立ち止まってもそばにいる -aiko「大切な人」解釈-



■「大切な人」概要
「大切な人」は2014年5月28日に発売されたaiko11枚目のアルバム「泡のような愛だった」の11曲目として世に発表された。この「泡のような愛だった」(以下泡愛)は現在13枚あるaikoのオリジナルアルバムの中で見てみても挑戦的な一枚であるように思う。発売の前年の2013年、15周年記念ライブツアーとして計四本のライブツアーを並行すると言うバイタリティに溢れた活動を見せたaikoが生み出したものとしても納得のいく一枚だと個人的には思っていて、15周年と言う一種の区切りを超えた彼女の改めてのデビューアルバム、と見て問題ないとも思っている。
 デビュー時の彼女の作風を思わせる、畳み掛けるような歌詞の言葉の数、「君の隣」カップリングの「舌打ち」からの攻撃的なサウンドを引き継いでいる激しい曲、十五年の活動と彼女自身の重ねた年齢から生み出される文学的な味わいの深い曲、と様々な曲に富んでいる「泡のような愛だった」だが、その個性的な面々の中で「大切な人」は曲調も歌詞もわりと控えめな印象を受ける。
 11曲目とアルバム深部に位置する曲だが、「キスの息」と言う激しくも切なく狂おしい曲の前にあることを考えると、10曲目の「君の隣」と合わせて、リスナーにとっての箸休め、休息ポイントのような役割を担っているのかも知れない。今回の稿に頻出する言葉だが、歌詞の内容とは別にして、耳馴染みの柔らかいこの曲は「優しく」リスナーを包み、心を一旦フラットなものにしてくれるように思う。
 歌詞を詳しく読まないこの時点で、あくまで個人的な印象を書かせてもらうと、「あたしだけがずっと立ち止まったまま」と言う歌詞から、過去の曲で言うと「あたしはここに立ったまま」と言うフレーズを深く心に残してくる「夏服」を彷彿とさせるし、系統も近いのかも知れない。とは言え「夏服」程途方に暮れているような、突き放したような絶望感は薄い。
 アルバム曲で言うと、「大切な人」と同じようにかつての想い人と再会し気持ちがざわめく「Yellow」と、アルバム内での位置づけも合わせて通じるところがある(「Yellow」の読解でも「BABY」における箸休めと書いた)そう、サウンド自体は優しくはあるが、歌詞においては切なく、まだ相手との縁に脈があると思わせる「Yellow」よりは少し閉塞感すら感じさせるものだ。
 泡愛発売時のナタリーのインタビューにおいて、aikoは選曲基準などについてこう語っている。

「この1、2年ぐらいに作った曲の中から「今歌いたい」って思う曲を選びましたね」
「もしかしたら、こうやって感情を出すことで「年甲斐もなく恋愛の歌なんて歌って」って言う人がいるかもしれない。でも「仕方ないやん、私が今言いたいことはこれなんやもん」って思うんです。だから今感じていることを書こうと思って書きました」
「去年、ツアーの最終日のライブをZepp Nagoyaでやったんですけど、もう本当にボロボロになるくらい出しきったライブだったんです。そのときに「こういうライブを毎日できたらいいのにな」ってすごく思って。だから曲を作るときも、私が今伝えたいことを全部出しきろうと思ったんです」

 そういう理念のもと曲が選ばれ、あるいは新しく作られた。「大切な人」もおそらく2013年頃の作品であるが、このような観点からアルバム曲として選ばれ、アルバムのクライマックスの序章であるような位置に置かれることになったのは一応頭に入れておくべきであろう。

■黄昏時のあなたへ
 別冊aikoの泡愛収録曲ライナーノーツにおいてaikoはこんな風に語っている。

「ギターのアルペジオが印象的な優しいアレンジになっていますね。アレンジされたものがアレンジャーから上がってきた時に、自分の中でものすごくしっくりきたんですよ。自分が曲を作っていた時に頭の中に浮かんでいたイメージどおりだったから」

 アレンジが「自分の中でものすごくしっくりきた」と作者であるaikoの口から語られることで、もはやこの曲の答えの一つが出てしまっているように思う。「自分が曲を作っていた時に頭の中に浮かんでいたイメージ通りのもの」と言うことは、「大切な人」の世界観およびaikoの中にある意味や伝えたかったものは曲そのもの──あの優しく穏やかな、それでいて切ないアコースティックなアレンジそのものと言うことだ。少なくとも、「染まる夢」や「遊園地」のような激しく鋭利な気持ちは「大切な人」には表れていない。
 aikoはこう続けている。

