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あたしはここに立ったまま -「夏服」とaiko 切なさの考察 及び筆者の個人的な回顧録-



■夏服概要
「夏服」には二つの意味がある。まず一つは、二〇〇一年六月二十日に発売された、aikoのメジャー三枚目のアルバムのこと。そしてもう一つは、そのタイトルを冠されたアルバム隠しトラック曲のことである。
 これまでaikoにはインディーズの「GIRLIE」に収録された「れんげ畑」、メジャー二枚目の「桜の木の下」に「えせボーナストラックちっく」と称されて収録された(表に出てるのなら隠し曲もくそもないと思うが)「恋愛ジャンキー」、二曲の「隠し曲」があった。「夏服」はそれに続く三曲目の隠し曲にして、続く隠し曲が現れていない現在において、古い曲ではあるが一応「最新の」ボーナストラックだ。本稿は後者の隠し曲である「夏服」を扱った文章である。
 なお、恋愛ジャンキーにしろ夏服にしろ初回盤における歌詞の隠し場所は通称「ペロリ」と呼ばれている所である。CDトレイの下に入っている台紙を、端の方からペロリとめくると、そこに歌詞がある。なおこの「ペロリ」の伝統は隠し曲のない現在のアルバムにも受け継がれている要素であり(ただし初回盤に限る。よね?)aikoからのメッセージが記されている。(ただし秋そばはあんまりメッセージぽくない)なお「夢の中のまっすぐな道」は「星物語」の歌詞がブックレットではなくそこにあったりする(ちなみに筆者は「星物語」の歌詞にはすぐ気付けたけど、aikoからのメッセージには九ヶ月もの間気付けなかったゾ!)最新アルバム「May Dream」でも、ベストアルバム「まとめⅠ」「まとめⅡ」でも同様だ。アルバムが出た際は是非初回盤をお求めのうえ、ペロリしてみて欲しい。
 三番目の隠し曲と書いたが、私はこれに加えてある意味、「最初で最後の隠し曲らしい隠し曲」ということも提唱したかったりする。と言うのも「れんげ畑」は一トラック分短いブランクを置いたあとに演奏されるし、トラックとして独立して存在している。「恋愛ジャンキー」はトラックこそないものの、「カブトムシ」からそんなに間を置かずに演奏が始まるし、何よりアルバムの曲目にきちんと並んでいる。
だが「夏服」はどうだろうか。「初恋」が終わってから、数十秒どころか数分おいて始まるのである。それに曲目にも記されていない。いや――「夏服」と言うタイトル曲である以上、むしろおおっぴらに曲目は私達の前に現れている、とも言えるのだろか。何となく木を隠すには森の中と言うか、灯台もと暗しと言うか、そんな感じである。音楽に目覚め始めた中学生の頃にこの「夏服」を手にし、聴いたのであるが、それまでこのような隠し曲に出会ったことがなかったため(記憶してる限りでは。林檎さん辺りで出会っていたかも知れないけど覚えてないしノーカンで)初めて聴いた時の衝撃と言ったらなかったのである。隠し曲の鬼とも言えるBUMP OF CHICKENのそれらに出会うまでに、今しばらく時間が必要だったことも幸運と言えるかも知れない。
 しかしそれ以来、DVDの隠しコンテンツは充実する一方であるにも関わらず、「夏服」のような隠し曲が姿を見せることはなくなった。当時のライブの弾き語りコーナーでペロリのことも含め解説してもくれてたのになあ、と思うと少し寂しい。また隠し曲の文化が復活してくれないか願うばかりである。(カラオケに入るまで時間がかかるのがネックなのかしら? とちょっと思う。少なくとも夏服は数年かかったはず)

