMCで私は「1対1で届ける」って言ってきたし、もちろん本気でそう思ってやってきたんですけど、その気持ちは今まで歌にできてなくて。書いてる途中で照れくさくなっちゃって書けなかったんです。でもやっと言えました」(ナタリーより)

 ここでも話されているように、aikoはライブでよく「一人一人に届きますように」「一対一で」と前置きして歌っている。「君の隣」はまさにその気持ちが歌として現実に現れた、芸術として昇華された曲だ。「照れくさくなっちゃって書けなかった」とあるが、これまで恋愛の曲を多く歌ってきたのだから、改めて恋愛とは関係なく、自分の気持ちを素直に表してそれをシングルとして出すのだから、気恥ずかしくなってしまうのも無理はない。オリコンニュースでも「隣で歌わせて」と言うフレーズについて「歌詞のなかじゃないとおこがましくて言えない言葉ではあるけど、それができたら幸せだろうなって思うんですよね」と話している。きっとaikoと言う歌手にとっては「隣で歌う」と言うことは一番の幸せなのだろう。

 ライブでのどんなところを思い浮かべていたのかについて、aikoの回答は読んでいてどこか切なくなるものだった。
「ライブをしていると中盤ぐらいに、「ああ、もうすぐライブが終わってしまってみんな帰るんだな……」って毎回感じるんです。で、帰ってる間にどの瞬間でみんなのスイッチが切り替わってしまうんだろうと思って。(中略)我に返るスイッチをいろんなところでみんなが押してるんだと思って」
「歌いながらそのこと(現実に戻る瞬間)を考えるときがあって。ライブが終わって客電がついたときに、みんなが荷物を持って後ろを向いて帰って行く瞬間のことが頭に浮かぶと、すごく寂しくなるんです。「ああ、終わっちゃうんだ……」って」(ナタリーより)

 始まってしまえば必ず終わりがやってくる。aikoが歌手活動を通し頻繁に向き合っているテーマと言える。どんなライブだってそうだ。始まって、最中はすごく楽しいけれど同時に「ここが最終ブロックなら、もうすぐ終わっちゃうんだな」「終わらないでほしいな」と、私はどうしても思ってしまう。終われば、皆それぞれ余韻を抱きながら帰路について、aikoの言う「我に返るスイッチ」を押して、それぞれの生きる世界、それぞれの日常に戻っていく。ライブの時間なんてその日常に比べればうんと短くて、滅多になくて、本当に「夢のような時間」でしかないのだ。「木星」の「2人の時間は宇宙の中で言うチリの様なものかもしれない」をつい思い出してしまう。

 オリコンニュースと別冊カドカワのライーノーツではこんな風にも語っている。
「(必ずやってくる“終わり”を強く意識してしまうことについて)そうなんです。それってライブはもちろん、生きるということに関しても同じなんですよ。大切な人の側にずっといたいけど、人生にもライブと同じように終わりが来てしまう。
 だから私は限られた時間のなかで、自分の思っていることをまっすぐに届けるにはどうしたらいいのかなってすごく考えるんです。そんな気持ちからできたのがこの曲なんですよね」(オリコンニュースより)

「ライブをやっていると、それが楽しければ楽しいほど、“この時間はあと少しで終わってしまうんだな”っていうことを思わず考えて、切なくなってしまうんです。だから私は、この限られた時間の中で、「大切な人に向けて大切な思いをしっかり届けるにはどうしたらいいんだろう」ってすごく考えるというか。この曲はそういう感情から生まれた曲なんですよね」(別冊カドカワより)

 限られた時間の中で、しっかり想いを伝えるには。これもまた、終わりを常に見据えるaikoと言うアーティストの中で度々繰り返されているテーマだ。そのひたむきさと真剣さに触れる度、彼女に対し私達はどれだけのものを返せているのだろうかと思ってしまう。せめて彼女のことをどこまでも追いかけよう、いつまでも好きでい続けようとまたライブ会場へ足を運ぶのだ。
 夢のようだけど、夢じゃない。ちゃんと現実だった。終演のアナウンスが流れて「いつも」の私達が目覚め、日常に戻っていったとしても、心にかかった魔法はネバーエンドだ。ライブであった面白かったこと、楽しかったこと、アホなことをふとした瞬間に思い出してほしいと言うことも、aikoはライブで常に強く訴えている。

「そのときの気持ち(思い出して欲しいと言うこと)を曲にしたくて書いたんです。その気持ちをちゃんと曲にできたから、これは自分の中でも大切な1曲になるなって。これまでのライブのときのうれしかったことや悲しかったこと、悔しかったことなんかも詰まった1曲になったと思います」(ナタリーより)

 aikoにおけるライブ。普段会えないファンの皆と交流できる貴重な場であり、その僅かな時間で生まれる絆はaikoにとってもファンにとっても特別なものになっている。aikoは一年のほとんどをライブで過ごしていると言っても過言ではないし、冒頭で触れたように「君の隣」発売の前年は15周年記念のツアーで全国を精力的に駆け巡っていたこともあって、発売当時のインタビューではいつもよりも一層、ライブとファンへの愛情と大切さを語るようになっていたのだろう。「君の隣」はその大きな愛情に包まれて生まれた、まさにライブの申し子のような存在だ。

「ライブのMCでたくさん話して密な時間を作っておしゃべりしてきたからこそ、この「君の隣」という曲ができたんだと思います」(ナタリーより)
「15年の中でライブをたくさんやらせてもらえたことで、その尊い時間が自分にとって日常と感じられるほど近くなる瞬間を何度も味わうことができたんですね。だからこそ、こういう曲が書けたのかもなって」(別冊カドカワより)

「やっぱりライブに来てくれたお客さんとの間に生まれる感情は、普段あんまり生まれないものなので。(略)ライブっていう場は限られた時間だからか、私の扉が開くのもすごい早かったりするんですよ。なんかすごい素の自分も出るというか」
「(それは昔から思ってることではなく)最近です。やっぱりずっとライブをし続けてなかったら、こういう感情も生まれなかったと思います。やり続けてきたからこそ生まれた関係性ですね。(略)そこからさらに(リスナーとの関係を)育てていきたいなと思って、そういう気持ちも歌詞にしました」
「ほんとに見えない何かで繋がってると思う瞬間もあるし……。それが続けてこれたから見えた世界があって、この曲もできたんだろうなって思います」(以上What’s In?より)

 このaikoのコメントに触れて感じるのは、やはり「君の隣」はもうaikoと言えばの「恋愛」ではないと言うことだ。少なくとも私にはそうは読めない。恋愛を超越したファンへの曲だ。広く信頼や親愛、友愛の曲だと言えるし、aikoからファンへの曲ということならば、その尊さから考えてみても私達とaikoのアンセムと言ってもいいのではないかとすら思えるのだ。



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