虹の未来に桜咲く -aiko「桜の時」読解-



■はじめに
「桜の時」は2000年2月17日に発売されたaikoの5枚目のシングルである。「花火」で全国に名が知られ、「カブトムシ」により更に知名度を上げたaikoであるが、この「桜の時」でより一層その地盤を固めたと言う印象がある。その翌月に出た「桜の木の下」はミリオンヒットを記録、みるみるうちにaikoは有名アーティストとしての階段を着実に昇っていったのだが、両者のタイトルの相似からして「桜の時」はアルバムをPRする先行シングルとして十分に役目を果たした一枚とも言えよう。
 それに発売した時期も適切だ。発売日だけ見れば2月とまだまだ冬真っ盛りの頃だが、程なく季節は春に向かう時期。卒業、入学、新生活シーズンも控えている頃だし、春の定番イベントであるお花見もある。春を彩る曲がラジオやテレビの電波に乗りやすい時期で、日本人が愛する「桜」を冠する曲ならば耳に馴染みやすいだろうし、流しやすい。「花火」「カブトムシ」もラジオによるパワープレイがそのヒットを担ったところがあるわけで、「桜の時」もまたラジオでよく流されたことだろう。カルピスのCMソングだったからお茶の間でも流れていたので、三曲連続で広く一般のリスナーに届いたと考えられる。お蔭で「桜の時」は発売から二十年近く経った今でも、春先になるとラジオやコンビニ等の有線放送で流れることの多い、aikoの代表曲の一つだ。
 アルバムでは「桜の木の下」と「まとめⅠ」に収録され、この度発売したシングルコレクション「aikoの詩。」にもばっちり収録されているが、実はaikoには珍しく初回生産20万枚限定のシングルであるため、CDの入手自体、特に新品は2019年の今では困難である。その為カップリングの「アイツを振り向かせる方法」「more&more」は配信もされていないのでaikoの中でもレアなカップリングである。かく言う私も「桜の時」はいわゆるレンタルショップの“レンタル落ち”で入手したものなのでCDの盤面にはレンタルCDにお馴染みのシールが貼付されているものになっている。aikoファンになってかれこれ18年経つが、綺麗な状態の「桜の時」を改めて入手したいなあと思いつつ未だに出来ていない。アルバム初回盤は十周年の際に復刻されたのだから「桜の時」も復刻して欲しいものである。
 曲に対して著者の思い出を語ると、「花火」でaikoに出逢った私であるが、「カブトムシ」が私の中では印象薄かったのに対しこの「桜の時」は再びaikoに注目する一曲であった。ストーリーの思い浮かぶ幸せな歌詞とキャッチーなメロディライン、何より麗らかな春を舞台にしたこの曲は、春の訪れを愛する私にとってとても好ましい一曲としてすっと身に心にしみたのである。思えばaiko=明るい人と言う無責任な印象はこの曲によって生まれたのかも知れないが、ともかく小学校を卒業し中学生になろうとする多感な少女の頃の私の傍にいた一曲であり、聴くと非常に懐かしい気分になる。二十年近い時を経た今も春を象徴する曲として愛している一曲だ。


■つるっと生まれた春の歌
 aikoはこの長年愛されている代表曲をどのような思いで作ったのだろうか。とaikobonを開いてはみたものの、あまりめぼしいことは書かれていない。

「この曲も、何かこういうきっかけがあった、とかっていうより、ホントにす~ごくつるっとできた曲です。やっぱりね、シングルに決まりやすい曲っていうのは、5分、10分でできた曲がディレクターとか社長の耳にくっと引っ掛かる曲みたいですね(笑) 「桜の時」も何か曲を作ろうとか、こんなんにしようって思って作ったわけじゃなくて、すぐできた曲でした。でも私、花粉症なんでほとんど花見したことないんですけどね……」

 苦心して生み出したものよりもシンプルに生み出したものが高評価を得る、というものは音楽、イラスト、小説、料理、とジャンル問わず共通する「あるある」ではあるが、この「桜の時」もこの類だったようだ(他の曲でも似たようなことを書いたのだがどの曲だったか失念してしまった)この「つるっと」安産で生まれた曲が二十年近く聴き継がれ歌い継がれ愛される曲になろうとは、面白い話である。

 なお「桜の木の下」発売前後の雑誌「H」ではこんな風に話している。
「“桜の時”のほうは、これは春の歌が作りたいなと思ったっていうか。季節感のある曲を作るのがすごく好きで、あとはすごく色合いのある、色が思い浮かぶ曲を作りたいなと思って作りましたね」

 ここでの「季節感のある曲を作るのがすごく好き」にふと違和感を覚えた。「4月の雨」でインタビューを調べた時、2013年のaikoは「記念日の曲を作るのが苦手」であると言っていたからだ。が、「記念日の曲」と「季節感のある曲」はちゃんと考えれば別物だろう。そもそも「季節感のある曲を作るのが苦手」ならあんなに沢山夏を舞台にした曲はあるまい。愚問であった。
 ただ、同じく「4月の雨」について書いていた時、aikoの中での春は「どこか物悲しいイメージ」というものだと知ったのだが、「桜の時」はそのイメージから随分離れた明るい曲である。とは言え十年以上の隔たりもあるし、aikoも作家であると同時に職人であり、一応は音楽を売る側の人間なので、己の春のイメージは一旦置いておいて、一般的な「春」のイメージで制作されたのがこの「桜の時」なのだろう。「色合いのある、色が思い浮かぶ曲」と言うコメントは、曲名は勿論カラートレイや和紙の歌詞カードに示されている通り春らしい桜色、ピンク色を想定していたと思われる。
 しかし「春」と言うと、aikoの「どこか物悲しい」と言う考えも踏まえて、個人的には「終わり」と「始まり」の交差する、あるいは重なる季節である印象がある。「4月の雨」の読解でも書いたが、学校生活では卒業式と入学式であったり、進級だったりクラス替えだったり、企業では入社や異動があったかと思えば転勤や退職があり、ラジオやテレビは番組改編期で終わりを迎える番組があれば始まる番組もある。そこには必ず悲しさや寂しさがあって、けれども同じだけ新しい世界や未来への希望がある。別れがあって出逢いがある。切ないけれど暖かい。終わりと始まりが同時に存在しつつ、新しい未来へと弛まなく進んでいく、不思議な時──春は、言ってみればそんな季節である。



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