■夏服と私
 ここから少し、aikoと私、というよりはアルバム「夏服」と私の思い出語りをつらつら書いていきたいので、少し長文だが何とぞお付き合い願いたい。何を隠そう、私が初めてCDショップで買ったaikoのCDがこの「夏服」である。
 かれこれ十五年前のことともなると細部は全く思い出せず、一体いつニューアルバム発売の情報を手に入れたのか、そして、一体何故そこまでaikoに入れ込んでしまったのか、今となっては皆目わからない。ともかく私は、祖母からお小遣いをせびり(ばーちゃんごめん)五円玉、十円玉と言った小銭達までもかき集め、雨のそぼ降る中そのお金を握りしめてCDショップへと向かったのである。
 が、「夏服」は惜しくもその時点で完売しており(あの頃はフラゲ日逃すと初回盤買えなかったんだな~しみじみ)(とか書いてたら新曲「恋をしたのは」もそんな状況が多発している模様)失意の中だらーっと買うでもないCDの棚を眺めていたら、何故かまっっったく関係のない棚に一枚、あの黄色いカラートレイの「夏服」がひっそり並んでいたのである! ――この時私が早々にCDショップを辞し、結局買うのを諦めていたら、今のこの私はいないし、当然このサイトもなかっただろう。間一髪恐ろしいところであった。そもそもマジで何にも関係ない棚(確か演歌とかその辺にあった)に置かれていたのもきわめて謎だが、この「夏服」購入時のエピソードを思い出すにつけ、私は運命なるものの存在と、その神秘性に想いを馳せずにはいられないのである。
 この日から私はaikoをもっと聴きたいと思ってヌルコムも聴き始めたし(なお数週間もしない内に声帯結節によるドクターストップがかかり、いわゆるピンチはチャンス月間に突入した模様)あんまり書くべきことではないが、卒業まで続けることとなった不登校も始めた。不登校の間は現在までの人生で見ても一番時間のあった時なので、創作の執筆も捗ったし、アニメやドラマもいっぱい見たし、小説を沢山読んだし(私にとって、小説におけるaiko的存在とも言える吉本ばななの文章と出会ったのもこの時期だ)ゲームを沢山遊んだし、いっぱいいろんな音楽を聴いたし、何よりぐうたら雑記館さん「花火」の歌詞考察に感動して、初めて「文学」と言う学問を志そう、aikoの歌詞を文学的に研究したい、そう思った。中学校生活の思い出が人より少ないのは、今にして思えば本当に非常に残念なことではあるが――大袈裟に言ってもいいと思っているので大袈裟に書くが、つまり私の人生のターニングポイントとも言える時点にaikoの「夏服」が、大きく言えばaikoが、存在したのである。
 そんな「夏服」を私はそれこそ盤面が擦り切れる程の勢いで聴いていた。暗い部屋、エアコンをガンガンつけて何度も何度も繰り返し繰り返し、飽きもせず聴いていた。もしかするとaikoで一番聴いているアルバムかもわからない。それはドクターストップによりaikoの声が聴けなかったことと、私がもっともっとaikoのことを知りたいと切実に思っていたからだろう。最近はあまり聴くこともなく、実際そこまで好きな曲が入っているわけでもないのでお気に入り度は低いが、私のaikoへの原初の愛みたいなものが一心に籠められている為、ものすごく特別な一枚なのだ。
 そして当然、私は隠し曲の方の「夏服」も何回も聴いていることになるのだが、「悪口」を初めて聴いた時と同じ印象を、確かこの曲にも抱いていたような覚えがある。「悪口」の方は前回掲載したのでそちらを参照していただくとして、つまりそれはどういう気持ちかと言うと、「aikoってこんな曲も書くんだな」と言う「意外さ」であった。それこそ、後述するがaikoもaikobonで言っていたような、「知らないところを見てしまった」気持ちに囚われ、戸惑うでもなく、怯えるでもなく、ただただ、私はaikoと言う存在が気になった。
 あんなに明るく見えるあの子が、どうして夏の始まりに、こんな切ない、寂しい曲を書くのだろう、と。冬の切なさをひきずったまま夏へ行くことは出来ない、だから夏服を着ないで欲しい。そういう表現の巧みさに感心した面も勿論あるが、私はこの曲に込められた切なさ、寂しさに、今でもなお心惹かれるのである。――惹かれ続けて、もう十五年もの月日が経ってしまったのである。

