■「現在」の雨、「未来」の虹
 まあそんなちょっと湿っぽい私個人の印象など、この暖かくて愛おしい「桜の時」には全く不釣り合いであるので、気にせず歌詞を読解し、ストーリーや背景、そこに見え隠れする意味や暗示を私なりに探していこうと思う。

 一番Aメロは主人公・あたしのモノローグのように綴られる。「今まであたしがしてきたこと間違いじゃないとは言い切れない/ケドあなたと逢えたことで全て報われた気がするよ」と言うフレーズは文章として含みと言うか遊びの幅があって、あたしがどんな人間だったのか、どんな過去があったのかいろいろ想像し、あるいはリスナー自身や他者を投影させて思いに耽ったりといろいろ出来る箇所だ。
 あたし自身少なからずその過去に問題があったり、隠しておきたいことがあったり、色々気にすることが多かった。けれどもそれが「あなた」に出逢えたことで全部が報われた。全てがあなたに繋がっていた、欠点のように思えた様々なことは無駄ではなかったのだ。報われた、とここで表現されているが言い換えれば「許し」でもありだろう。オセロをひっくり返すように、間違いじゃないと言い切れなかったあれこれが全て肯定出来ていく。それは紛れもなく許しであり救済だ。あなたと言う存在、あなたへの想い、全てが世界を変えていく。

 続くフレーズも短いながら巧みであり、素晴らしい。「降ってくる雨が迷惑で しかめっ面したあたしに/雨上がりの虹を教えてくれた ありがとう」──もうこれだけで「あたし」と「あなた」の関係性、それどころかそれまでの背景さえもわかってしまう勢いだ。「雨」と「虹」の対比がわかりやすく、鮮やかで美しいと思って読んでいたのだが、ふと「これはただ雨と虹を対比させているのではなく、ひょっとすると現在と未来の対比では?」と思ってしまった。
 そう読むとついでに、あたしは「降ってくる雨」と言う「現在」にしか目を向けることが出来ず「しかめっ面」をしてしまう人間なのだが、あなたは「雨上がりの虹」と言う、その先にある「未来」を見れる人間であることも読み取れる。雨と言う困難のある「今」(あるいは過去)にしか目がいかないことで暗い顔になってしまうあたしだが、あなたはその困難に直面している今が虹のかかった素敵な未来に繋がっていることを教えてくれるのである。これはそのまま前のフレーズをも改めて表現しているとも言えよう。「間違いじゃないとは言い切れない」あたしのそれまでが、あるいは「あたし」そのものが、愛しい「あなた」に出逢えた未来に繋がっていたのだ。
 そう読んでいくと、Bメロの「春が来るとこの川辺は桜がめいっぱい咲き乱れるんだ」と言う印象的なフレーズにある「春が来ると」も、あなたが教えてくれる「未来」ではないだろうか。春は未来のメタファーであり、同時に「あなた」もまた未来そのものなのかも知れない。あたしが「今」と「過去」であるならば、続く「あなたは言う あたしはうなずく」は、未来のあなたと今と過去のあたしが同じ位置に立ったように思えて、シンプルな歌詞ながらぐっとくる。曲的にもサビ直前と言うこともあって、ここでようやく二人の関係がスタートするようで、短いけれどもつくづくすごいフレーズだと思う。

 サビはもう幸せ一直線である。「右手をつないで 優しくつないでまっすぐ前を見て」だけでも愛と幸福が溢れているのがわかるし、続く「どんな困難だってたいした事ナイって言えるように」はもう、「あなた」が傍にいるあたしは向かうところ敵なし! まさに無敵! と高らかに宣言しているようで爽快である。
「ゆっくりゆっくり 時間を越えてまた違う/幸せなキスをするのがあなたであるように」もその幸せがサビの最後まで続いているのだが、「時間を越えて」と言う表現に着目するならば、あたしが「今」と「過去」よりも、少しだけ「未来」に目を向けられるようになったと思える箇所である。「あなた」の存在によって、未来に夢を見られるようになった。未来に希望を託し、願いを祈れるようになったのだ。時間を越えた先の春でも、「あなた」とキスが出来ますように、共にいられますようにと歌う彼女にもう雨は降っていないし、しかめっ面もしていない。虹がかかった青空に映える桜の木の下であなたとあたしは手を繋いでいるのだろう。歌詞の通り時を越えて、末永く幸せになってくれという気持ちでいっぱいだ。


