■「ラジオ」から読む「ひとりでお帰り」
 まずaikoの「ラジオ」から谷山の「ひとりでお帰り」を読んでみよう。
 ここで簡単に曲のプロフィールを書いておく。「ラジオ」はaiko初のベスト盤「まとめT」「まとめU」の初回限定版特典・ヌルコムCDに収録されている一曲である。今のところ歌詞も発表されていないので、歌詞参照は私の耳コピしたもので行う。ラジオを聴いて青春時代を過ごし、また歌手になる前はラジオDJであった彼女が、その想いを描いた曲である。
 一方谷山の「ひとりでお帰り」は九四年に発表されたアルバム「銀の記憶」の一曲目である。ベスト盤「白と黒」ライブ音源のベストアルバム「memories」にも収録されており、私個人の想いを書くなら、おそらく谷山で一番好きな曲である。初めて行ったコンサートでアンコールに歌われた時はまさか歌われるとは! と一瞬信じられなかったものだ。また同名の小説もあり、この曲はこの小説と不可分と言ってもいい程の作品なのだが、今回言及は割愛させていただく。歌詞はこちらの歌詞サイトなどを参照。

 谷山はこの曲を「励ましソング」としているのだが、「どんなに淋しくても きみはひとりでお帰り」というラストの歌詞は一見すると「突き放している」ようにしか取れない為、「励ましソングではない」と言う意見も多く寄せられていると言う。これは去年の四十周年記念コンサート(大阪)・一昨年のソロコンサートのアンコール(金沢)でも同じことを言っていた為、おそらくこの曲にはつきもののエピソードなのだろう。現在、ライナーノーツつきの「白と黒」を所有していない為ライナーノーツは参照出来ないが、ライブ音源ベストアルバム「Memories」では「淋しい時には、本当にひとりになってみることが自分を救ってくれる場合があります。そういう歌です」とある。今回の歌詞読解はこのコメントを参照せず歌詞のみで見ていたので関係ないのだが、一応ここに記しておく。
 その「励ましソングではない」とされるゆえんの「きみはひとりでお帰り」と歌われるまでに、歌詞の中ではどのような言葉がこの語り手から「きみ」にかけられるのだろうか。

 きみの今のその淋しさが
 遠い街の見知らぬ人の
 孤独な夜を照らす
 ささやかな灯に変わるだろう(1番)

 店じまいした空の上から
 満月 きみに声かける
 暗くけわしい道をわたしが
 照らしていてあげるから(2番)

 明確に「励まし」っぽく聞こえるのは以上の二連である。後者の「わたし」は「満月」の一人称と考えるのがいいだろう。となると前者が語り手の言葉なのかもしれない。前者も、かつてはそのような淋しさを抱える人だったのかもしれない。では前者の正体を具体的に定義するなら何なのか……そこで見てみたいのがaiko「ラジオ」である。
 実は「ひとりでお帰り」と「ラジオ」で語られる(描写される)人物の状況はかなり似ている。「踊っている」か「ラジオを聴いている」かの違いはあるが、「ラジオ」はこうである。(ラジオは先にも書いた通り正式に発表されている歌詞カードはないため耳コピ歌詞となる。私が書き起こした歌詞はこちらを参照)

 夜中に目覚ましかけて こっそり秘密で出掛けるの
 大切な茶色の靴で 歩くたびかかと鳴らしながら
 空気は冷えて白い息 だけどなんだか寒くない
 そして聴くのはラジオ 電波が星と星を繋ぐ

 夜中に(わざわざ)目覚ましをかけてこっそり家を抜けだしラジオを聴いている少女が「ラジオ」で描写される主人公の一人である。(「ひとりでお帰り」はむしろ「夜になっても家に帰らず街にいつづける少女」であるが)
 だが「ラジオ」に主人公はもう一人いる。