■冬から夏へ 世界を変える儀式
 ところで、夏服、それも制服の夏服と言うとどこかとびきりに特別感があるものだと思うが、どうだろうか。一年十二ヶ月の間、夏服に衣替えするのが六月、冬服に替えるのが十月とするとせいぜい四ヶ月、一年の三分の一しか夏服の期間はない。それも夏休みがあるから一ヶ月ほど間引きされるとして三ヶ月。一年の四分の一となる。まあそもそも四季で四分割すりゃそら当然のことなのだが、あとの四分の三がずっと冬服、というか別に冬と敢えて言うこともない、普通の制服の期間であるに対し、夏服の特別感たるや! と思わないだろうか? それも楽しい夏休みを予感させるもので、実にハッピー! な感じはしないだろうか。
 しかもこれはあくまで学校生活における制服の夏服の話である。大人の私達からすりゃせいぜいくだらないクールビズがあるくらいで衣替えも何もあったものでもない(制服のある職業なら別ですが)夏服を考える時、そこにはもう戻らない、いや戻れない青春のきらめきが自動的に加算され、やっぱり特別! な気がものすごーくするのである。さらに言うと、制服の衣替えと言うのはどうもガラパゴス文化万歳かつ、四季がはっきりしている日本に特に根付いた文化であるようで、欧米諸国ではそもそも制服があるところ自体稀であるし、四季のあれこれが日本とはだいぶ違ったりするし、そもそも服装をはじめとする自由さに関しても日本の窮屈にすぎる学校社会とは比較にならない。と言うことを踏まえても、日本の学校社会の制服制度において、冬服から夏服に替えることはやはりそれなりに特別な意味が付されていると思うのだ。
 服を替えることで、冬、春から夏と言う、これもまた特別な季節へと緩やかに、着た者の世界は移動する。服を替えるだけで気分が変わる、とはファッションの魔法を語る時によく口にされる言葉であるが、衣替えとは大袈裟ではなく平安時代から続く一種の儀式であり、世界を移動する――変える手段とも言えよう。
 だが、つまりそれは、逆に言うならば、夏服を着ることの出来ない者は、ずっと夏以前にとどまってしまう。「そちら」側に行くことは出来ない。そういう記号にもなり得るということであろう。

■それは切ない夏のはじまり
 一年で最も生命力と活気、喜びとわくわくに溢れる季節・夏。夏服を纏うことで私達の気分もまたそのように変わり、二度とは来ないその時間を精一杯目に焼き付け、胸に刻もうとするだろう。以前ブログでaiko歳時記、なんて称して、aiko曲の四季をちょっと調べてみたが、夏が好きな彼女自身を反映するかのように夏の曲が圧倒的に多い。最新曲「恋をしたのは」のカップリング「夏バテ」と「微熱」も夏の曲だし、アロハの開催のことにしても、aikoの人間性と夏という季節がきっと合っているのだと思う。
 しかしながら、私と「夏服」の思い出でもちらりと書いたが、「夏服」は夏の始まりに位置する曲にしては、決して明るいトーンだとは言えない。――なんて書くと私がaikoの夏曲全部を読んだ上でそう言ってるのかと言えばそうではない。今そこまで手を広げるととんでもないことになるので、このことは来年、十九周年記念の前期歌詞研究で調べたいと思う。
 ということで「夏服」は、あくまで私の印象だけの話ではあるのだが、短い曲ながらもシンプルな「切なさ」が凝縮されている曲で――シンプルとは言え、それこそ、「夏服」全収録曲の切なさを当てても、まだ足りないと思わせるくらいの――これからの夏の盛り、そこでの煌めきに胸をときめかせる期待を抱くのに、それを少し躊躇してしまうような歌詞が綴られている。まるで夏という季節の裏側に隠された何かを、そっと歌うように。

