風は明日に吹いている -aiko「4月の雨」読解-



■「4月の雨」概要
「4月の雨」はaiko初の先行配信楽曲として二〇一三年四月十七日にiTunesStoreを始めとする音楽配信サイトで配信された楽曲である。CDとしてはデビュー十五周年を迎える二〇一三年七月十七日にLoveletterと両A面でリリースされた、aikoファンの我々にとっては思い出深い曲の一つだ。
 しかし私は当時先行配信するというスタイルに何様のつもりなのか結構反発していた。それはaikoがCDと言う媒体にこだわる人だったのを高く評価していたからで、なかなか楽曲配信もしないところにも古式ゆかしさ、何かしらの伝統を重んじている人、ある種のブランドの価値のようなものを感じていた所為である。今となっては正直アホかと言いたくなる。すっかり楽曲配信スタイルのありがたさを重宝する今となっては──たとえば、ゲームのイベント楽曲がイベント終了後即フルで配信される最高かよ! ポチる! だとか、気になっているドラマや朝ドラの主題歌をCD借りにいくのも面倒、かといって買うのもお金かかる、そうだ配信で曲だけポチろうだとか、このCD今は入手困難、でも配信されてるやったぜポチる! だとか──むしろ積極的に楽曲配信をしない旧態依然としている音楽会社やアーティストの方に白い目を向けるようになってしまった(aikoもいっそ全曲配信してみてもいいのでは、と思うくらい。新曲は表題曲のみ配信だし、「湿った夏の始まり」に至っては最新アルバムのくせに配信すらしてない……嘘だろ。それで売れてるんだからやっぱりaikoはすごいと言わざるを得ないが)
 この話題についてはこの辺にして、「4月の雨」とタイトルにあるように全体的にしっとりとした曲調で、重過ぎず軽過ぎず、aikoの歌い方も一定した強さがあり落ちついている。過ぎた冬程ではないが、コートやマフラーが恋しくなる春寒を思わせる季節を感じさせる曲だ。歌詞も歌い方も大人っぽく、30代後半、そしてデビュー十五周年の貫禄を感じさせる。aikoはこの記念すべき一曲にどのような想いを託したのだろうか。

■悲しみの春 想う強さ
「Loveletter / 4月の雨」発売時のナタリーインタビューにおいてaikoは先行配信と、「4月」と言う季節を限定したタイトルについてこんな風に語っている。
「これは去年の春ぐらいに書きました(筆者註:リリースが二〇一三年なので二〇一二年の春)私、クリスマスとか誕生日みたいな記念日の曲を書いたことがないんです。ずっと季節を象徴できるような曲を作りたいと思っていて。ありがたいことにCMのタイアップが決まったので、そのタイミングで、せっかくなら早くフルで聴いてほしくて先行配信でリリースすることにしました」
 aikoも語るように、彼女と言う歌手の特色としてクリスマスや誕生日と言った特殊な設定下で書かれた曲と言うのは無い。「瞳」に辛うじて「Happy Birthday to you」とあるくらいだが、「瞳」全体が誕生日を祝う曲と言うわけではないのは説明せずともaikoに精通している読者諸兄らはおわかりかと思う。
 ただaikoに季節がないかというと全くちっともそんなわけはなく、代表曲の「花火」「桜の時」は思いっきり季節を象徴しているし、私も夏曲全体を見た研究を書いたし、「桜の木の下」から「暁のラブレター」そして最新作の「湿った夏の始まり」のタイトルからわかるように季節は決して軽んじられていない。いっそ「aiko歳時記」と称して夏だけではなくaiko曲の季節全体を拾っていきたいがそれは今後の課題の一つとしておこう。
 ここで注目したいのはaiko自身「ずっと季節を象徴できるような曲を作りたい」と意欲的だったと言うことだ。クリスマスや誕生日といった記念日曲を書くのは遠慮したいが、季節を限った曲は作ってみたい、と言ったところだろうか。そして曲が書かれ、運よくタイアップの話が舞い込み、そして「4月」と冠がついているならば今この時期を逃してはなるまい! と先行配信にチャレンジした。CDで出すとなるとどうしても準備に日数がかかるが、配信ならば然程時間はかからない。つくづくいい時代になったと思う。

