何度だって始めよう -aiko「木星」解釈-



■「木星」概要
「木星」はaikoの2002年発売の4thアルバム「秋 そばにいるよ」(以下、秋そば)の12曲目として世に発表された。アルバムのトリを飾る「心に乙女」の前に位置する曲である。トリ前の曲と言うと「風招き」「ヒカリ」「キスの息」などからわかるように、歌詞の内容がセンシティブでショッキングだったり、サウンドがどことなく攻撃的だったりと、トリ前に相応しい実力を有した曲が位置することが多い。
 そんな中で「木星」はまずイントロからして異質なものだ。aikoが「サスペンス系でお願いします」とアレンジャーに依頼した背景があるのだが、一聴しただけでどこか「怖い」印象を持たれるような(実際に曲が始まってみれば穏やかで優しいのであるけれど)イントロである。実際発売当時、著者の私は随分と怖がったものである。今でもランダムで流れてきたりすると一瞬「うわ怖」と震えてしまうことがある。少なくともaikoの曲の中で(歌詞の内容どうこうではなくサウンドとしては)一番「怖い曲」であるだろう。
 特殊なイントロのことも相まって、歌詞自体もそれこそ今回手をつけるまでずっとずっと、二十年近く不可解なものだった。故にaikobonのライナーノーツも、特にわからない曲だからと昔から読んでいたのだが、aikoの言葉もどこか抽象的でいまいち意味がわからなかった。少なくとも一読しただけですっと理解出来るものではない。
 ただ「木星」と言う曲名や「あたし空から飛んできたのよ」と言うフレーズ、おどろおどろしいイントロから何となく幻想的な一曲であるように私は捉えていた。あたしの日常や人生に密着しているような他の曲とは違って、住む世界や次元が違うような、天上人のような一曲ですらある雰囲気があった。ライブでもほとんど歌唱されていないのもそんな印象に拍車をかけている。とかく私にとっては「何かよくわからない曲」、その栄えある一位を飾っていると言ってもおかしくない曲だった。
 しかし、だからこそ研究しがいがあると言うものだ。私が私の為にaikoの曲を見つめ、自分の中にある曲のイメージや意味を彫り出すように形作っていくこの作業が読者の方の一助になれば幸いである。

■一緒に死にましょうとまで
 aikoはaikobonでこう語っているのだが、歌詞と言うよりは曲全体に対してのaikoの印象と言った方が適していると思う。

「これ鼻声なんですよ(略)で、レコーディングしたら、より悲壮感が漂ってて逆によくなったっていう」
「この曲をそんなつもりで作った気持ちはなかったんですけど、気がついたら“もう一緒に死にましょう”くらいな曲になってた。でも、それでもいいのかなぁ、って思った」
「なんか涙が出るとかなにか感情が沸き上がるというよりかは、真っ白になる感じですね、この曲は。なにかこう思い出して涙を流したりとか、感極まるっていうよりも。頭の中全部真っ白になる曲ですね。ライブの真っ白感ってライブでしか味わえないんですよ。その一瞬だけですね」

 曲に対しての印象とライブに対しての想いが混在して、参考になるのかならないのかわからないライナーノーツとなっている(だがしかし、aikobonのライナーノーツはこういうのが多い)

 もう一つ資料があり、ここではかなり曲に対する大きなヒントを述べている。秋そば発売時、新星堂発行の店内冊子・Pauseに掲載された全曲紹介の中でaikoはこう話している。

(ストリングスのアレンジについて)「“サスペンス系でお願いします”って感じでやってもらいました(略)なんで「木星」が出てきたんかなぁ?」

(<木星に着いたら2人をはじめよう>ってことは実際には2人は結ばれていないわけですよね?だから届かない思いを描きたかったのかなぁと思ったんですけど。と言うインタビュアに対して)
「あぁそうなんですか?…いやいや、そうなんですか?とか言ってしまった(笑)」
「なんかねぇ、甘いとか丸いとか優しいとかいう感情ではないですよ。もっとこの人と心中してもいいとかっていうぐらいの感じなんですよね。うん、そういう曲です。この中にある気持ちって血の繋がりよりも濃いぐらいのものですね」
「そういう気持ちは自分の中にもあって…でも書いてみてわかったんですけど、それは恋人だけじゃなくて、私が信頼してる人であればいいかもって思うんです。そういう絆って生まれると思う」
(人と人との繋がりの極限の姿なのかな。に対して)「そうですね」