「歩く速度に合ったテンポ感になっているんですけど、私はそういうのがすごく好きなんです。実際、外を歩きながら聴くと、自分の中のいろんなことをちょっとだけリセットできる気がするんですよね。だから今回のアルバムの中にもそういうタイプの曲は絶対入れたいなって思ったんです」

 箸休め的な存在と先述したが、このaikoの言に触れるとその捉え方はそう間違っていないように感じる。激しく揺れ動き戸惑った感情がこの落ち着いた曲に至ることでふっとフラットになる。そういう狙いをaikoは込めていたのだろう。
 歌詞についての言及はさらりとしていて、彼女のライナーノーツではよくあることだが然程多くは語られていない。しかし彼女の歌詞創作において興味深いことも触れられている。

「歌詞では、忘れられない大切な人への気持ちを書きました。まだ外が明るい夕方くらいの時間になると、私はそういう人のことをすごく思い出すことが多くて。だからきっと、この歌詞もそういう時間帯に書いた気がします」

 aikoの創作の時間帯と言うと、夜型人間のイメージが強いため夜から朝にかけてのイメージがある。しかしこの「大切な人」は、はっきりとしたことはわからないものの、aikoは夕方頃に書いたものだと言い、個人的には新鮮に感じた。夕方と言う黄昏時──世界が夜に向かって静かに暮れていく時間帯が、彼女にとってそんな時間であるとは初めて知ったのだが、そうなると「大切な人」以外にもこの時間帯に生まれた曲は多数あるのかも知れない。それにしても「夕方」に生まれた「大切な人」の次の曲が「あと二時間で朝が来る」と歌う「深夜」を舞台にした「キスの息」であることを思うとなかなか面白く、この二曲の並びは偶然なのか意図的なのかaikoに直接聞いてみたいところである。
 時間帯の違いにおける作風の違いも彼女は意識していて、こんな風に語る。

「歌詞もそうやし、メロディーとかも時間帯によって出てくるものが全然変わってきたりするんですよ。夜更かししていると、また違ったフレーズが浮かんできたりもするし。そういうのが自分でも不思議やし、すごく楽しいことやなって思うんですよね」

 浮かんだ、もしくは考えたストーリーに従って細かくプロットを立て文章に落とし込んでいく小説とは違い、詩文はその時その時の心情や風景を鮮やかに、瞬間的に切り取って表現していく。その最たるものが俳句であると私は思うのだが、それゆえ季節や時間帯、気温や天気、あるいは作者の体調等に表現したいものや浮かんだものが大きく左右されるところがある気がする。
 aikoにおける歌詞の創作も同様だ。ここで触れられているのは時間帯だが、夜に書いたものは昼に比べて赤裸々なものであるとは芸術家に限らず全ての人間によく言われる話であるけれど、この「大切な人」で描かれている情景も夕方ではなく夜に浮かんでいたなら、それこそaikoの言うようにまた違った──どころか大いに違ったものになっていた可能性は十分にあると言えよう。

「ポイントポイントで感情をしっかり出そうとは思ってましたけど、全体的には、そこまで感情の“我”みたいなものは出さないようにしたんです。基本的には、サウンドに合うように、なるべく優しく歌うように意識しました」

 我を出さない、ということは淡々と、あっさりとした聴き心地になるようにしたのだろう。「あたし」から作者としてのaikoが適切な距離を取っていた、とも取れる。OKMusicのインタビューでは「感情の我をあまり出さないように、でも箇所箇所では感情をしっかり込めながら、全体的にやさしく歌いましたね」と言っているので、曲のゆったりとしたアレンジに合わせ、控えめにしながらも締めるところはきっちりと締め、優しく歌うことでこの曲を完成させたのだろう。
 そう。優しく。「ものすごくしっくりきた」と語られた曲のアレンジにある「優しさ」がこの曲を紐解くキーワードであるのはもはや自明だろう。夕暮れ時、忘れられずにいる大切な人を思い出す。曲に込めた作者のaikoの想いはけれども荒んだものや苦しく切なすぎるものではなく、あくまで優しさだった。
 急かすことなく、縛り付けることもなく、歩く時のテンポと同じ穏やかさの中で、心は一度平坦なものに戻っていく。そんな曲である「大切な人」は、歌詞の中ではどのようなことが描かれているのだろう。



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