輝く君へ 煌きの応援歌 -aiko「キラキラ」読解-



■はじめに
「キラキラ」は二〇〇五年八月三日に発売された十八枚目のシングルであるが、当時のインタビュー等によるとaiko通算百曲目に当たる曲だったらしい。八月と言う発売時期もあるが、歌詞の中に「暑い夏の日」とあり、カップリングも「ある日のひまわり」と夏を意識させる曲が入っていることもあって、夏の一枚と言う印象が個人的には濃い。ライブ、テレビ番組等でも多く歌われ、ベストアルバム「まとめⅡ」にも収録されていることから近年の代表曲の一曲と言ってもいいだろう。

■「あたし」は死者であるか否か
 さてこのキラキラ、いつ頃からはっきりとそう思っていたかは定かではないが、私は何故かキラキラは死者の曲なのではないかと思いこんでいた。「あたし」は既に亡き者であり、死して後も「あなた」の帰りを待っている。そういう曲なんだろうと思っていたし、今もこの読みは有効だと思う。そう読んでる人は私の他にも少なからずいるだろうとも思っている。
 大体、「風になってでも」なんて「千の風になって」ではないけれど死すことへの婉曲表現で、「羽が生えた事も」も、一体何に生えたのか明示されてないが(単に昆虫が成長したことなのかも知れない)羽自体もしかして、とそれとなく死を暗示させるに足る記号であろう。「あたしはこうしてずっとここを離れずにいるよ」は場所を離れないタイプの霊である地縛霊の要素を感じさせる。
 そも、「死してなお待ち続ける」なんて、日本人のメンタリティに最高に訴えるシチュエーションではないだろうか。いや、別に日本人でなくとも訴えるものがあると思うが、ことに「待つ」という行動の健気さに私達はたびたび心を震わせるのである。故に、「キラキラ」の「あたし」が死者であると仮定した時、この「キラキラ」の持つ魅力は一層高まって聴こえるのだ。

■浅茅ヶ宿を例に
 このキラキラの「あたし」が死者であるとした場合、私は一つの文学作品を思い出す。上田秋成「雨月物語」の一編、「浅茅ヶ宿」である。
 簡単にあらすじを記しておこう。商いのため、故郷に妻・宮木を残し都へ向かった主人公・勝四郎。だが、戦乱の時代ゆえに七年も故郷に帰ることが出来なかった。宮木は既に死んでいるものと思って帰郷してみると、周りはすっかり荒れ果てつつも変わらない屋敷の中で宮木が待っていたのである。互いに再会を喜び涙する夫婦だが、一夜明けてみると周りと同じように屋敷も荒れ果てたものに変わってしまい、宮木の姿もなくなってしまっていた。彼女のものとおぼしき塚(墓)を見つけ、勝四郎は宮木が既に死んでいたことをようよう理解するのである。塚を世話してくれた翁の言によれば、どんなに戦火が厳しくなろうとも、周りが危険になろうとも、宮木はただひたすら勝四郎の帰りを待ち続けて、とうとう亡くなってしまったとのことだった。そのように健気な宮木の心は、伝説の真間の手児奈よりもどれほど悲しいものだっただろうか。自分の帰りを信じ、待ち続けた宮木に勝四郎が涙の中詠んだ一首の歌を以て物語は締めくくられる。「いにしへの真間の手児奈をかくばかり恋ひてしあらん真間のてごなを」
 雨月物語は「吉備津の釜」「蛇性の淫」「仏法僧」「青頭巾」といった怪異譚がほとんどを占めているが、「浅茅ヶ宿」は怪異譚と言うより、現代の恋愛ドラマよりよほどよく出来た歌物語であると言った方がいくらかしっくり来る。浅茅ヶ宿についてはこの引用程度にとどめるが、キラキラの「あたし」はきっと宮木のような女性だったのだと思う。尤も宮木は死んでもなお帰りを待っていたと言うよりは、夫の帰りに合わせて亡き魂があの世からやってきたと言う方が正確なのだろうが、死ぬまでずっと待ち続けていたのは物語にある通りであり、キラキラは彼女のテーマソングだと言っても言い過ぎではあるまい。
 あくまでaikoの楽曲、J-POPという形ではあるが、「キラキラ」もまたこうした文学作品の系譜の末席に置かれてもいいのではないか、と思う。歌詞ではあるが、歌詞も現代詩の一つの形であり、なかでもaikoはその最高峰にあるものだと信じて疑わない故である。
 しかしながら私は「思いこんでいた」と書いた。「あたし=死者」説は読み方の一つとして有効であるが、先に挙げた要素だけでは「あたしが生者ではない」と決定づけることは出来ない。「あたしは生者である」と言う可能性はゼロではないのである。考察するにあたりaikoのインタビューを参照してみて段々と「あたしは死者じゃなくて、ちゃんと生きている女の子なんじゃないかなあ」と言う想いが強まっていった。最終的に生者説を選択したからこそ、最初に死者説について触れたわけである。
 と言うことで、次はそう思うに至った要因であるaikoの言葉を見てみよう。

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