 正直このaikoの言葉を読んだ時、と言うか読んでしまった時「やべー曲を引いてしまった……」と頭を抱えてしまった。そもそも歌詞を読んでもよくわからない上、aikobonで「一緒に死にましょう」と言う謎の印象を特に何の注釈もなく手持無沙汰に持たされ、それでも十数年よくわからなかった時点で「何だかよくわからない」ではなく「もしかして深く考えたらむちゃくちゃやべー曲なので、敢えて距離を取るのが適切なのでは」と考えるべきだったのだ。何だかとんでもないもの、たとえて言うならパンドラの箱を開いてしまった気分である。しかし今回は絶対に木星をやると決めたのだからやるしかない。

 もともと、aikobonの「一緒に死にましょう」発言を基礎知識として持っていたので「もしかしたらこの曲は心中とかそういう、死へ向かう曲なのではないか。曲の雰囲気からしても」と薄々思っていたので、むしろaikoの「心中してもいい」と言う発言は解釈の一致を感じる嬉しいことではあった。ただaikoの曲の中で程度の比喩として「死ぬほど」とか「死にたいくらい」とか「心臓止まる」とかの表現はあるものの、恋愛が辿る道として純粋に本気で「死」へ向かう作品は無かったのではないかと思う。故に何となく戸惑ってしまうのだ。

 aikoはああ見えて根がとんでもなくネガティブで、その壮絶さにはわりと本気で手の施しようがないのはファンになって十数年、嫌と言う程わかっている。なのでもっとちゃんと精査すれば他にもそういう曲があるのかも知れないが、あの人はネガティブなのだがしかし、それでも寸でのところでポジティブと言うか、かといって死ぬのも嫌というめんどくさいタイプの人でもあると言う印象があるので(※褒めてる)いい意味で「しぶとい」曲が多いのが実際のところである。
 付き合ってはいないし別れたりしているけれど相手のことを想ったり、別れる相手に自分のことを絶対に忘れることがないよう──二人の幸せな思い出が永遠に生き続けることを祈っていたり、どん底で駄目な状況でも明日に希望を見出してみたりと、僅かなりにもどこかしらに希望を持とうとする。つまりは、平たく言うと「生」を希求する、そんな作家であると私は考えているし、ゆえに私はずっとずっとaikoと一緒にいたいし離れたくもないし、大好きなのだ。
 だからこそ、「木星」についての発言にはこれまでにはなかった作風への面白さを感じる反面、戸惑ってもしまうわけだ。「やべー曲を引いてしまった」と書いたがまさにその通りで、ひょっとするとaikoの中で最も「ヤバい」曲なのかも知れない。それは別に「舌打ち」のように歌詞がひたすらに尖っているとか相手を呪っているとかではなく、何の躊躇もなく「死」を選べること、それを厭わないくらい巨大な愛と言うエネルギーを有していることから齎される純粋な畏怖に依るものだ。
 とは言え歌詞が直接的に死を描写しているわけではないし、それはあくまでどこまでもaikoの中の印象、と言う話になる。むしろこの歌詞を読んでからaikoの言葉に当たると「エッ? ドユコト?」と言う風に戸惑うことうけあいだろう。言ってしまえばaikoの言うことと歌詞が離れ過ぎているのである。だから私はかなり悩んでしまった。作家自身の言葉を尊重し、それを踏まえてから解釈に取り掛かるスタイルゆえに、aikoの言葉が足かせとなって、裂け目に深く嵌り込んでしまった──歌詞を解釈しようにもどうやっていけばいいか全くわからなくなってしまったのである。
 自分がふわふわとした形で持っていた木星の解釈(まだ歌詞を追ってない状態)とaikoの言葉を受けての考えがあまりに噛み合わない。でも、噛み合わないのだったら嚙み合わせるまで、擦り合わせるまでである。なのでここで一旦、aikoの言う「木星」への印象や私の中の考えや解釈等々を整理してみよう。



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