■花開く、巡る時
 二番はOKを貰ってから書き出すと言うスタイルのaikoなので、一番よりぐっと奥行きが深まった歌詞になることが顕著だが、この「桜の時」も同様だ。
「今まであたしが覚えてきた 掌の言葉じゃ足りない程/伝えきれない愛しさに 歯がゆくてむなしくて苦しいよ」から始まる二番だが、どこか「エナジー」の「もっと特別に伝わらないかと 泣いて探しても見つからず/足りない表現力の代わりに痛いほどからみつく」を思い出させるフレーズである。ここでの「伝えきれない」とは、「木星」の「全て伝わらない」で見たような、愛し合う者同士と言えど所詮他人同士であり、全てを伝えられないし、分かり合うことも出来ない、と言った悲観的な意味ではない。フレーズにも「あたしが覚えてきた掌の言葉じゃ足りない程」とあるように、「今の自分の気持ちをあなたに伝えるのに、言葉と表現力が追い付かない!」と言ったニュアンスの「伝えきれない」である。砕けて言うと、感動したオタクがよく使う「語彙力が足りない」に近いアレの類であろう。
 もっといっぱい、沢山伝えたいのに、それが上手く出来ない。どんな風に表現しても自分の中の気持ちを伝えきれなくて、まさに、歌詞にある通り「歯がゆい」のだ。しかし裏を返せばそれくらい「好き」が溢れていると言うことで、一番サビから延長して幸せであるな、と感じることの出来る、実に微笑ましい箇所である。

 続く歌詞はaikoの中でも一際艶っぽく何かの匂わせを感じる所で、それまでのノリで聴いていると少しドキッとしてしまう部分でもある。「まぶたの上にきれいな音 薄い唇に紅をひく/色づいたあたしを無意味な物にしないで」と、読んでわかるが実に色っぽい。それもけばけばし過ぎない、品のある色っぽさだ。「あなた」に良く見られたいが為に化粧を施し、二人の関係を「右手をつないで」よりも踏み込んだところへ行かんとしている意図が見受けられる。「あたし」が大人になっていく、とも読めるだろう。まさに春に相応しく花開く表現……と思ってしまうのは、さすがにいやらしい読み方だろうか。それはともかく「大人になっていく」というのもある意味「未来」と言えるし、ここも一番から継続して、あたしが見れるようになった「未来」の表現なのかも知れない。

 二番Bは一番Aのように二人のそれまでを空想出来る、余白のあるフレーズが差し込まれる。「憧れだったその背中今は肩を並べて歩いてる/もう少しだけ信じる力下さい」。ここを読むと、あたしは片想いだったのかな? 付き合うことになるなんて思いもしなかったのかな、とあれこれ自由に二人のそれまでを思い描けてリスナーの妄想力が試されるところだ。
「あたしとあの人は全然違う人だから……」と勝手に距離を感じ遠慮していたあたし、を想像してもいい。先述した「今」と「未来」の対比を見ると、考え方や感じ方があたしとは大分違う人だろうし、自分にはないものを持つ人と言うのはどうしても強く光って見えがちだ。だから何となく己の陰りを感じてしまったりすることもある。そうだとすると「もう少しだけ信じる力下さい」と言うフレーズは、元々あるあたしの中のネガティブ──自分には釣り合わないんじゃないか、と言う疑問や不安──が見え隠れするところと思えるし、それと同時に、それでもあなたについて行きたい、一番サビで願ったような未来に行きたいと切実に思っている気持ちがないまぜになっているような、そんなフレーズだ。

 サビの「気まぐれにじらした薬指も慣れたその手も/あたしの心と全てを動かし掴んで離さないもの」はたまに見えるあなたの意地悪な性質がいじらしく描写されている。なんとなく「木星」の「時折見せるずるい仕草」に通じるものを感じるが、たまに自分を煩わせる困った意地悪も歌詞の通り「あたしの心と全てを動かし掴んで離さない」のだ。ずるかったり意地悪だったりしても許せると言うか、そういうものも、たとえBメロのように不安や悩みがあたしの中に燻っていたとしても、全部あなたへの好きに繋がっていく。言い換えればそうなっている内はまだ大丈夫なのだ。だからあたしもまだまだ好きと幸せの真っただ中にいて、聞いていて実に幸せで微笑ましい。
 二番サビ締めくくりも一番サビのように二人が共にある未来を願っている。「限りない日々と 巡り巡る季節の中で/いつも微笑んでいられる二人であるように」にある「巡り巡る季節」もやはり未来の表現だと思われるのだが、「限りない日々」とはaikoにしては前向きな表現だなとふと思ってしまう。物事はいつか終わると言う真理を固く支持するのがaikoと言う人だ。が、「いつも微笑んでいられる二人であるように」と言う願いを書いているし、こんな幸せな曲で水を差すような湿っぽくて暗い表現なんて敢えてしないのが普通だろう。そんな終わりや悲しいことなんて見えないくらいにあたしがあなたへの気持ちを一直線に、一途に抱いているのが愛おしいではないか。



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