■寄り添っていてあげるから
「あなた」はまるでグラフ上の原点のように、故郷のように、唯一無二の存在としてあたしの中に残り続ける。しかしあなたにとってあたしはまるでそうでない感じなのがやはり皮肉である。現時点でのあたしに好きな人や彼氏が出来ていればあくまで過去の存在として見なせられるけれど、そういう状態でもないからいかんともしがたい。依然立ち止まったままのあたしが前に進むにはもう少し時間がかかりそうである。
 こう読んでいくと、やはりこの曲は歌詞にもある通り本当は「苦しい」曲だとつくづく思う。もっと別のアプローチで描こうと思えば「サイダー」や「透明ドロップ」のような曲としても誕生出来たかも知れない。でもそうはならず、aikoの中ではまるで「あたし」に寄り添うように、あくまで「優しく」あるようになった、と私は思う。
 それは、一番で触れたように出来た時間帯による影響も大きいけれど、最初にライナーノーツを参照した通り、この曲のaiko自身が持つイメージがそもそも「優しい」ものだからだ。自分の中のいろんなことを、ちょっとだけリセット出来る曲。そういうタイプの曲として生まれ、泡愛の中でその役割を果たすこととなる。そういった曲を書くことがaikoの作家としての才能であり義務であり、商業歌手としての役目でもあり、そしてaikoと言う人間としての祈りであり、全ての人に与えられる慈悲であろう。そんな風に私は感じる。


■おわりに──少しずつでいいから
 aikoには終わりゆく恋愛を主題にしつつ、結びに未来への前向きな展望を書く作品が多いが、この曲は現在形で止まっている。あたしはどこへも行けないまま、立ち止まったままだ。あくまでその時点の心理描写に留まる、俳句的な一品であると言える。
 しかしながら、立ち止まったまま進めずにいることが、果たしてものすごく悪いことなのか? とも思う。その是非をaikoは既にこの曲の雰囲気で出していると言えよう。aikoの中にあったイメージ通りの「優しさ」で、歌い手としてのaikoは「あたし」に寄り添っている。それがaikoの答えだ。
 私はそこに、ラジオやファンクラブのお便りコーナーでファンからの恋愛相談に真剣に、親身になって答える優しい彼女の姿を見出さざるを得ない。──そしてその優しさは同時に「あなた」にも向けられているのだろう。どうにもあなたへの気持ちをネガティブな、荒々しい方向に振り切れないのは、あたしがあなたのことをいつまでも穏やかに愛しているからだ。ある意味清らかな愛情と言ってもいいのかも知れない。
 立ち止まったまま。だけどそれでいい。今はそれでいい。「鳩になりたい」ではないけれど、誰もがみんなすぐに前に進めるわけではない。回復にかかる時間は人それぞれだ。少しの時間と赦し、そして、「あなた」が大切な人だと言う、気付きを与える優しさが、聴く人をそっと包むことだろう。
 今はまだ立ち止まっていてもいい。でもいつか、この曲の速度のように、歩くようなゆっくりとしたテンポでいいから、少しずつ少しずつ、気持ちを整えていこう。それが「大切な人」に、そして「泡のような愛だった」を聴く全ての人に向けられている、aikoなりの柔らかな、泡のような愛だったと言えよう。

(了)



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