■夏服の誕生背景とその意図 aikobonより
「夏服」は、アルバム「夏服」楽曲の収録中に誕生した曲である、とaikobonライナーノーツで明かされている。今はなき一口坂スタジオにて十五分から二十分と言う驚異的な短さで、歌詞もメロディも完成させてしまったのだと言う。ワンドロですら無いのだ。つくづくaikoは仕事が早い。と言うか、ライブでお馴染みの即興のこともあるが、思いついたことを瞬時にとどめ、さらに膨らませ、形にする才能が異常である。小説書きが専門である私としたら、一つのモチーフが浮かんだら、ストーリーが出来上がるまでに長い時間をゆっくり掛けていくのが常だし、その膨らませる課程を楽しんでいくのが好きなので、aikoのこういった一気呵成さは、私にはない。なので純粋に憧れる。多分、aikoは一つの題材に長い時間をかけて楽曲制作することはあんまりないのではないだろうか。
 話が逸れたので元に戻す。曲のタイトルは「夏服」とすぐに決まった。まだアルバムタイトルも決まっていなかったので、タイトルにし、更にボーナストラックにして「実はこれが「夏服」でした」と言う仕掛けを施したのだという。確か「秘密」の発売時にタイトルチューンが苦手だと言っていたaikoにしてみたら、ラジオでかけることも出来ないゆえに丁度いい提案であっただろう。
 aikoは歌詞についてこう語る。

「学生時代に衣替えの日ってあるじゃないですか。あれで、好きな男の子が夏服に着替えてたり冬服に着替えてたりすると、すごく私は切なくなってて。相手の知らないところを見てしまったような気がして、すごく置いてけぼりをくらった気持ちにいつもなってたんですよ」
「それは友達もそうだったんですけど、自分かて着てるのに、変わっていくみんなを見て、ひとりすごく孤独感を味わったりしてて」
「恋愛でも、そういう孤独感を表現したくて。自分の中でのそういうせつないとかをすごい出しやすかったのが冬服から夏服に着替えるっていう、そういう服の転換だったんですよね」
「ほんとだから冬服とか夏服って言葉、私の中ではすごいせつないんです。なんか。学生時代を思い出してしまって。好きな人がマフラーとか巻いてるとすごいせつないんですよね。知らないところを見てしまったような気がして。すごくせつなくなる」

 歌詞にまつわる箇所をほぼほぼ全文を抜き出してしまったのも仕方ない。これを読んで「うおおおお!! わかる!! わかるよaiko!!」となってしまったのでその勢いを抑えることが出来なかったのである。
 好きな人の知らない部分。相手の全てを独占出来るわけでもないし、全てを知ってるわけでもない以上、知らないところが表に現れることは別におかしいことではない。好きな人でなくても、友人、知人、家族、いろんな関係にありうる話だ。独占も出来ないし、全部を知ることも出来ない。そうはわかっていても、けれども切ない。その人と自分とのズレを――例えば、他の曲を引き合いに出すならば、前回読解した「星電話」における「強いあなたしか知らなかったような気がした」のように――目の当たりにした時、そこに歪みのような切なさが生まれるのは真理である。
「なーんやそんなこと」と笑って済ませられるタフな人も中にはいるだろうが、一生付きまとう人には一生付きまとう切なさだ。私は度々その切なさに遭遇し、今もなおその哀切なるものに世の無常と、自分自身の停滞を感じてしまう。例えば友人、身内の結婚や出産。芸能人の交際報道、結婚のニュース。例えば友人の、私の知らない友人。私の知らない彼氏。彼女。いつのまにか結婚していたフォロワー同士。いろいろある。もっとレベルを下げるなら、それこそ、服装の些細な違いでさえもその切なさは息づく。
 どうやら私とaikoはこの「知らないところを目の当たりにした時の切なさ」に関しては免疫のつきにくい人間なのだろう。先述した、「一生付きまとう人」なのだ。そして、「夏服」を読み解くにおいて、aikoも言っていて、歌詞にもあり、ライナーノーツで頻出している「切なさ」が、この曲の肝であることは言うまでもないようだ

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