なんちゃって比較文学で歌詞解釈 ― aiko「ラジオ」と谷山浩子「ひとりでお帰り」



■まえおき
 本稿はブログ「たまきはる」2013年6月の1日・2日・7日の記事「なんちゃって比較文学で歌詞解釈」を愛子抄歌詞考察ページ用にまとめ、加筆修正等を施し、再録したものです。


■はじめに
 自分は比較文学をやったことはないし、専門の人からそんなんじゃないと言われると思うのであくまで「なんちゃって」である。しかし、全く関係のないアーティストの歌詞を参考にしながら歌詞を読むと、さながらビリヤードのように解釈と解釈がぶつかり、新たな見解が示せるように思うのである。
 今回は私の専門であるaikoで、私がaikoに次いで好きな歌手、というよりもむしろ物語作者である谷山浩子のとある歌詞を読み解こうと言う試みである。aikoは「ラジオ」、谷山浩子は「ひとりでお帰り」でそれぞれ読んでいこうと思う。(以下、浩子さんは谷山と敬称略で記す)


■太陽と月――aikoと谷山浩子
 さてaikoと谷山浩子の関係だが、この二者を並べて検索すれば見事に私しかひっかからないくらいに全く毛色の違うアーティストである。aikoはしかし、aikobonで大貫妙子氏の「メトロポリタン美術館」の収録されたアルバムを挙げているように、幼少期はおそらく八十年代の「みんなのうた」を視聴していたと察することが出来る(どちらかと言えば彼女は「ひらけ! ポンキッキ」を視聴していたようだが。)
 それならば、谷山浩子の代表曲であり「みんなのうた」を代表する曲でもある「まっくら森のうた」「恋するニワトリ」も当然耳にしていたのではないだろうか。少なくとも、可能性がないとは言い切れない。しかし、私は彼女が谷山浩子について言及しているところを見たこともないし、聞いたこともない。
 全く毛色が違うと書いたが、谷山浩子はaikoとは本当に真逆のアーティストである。言い過ぎかも知れないが何から何まで違う。使用する楽器こそ鍵盤系で同じであるが、まずライブスタイルが違う。aikoはaikoも観客もぶつかりあう激しい体育会系のものだが、谷山はピアノ一つの弾き語りで、観客は静かに聴く。会話がないことはないが、aikoのように我も我もと激しく食いついてくるということはない――尤もこれはaiko以外のアーティストは皆そうかもしれないけど。曲調も歌詞の傾向も違う。
 一つ一つ詳しく書きたいが割愛することにして、この二人の歌手が特別枠で好きと言う自分は、自分のことだがはっきり言っておかしいと思う。一つの空に太陽と月を同時に浮かべているようなものである。そもそも谷山は歌手でなく、ソングライターになりたかったのであり、「歌手を志したことがない」「(ソングライターになりたいがために)仕方なく歌手になったんです」とはっきり言っている(二〇一二年四月放送のオールナイトニッポンゴールドより)スタート地点が全く反対なのだ。今でも「歌手になる」と言う夢を抱き続けているaikoと真逆な存在となるのも、むべなるかなである。コンサートも、苦手じゃなくなるのに十数年かかったと言っている。
 それでも今回取り上げる二曲は、全く異なるアーティストでありながら不思議とどこか似ている。全然違う歌詞同士をつきあわせて考えてみると、結構読み解きやすくなったり新しい解釈が生まれたりするんではないか? と言うことで、やってみたのであった。

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