■いともの悲し春の空
「4月の雨」に関しては、デビュー十五周年と「泡のような愛だった」発売を記念し二〇一四年六月に発行された別冊カドカワ・総力特集aikoの中に「泡のような愛だった」収録曲のライナーノーツがあり、そちらでも詳しくaikoの見解が伺える。
「私にとって、こういう時期を限定した曲は結構珍しいんですよ。クリスマスのような記念日を歌った曲ですら、今までほとんど作ってこなかったので。“いつかそういう曲が作れたらいいな”って思っている中、“4月の雨”というフレーズがふっと自然に浮かんできたことで作ることが出来ました」
 先述したように季節を舞台にしている曲達はあるが、あれらは「4月」と言う明確な月名よりは場所や範囲や時間の感覚が広く、aikoにとっては限定している気持ちが薄いのだろうと思う。
 ところで「4月の雨」に先んじること十年以上前になるがaikoには「September」とまさに九月の名がそのまま曲名となった名曲もある。ただaikobonのライナーノーツによると「(ヌルコムのジングル大作戦で)9月だから9月の曲を作ろう」と言う背景があり、少し弾いたメロディに乗せたSeptemberと言う仮の歌詞(これは私の記憶によるもので頼りないが)をミキサーの川辺氏が大変気に入り、そのまま曲にしたと言う流れだから、あくまで曲とキーワードが先にあり、季節の曲を書こうと言う意欲的な気持ちは「4月の雨」よりは薄いのではないだろうかと個人的には思う(もっと言うなら「September」に限らず季節の曲はその季節をメインに据えて何かを描写すると言うよりは、何かを表現した際にあくまでその描写やストーリーの属性として季節が描かれた、くらいの感覚、暴論かも知れないが言ってみれば付属品のようなものに近いのかも知れない)
 とは言え「4月の雨」もaikoによるとタイトル先ではあるのだが、タイトルやキーワードだけ降ってくるのは創作家あるあるだ。こう言ってしまうと安っぽくなるが、文学的であるし、情緒的でもあるし、いろいろと想像出来る余白を持った非常に優秀なタイトルであると思う。季節の曲を(これまでより能動的に)書く、そんなaikoの意欲と天啓が組んで、この曲は生まれるに至った。いいことだ。
 続いてaikoは春と言う季節にどのような印象を抱いているか語っている。この印象がそのまま「4月の雨」になったとも言えよう。
「自分が卒業式でぐしゃぐしゃに泣いたこととかを鮮明に思い出す時もあるので、春という季節にはどこか物悲しいイメージがありますね。だから、この季節の空の色、雨、気温を感じると、あなたのことを思い出しますっていう、ちょっと切ない歌詞になりました」
 卒業式で泣いたことについては同ライナーノーツの「卒業式」に詳細が書かれているので所持している方はご参照されたし。「春という季節にはどこか物悲しいイメージがありますね」に私はうんうん頷いてわかる! と強く思ってしまった。
 と言うのもaiko同様ラジオで育った私にとって番組改編期である春は慣れ親しんだラジオ番組やパーソナリティとの別れを連れてくる季節であり、記憶にある限りその最たるものが二〇〇三年三月に終了したaikoのオールナイトニッポンコムことヌルコムであった。あの別れは今思い出しても本当に寂しかった。Twitterやあじがとレディオの配信が無い当時(aikoメールはあったけど)毎週決まった時間にaikoのお喋りが聴ける深夜の二時間は掛け替えのないaikoとの暖かな交流の時間だった。毎年春が来て当時の新曲だった「蝶々結び」を聴くと、ヌルコムと別れざるを得なかったあの頃の寂しさと切なさを否応なしに思い出してしまうのである。
 春は確かに出逢いの季節なのだろう。けれども出逢いがあると言うことは同時に別れという切なさも折り込まれており、歳を重ねていくうちに卒業、異動、転勤、退職……とむしろ別れの方が多くなっていく。生命を寿ぐような美しい桜の花が咲き誇ると同時にその命を散らしていくことが端的に春と言う季節の表と裏を表している。そんな気さえする。
 脱線が過ぎた。aikoの元にそんなイメージがあるのだから、おそらく私だけでなく沢山の人にとって春と言う季節のもの悲しさは同意出来るものだろう。「4月の雨」と言うタイトルも、花が咲き、緑が輝き、日射しや風もぽかぽか暖かい春のイメージをそのまま裏返したかのようで、光や暖かさと反発はせずとも、同居する翳りや冷たさの存在に目を向けていると言えよう。
 勿論それだけでなく、「この季節の空の色、雨、気温を感じると、あなたのことを思い出しますっていう、ちょっと切ない歌詞になりました」とaikoが言うように、自然の外部記憶媒体とも言える気温や湿度、におい、風、雨からaikoが「4月の雨」と言うキーワードを受け取り、卓抜した歌詞世界を創り上げた点もさすがアーティスト、いや作家aikoと言わざるを得ない。

