■時を呼ぶ雨
 歌詞を読んでいこう。曇った空を思わせる、けれども暗くはなく優しい柔らかな音遣いのイントロでこの曲は幕を開ける。述懐にも等しい歌詞の世界を、あたしは雨の降り出した空を見上げながら綴っているのだろうか。
「遠くまで届いているだろうか 時々不安になるけれど」と、あなたとあたしは既に遠く離れ離れになっていることが描写される。傍にはいない。特別な関係や情があるわけでもない。けれども「届いているだろうか」と思ってしまう。別にそれが恋情である必要はない。例えば頑張れと応援する心や、体調や気持ちは大丈夫かと心配する心。そういうものも想いの在り方だ。ただ、想っているだけでは届かない。相手の方もあたしの存在を少しでも心の端に止めておいてくれなければ、想いの秘密の通り道は開通しない。強く想い合わないでもいい。牽牛織女のように互いに恋い焦がれなくともよい。心のどこかにそっといる存在になれていたらいい。そう思ってのフレーズでもあるかも知れない。
 ふと頭を去来した遠くのあなたの存在を想い、「あの日めくったページの先には あふれる程書き殴った想い」と続く。以前「クローゼット」の試論として書いた文章を思い出すのだが、「クローゼット」で出てきたノートのように、あたしはあなたとの日々を日記帳か何かに綴っていたのであろう。恋愛していた頃のあたしはまさしく「そん時は好きで好きでもう大変だった事」の通りにあなたに夢中だったのだ。
 けれど「書き殴る」と言う少し乱暴な表現から考えてみるに、好きに寄っている気持ちも嫌いに向き始めた気持ちも含まれた、ありとあらゆるあなたへの気持ちがそこには綴られているのかも知れない。だがそれを歌う現在のあたしはあくまでも淡々としている。冷ややかとまではいかないが、過去のことだと割り切ってどこか愛おしむような、まだ若々しく恋の情熱を燃やしていたあの頃を懐かしむような距離感でここは表現されている。
 一番Bメロは少しだけ過去の様子を切り取っていく。「こぼれそうな涙の奥の潜む意味に気が付けなかった/何年も何年も前の遠い昔が 今でも昨日の事のよう」と、四月の雨と空と気温と湿度は時空を歪ませて、かつての思い出を手に取れそうな程近くに差し出してくる。あたしはあなたのことが大好きだったけれど、悲しいかな「こぼれそうな涙の奥の潜む意味に気が付けなかった」のだ。あたしはあなたとの恋愛のことだけに気持ちが向いていたかも知れないけれど、あなたはそうじゃなかったのかも知れない。恋愛によくある、残酷なすれ違いだ。一体どういうすれ違いを起こしているかについては、二番の歌詞を読んでいくうちに考えていくことにしよう。この出来事は「何年も何年も前の遠い昔」なので、相手のことを考えるよりも自分のことだけで精いっぱいな思春期の少女の頃に、あたしはあなたと恋をしていたのかも知れない。そうだったのならすれ違ってしまうのも致し方ない。
 サビではしっとりと、けれどもどこかさばさばとした、やはり淡々としつつも決して突き放さない穏やかな雰囲気で、aikoが言ったように強さを感じられる一定の調子で歌い上げられる。「4月の雨/ゆっくり肌を濡らす知らせ/あなたもどこかで同じ時を生きている」。
 何故四月と区切られるのだろう。四月に何か特別な意味を探すとしたら、二人の別れが四月だったから、もっと言うならばその時雨が降っていたから、とかなのだろうか。「ゆっくり肌を濡らす」のフレーズには雨に濡れるのもそうだろうが、毎年この時期になるとその頃のことに想いを馳せ、思わず下睫毛を濡らしてしまう。その時期が今年も来たと言う「知らせ」だ。そんな行間を個人的には読み取ってみたい。
 けれど訪れる切なさや寂しさに涙するだけではない。死別したわけでもなし、単に特別な繋がりがもう無いというだけのこと。あなたはここではないどこかに、確かに生きているのだ。「あなたもどこかで同じ時を生きている」──たったそれだけのこと。だがそれだけのことがなんと奇跡であることか。祝福であることか。そのことだけで人は嘘ではなく本当に強くなれるのだ。そのことに気付けるほど、あたしは歳を重ねて今まで生きてきた。そしてこれからも、遠くのあなたと同じ時を、同じ空の下を生きていくのだ。



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