■見えない笑顔 のしかかる月日
 あたしの物思いは続く。考えてみればあたしにとってあなたは「少しパーマの残った くせのある髪の先のように/あなたの事が心の中で大きく/小さくいつまでも気になっている」存在であった。この「少しパーマの残ったくせのある髪の先」と言う表現は実に的確で、女性らしい着眼点でもある。パーマを当てた時は楽しくて心が弾んでいたのだろうが、時が経つにつれて全体的に取れていき、真新しさもときめきもなくなる……というのはまるで恋心そのものであり、つくづくにくい表現だ。
 それでも完全に取れたわけではなく、心に引っ掛かりを残すようにくせっ毛となった、と言うのは皮肉がきいている。後半のフレーズもまさにそのことを書いていて、普段気にしなかったことで小さな事象だったことが、どうだろう、触れてしまえば実際は大きな問題であった。
 それも「立ち止まったまま」、要は放置していたのだから、気にしなくなったその時から何も変わっていないのも辛い。むしろ小さく見せていたのはあたしの無意識の内の防御策でしかなかったのかも知れない。普通だと小さい、大きいと言う順番で書かれるところだろうが、敢えて大きい、小さいの順で書いたところも、あたしなりの抵抗であるのかも……と邪推したくなる。
 彼女はあなたに想いの一かけらでも伝えたのだろうか。それは多分否だと思う。一番で「立ち止まったまま」と提示されたのもあるが、二番Bメロで「言葉にすらもう出来なくて思う夜は胸が壊れて」とある。はっきり想いを伝えようか、だけどどう言えばいいのだろうと言葉に形変わる手前で、気持ちが処理出来ずに胸が壊れてしまっている。どうしようも出来ないあたしに誰とも知れない存在が忍び寄る。「こんなままじゃどこへも行けないよと闇が鼻で笑った」のだ。「どこへも行けない」は「立ち止まったまま」とぴたりとリンクする。闇が嘲笑した通りの未来がやってきて、そしてそのままにした結果、あたしは更なる災禍に苛まれているのである。
 サビに行こう。「ぎこちない笑顔見えなくてよかった」と、電話ならではの特性が書かれていてお気に入りの箇所だ。以前電話曲の研究でも指摘したことだが、電話とはどこまでいっても声だけのコミュニケーションツールであり、肉体を持った相手が目の前にいないことが良くも悪くも電話というものの最大の個性である。実際に会っていたら更なる情報量があたしに襲い掛かってきて、電話よりもっときつい現実、差異と断絶を浴びせられたかも知れない。
 ──が、しかし。どうだろう。変化は声よりも外見に著しく表れる。実際に会っていたら会っていたで、思い出の中と多少の違いは出てくるはずだ。そしてそれは明確に「当時とは違う人」と認識されて、あたしが受けるダメージはそれほど深くはなかったかも知れない。
 むしろ電話だから、声だけだったからこそより深く突き刺さったまであるのではないか、とも思う。これがまだメールだったら単なる文字情報で大したものではないのかも知れない。だが電話は、声は中途半端に肉体と繋がっているし、喋り方も声もそうそう変わるものでもない。可哀想だがあたしは一番悪手なものを喰らってしまったと言えよう。まさしくよりにもよって、である。
 そう思ってしまうのは二番サビを締めくくるフレーズがこうだからだ。「月日だけが経って思いがけない声に 負けそう」と。久しぶりにくれた電話は予期し得ないもので、まさに思いがけないものだった。相手と自分にある歴然とした差も、それこそ思いがけず知ることとなる。どこにも進めていない自分も、変わらずにある気持ちも、何もかもが突然だ。「負けそう」とはきっとそういうことだ。「あなた」の今は進み過ぎている。「あたし」がいなくとも進み続けて、豊かになっている。「あたし」だけが同じ場所に囚われ続け、進めずにいる。そのことを意識するつもりはなかったのに、なかったのに……。
 ずん、と沈み、けれどもどこか狂おしいその気持ちを、辺りにしっとり馴染ませるようなaikoの歌声で二番は終わる。間奏を挟みつつ、歌詞は結びへと向かっていく。歌詞だけ読むとなかなかにしんどい内容ではあるのだが、曲調があくまでマイルドなので程よく中和されているように思える。aikoとしても出来るだけ厳しさを薄めて、静かに穏やかに歌詞を運びたかったのかも知れない。


■どこに行こうと どこまで行こうと
 ラスサビを迎え、あたしの静かな述懐も終わろうとする。「あなたを想うと苦しくなるよ/あたしだけがずっと立ち止まったままの様な気がして」は、一番サビの繰り返しだ。一番でも述べたことだが、切なくなるのではなく「苦しく」なるのだ。変わらずにいる自分自身の救いようのなさに、そして未だにあなたのことを想っているのに、あなただけが遠い彼方へ一人行ってしまったことに。抗えない現実の重みが、彼女に苦しさを淡々と齎していく。
 立ち止まったまま、あたしはどこへも行けてない。そして、どこかに行けたからといって、あなたのことは忘れられるわけではないのだ。曲を締めくくるフレーズはこうだ。「どこに行こうと忘れられない/たった一人の大切な人」──この先どこへ行ったとしても、誰を好きになったとしても、あたしの心にはいつまでも残り続ける。「大切な人」と言うゆるぎない称号を贈られて、あたしの心にいつまでもいる。それが祝福であるか呪いであるか。それは「あたし」のみぞ知ることだ。
 でも私は、これまでネガティブな読みをしてきたのであるけれど、長い目で見れば祝福の方なのではないかと考える。苦しみであれ切なさであれ辛さであれ、そこまで想える人に出逢えたことは間違いなくあたしにとってはプラスであるはずだ。今はまだ苦しく思うしかない段階だけれど、いつか「4月の雨」のように、「大切な人」である遠くのあなたを想い、自分の人生を逞しく生きていける──そんなストーリーがいつか描かれてもおかしくない。
 そして鮮やかなタイトル回収が決まったこのラストのフレーズには少し、「お手上げ」と言うわけではないが、柔らかな諦観がある気がする。ああ、あたしはあの人のことが、今もどうしようもなく好きなんだと、そう白旗を上げざるを得ない諦観だ。それは苦しみ抜いた先に渋々差し出したものではなく、遠くにいるあなたに──そう、遠くにいてもどうしても想いを馳せてしまうあなたに向けた、あたしの一つの答えであり、行きついた境地である。それがいつかの未来に「あたし」を励まし豊かにする裏地となっていくのではないか。そんな風に私は夢想するのである。



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