■見えないものを信じる強さ
 aikoはもう少し歌詞や曲の世界観について踏み込み、こう話している。
「人の心は時間とともに変わってしまうものだから、離れていればいるほど不安になる気持ちもあったりはします。でも目には見えない相手との絆みたいなものが絶対にあるはずなんだって私は信じているんです。で、それを信じていれば、辛いことをはねのけてしまえる時もあるんですよね。この曲では私が思う、そういう強い気持ちをしっかり書くことができたような気がしますね」
 ここで語られていることはまた、最新曲「ハナガサイタ」や「二人の形」に登場する「見えない気持ち」と同種のものだろう。「雨」とタイトルにあるのでたとえば「雨の日」や「相合傘」のような少し暗めで、寂しく切ない世界観なのかと初見では思うかも知れない。しかしaikoの語る言葉からは本人も「強い」と言うようにネガティブな気持ちは感じられない。同じ雨でも前年にリリースされた「時のシルエット」収録の「雨は止む」の路線に近い、目には見えないけれど確かなものを信じる強さ、前に進む強さがこの「4月の雨」にはあるのだ。
 歌い方に関しても表現の一部としてaikoは気を遣っている。
「だからボーカルに関しても、ちょっと強さを表現したかったところもあって。寂しさとか悲しさみたいな気持ちは心の中に隠して歌うようにしたんです。そんなに抑揚をつけるわけではなく、どこか淡々としてはいるけど、でも、細く長く遠くまでちゃんと思いが届くような感情は大事にしましたね」
 心の中に隠すとあるが、都合が悪いから隠しておく、見せたくないからしまっておく、と言うニュアンスよりは、表に出す必要のないものをしまっておく、特に出す理由もないから中に入れておく、と言うようなニュアンスに近いと思う。それらは存在を否定されているのではなく、きちんと在るものなのだ。寂しさも悲しさも切なさもある。それは時に気持ちを過去へと誘うし、涙も誘う。けれどそれを前提としながら、それでも揺るぎないものを信じる、前に進んでいく。そんな強さを歌っているのが「4月の雨」なのだと思う。
 aikoの言葉を読んでいくだけでも「二人の形」の頃とは比べ物にならないくらいの、本当に大人な世界観が「4月の雨」にはある。としみじみ思ったが、制作時期を考えてみれば「二人の形」は二十代も前半の前半、「4月の雨」は三十七の頃だ。十五年近くもの歳月でaikoと言う類稀なる作家は非常に豊かな成熟を遂げたのであろう。



next

歌詞研究トップへモドル