 声だけであなたが泣いていることも 今じゃわかるよ

「今」と言う時間軸にいる大人になった「あたし」である(「大人になってもこの世界は いつでもあたしを子供に戻す」参考)それも、おそらくは「ラジオDJ」になった「あたし」 だ。「ひとりでお帰り」の語り手はこの大人になった「あたし」に相応するものだと考えられる。
「ひとりでお帰り」の語り手の正体は「ラジオDJ」の可能性がある――ということだ。もっとも、これはaiko「ラジオ」とぶつけてみたから導きだせた一案に過ぎず、他の谷山楽曲と比較するならむしろ「神様」や「母」と言う見方の方がずっと正しい(例:「神様」「よその子」)
 真逆だとさんざん書いたが、谷山とaikoには貴重な共通点がある。それは、谷山もまたaikoと同じように、オールナイトニッポンのDJだったと言うことだ。それもaikoよりも深い時間帯の深夜三時から五時の担当だった。そこに寄せられるハガキはいわゆるネタハガキが多かっただろうが、こんな時間に起きている人は――もしかするとどこか淋しさを抱えた人達だったかもしれず、多くのネタハガキの中で、ぽつりとした淋しさをもらした人達も中にはいたかもしれない。
 aikoもそうだが谷山自身も夜型人間であり、「暗い谷山浩子」を決定づけた初期のアルバム「夢半球」のA面で歌われるような孤独と悩みを抱える人物であった(そしてそれはおそらくaikoも同様である)そんな人物が――歌手をやることやコンサート自体も最初は嫌だった程の人物がラジオDJとして多くの人達を笑わせていたのである。
 つまりこの歌詞そのものなのである。

 きみの今のその淋しさが
 遠い街の見知らぬ人の
 孤独な夜を照らす
 ささやかな灯に変わるだろう

 勿論、誰しもラジオDJになれるわけではない。しかし「ひとりでお帰り」発表から時は流れ、Twitterやニコ生、USTREAMと言ったインターネット同期サービス華やかなりし時代となった。誰かが起きていてその人と会話することも出来るし、ただダラダラと喋っていても、誰かの心の慰みに、「ささやかな灯」になるかもしれないのだ。
 そして昨年発表された「同じ月を見ている」もまた「ひとりでお帰り」のテーマの再奏と言ってもよく(どちらかと言うと「銀河通信」の進化形であるが)また「ラジオ」の曲と言ってもいい。オールナイトニッポンの裏番組、NHKFMの深夜と言えば「ラジオ深夜便」であり、その「深夜便のうた」としてオンエアされていたのである。以下に抜き出してみよう。

 今夜 同じ月を
 違う場所で見てる
 たぶん一度も会うことのない
 あなたとわたし
 伝えたい 元気でいると
 伝えたい 元気でいてと
 心が 静かに溶けて
 今 流れ出す あなたへの歌

 世界に 数えきれない
 ひとりが 今日も生きてる
 泣きながら 笑いながら
 迷い うつむき とまどいながら
 今夜 同じ月を
 違う場所で見てる
 ひとりひとりの ひとりの思い
 夜は抱きしめる

 歌詞を抜き出してみると、「同じ月を見ている」はaikoで言うと何となく「すべての夜」に近しいような気がするが。
 さて「同じ月を見ている」を抜き出したが、本稿は「ひとりでお帰り」についてである。「ささやかな灯」になる。そうだろう。しかしそう歌えるまでに、そうと認められるまでに、人は孤独を経験しなければいけない。孤独を真に知る者こそが、他者の孤独を理解し、決して一人でないと否定し、真に励ますことができる。

「ひとりじゃないけどひとり」
「ひとりだけどひとりじゃない」

 故にこの曲は「ひとりでお帰り」と励ましを込めて歌うのである。

 たとえば夜が深く
 暗がりに足が怯えても
 まっすぐに顔を上げて
 心の闇に沈まないで

 どんなに淋しくても
 きみはひとりでお帰り
 どんなに淋しくても
 きみはひとりでお帰り

 最初にちょっと触れたように、谷山には同名の小説もある。大変な名作で、私はそれまで読書で久しく涙していなかったのだが、その著書で大号泣した。まさにこの「ひとりでお帰り」の小説版とも言え、この曲の歌詞研究にはこの小説からのアプローチも考えなくてはならないのだが、今回はaiko「ラジオ」を使っての歌詞読解であるため考察は割愛させていただいた。また小説は惜しくも絶版であるが本当に名作なので、復刊ドットコムの投票をお願いしたいところである。

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