不安と祈りの瞬間と -aiko「月が溶ける」読解-



■はじめに
「月が溶ける」は2017年11月29日にリリースされたaikoの33枚目のシングル「予告」のカップリング曲である。私が好きな電話が登場する一曲でもある。発表当初から評判が良く、ファンクラブ会員向けクリスマス特別動画だった「月が溶ける」の映像が後々正式にMVとなり「ウタウイヌ5」にも収録された。
 サブスク開始に合わせMVのフルサイズも配信開始されたので、YouTubeのaiko公式チャンネルで自由に閲覧出来るようになっている。是非ご覧頂きたい。2017年に行われたLove Like Rock Vol.8の映像が追憶するように流れたり、波の音に乗せaikoがラスサビをアカペラで披露するところは息を止めて見入ってしまう出来である。それにしても、今気付いたのだが、両A面曲やアルバム曲ならまだしもMVまで出来てしまうカップリング曲はこれまでほぼ無かったはずである。今回はたまたまMVとして独立したという形に近いが、これからもどんどんカップリングにMVを作って欲しいところである。
 ライブでの歌唱は2018年のLove Like Pop Vol.20で歌唱されたらしいが、会場ごとに曲が変わるものの一曲だったようで残念ながら私はまだ生で聴けていない。「スター」が生で聴けて以降セトリ欲がないとは言うものの「月が溶ける」は結構聴きたかったりするのでこの事実を知った時マジか……と愕然としてしまった。セトリは固定してくれ……。また2019年8月に行われた立川談春師とのコラボ公演・玉響でも歌唱がなされたらしい。私は落語好きでもあるのでこの公演もものすごく行きたかったし、「月が溶ける」がどんな風に歌われたかも見てみたかった。映像化されていないのが非常に残念である。


■まるで平安歌人のような
 私がこの「月が溶ける」にどのような感想を抱いているのかと言うと、ブログやTwitterでさんざっぱら言っていることではあるのだが、「まるで平安歌人のよう」ということだ。とにかくこの、切なく想って涙で月が滲む──と言う情景が平安歌人が歌で詠むそれではないですか! と興奮しっぱなしであった。なお私の専門は近代文学で平安、とりわけ和歌には実をいうと全然詳しくなかったりするのだけれど、それでも直感的に「平安歌人が詠んだ歌なのでは?」と思ってしまうくらいaikoの織り成す芸術が時を超えるレベルで秀逸なものであると、改めて思い知ったのである。世が世なら勅撰和歌集に採用されているだろうし、小倉百人一首に選ばれていてもおかしくないと本気で思えるくらいだ。
 一瞬の気持ちを捉え、ここまで美しい芸術として残せるaikoは本当に素晴らしい作家、いや芸術家だとつくづく思う。2020年7月現在、こんな状況ではあるが、また無事にライブが開催出来るようになった暁には是非弾き語りコーナーなどで歌って欲しい一曲である。


■ありがとうはさようなら
 aikoのインタビューなどを当たっていく。ちょうど「予告」発売頃に配信がスタートしたaikoのWebラジオ「あじがとレディオ」の第二回において、「月が溶ける」について話しているのを書き起こしてみた。

「なんかね、私、ありがとうって何回も言われると、なんかさよならって言われてるんじゃないかなって、勘違いしてしまう癖があって」
「何回も電話の切り際とかに切るタイミングを逃して、じゃあねって言いながらまた喋る。そん時にいっつも、ありがとありがと、ほんまありがと、うん、ありがとう、って言われると、もう会われへんのんちゃうかなって、勝手に、変換されることがあって。それをね、曲にしたんですよね」

 別れの言葉である「さようなら」をポジティブに言い換えるのなら「ありがとう」になる、と言う理論はそれほど無理がないはずだ。しかしそれは「ありがとう」自体が別れの意味を持つ、と言うことも肯定することになる。「ありがとう」と「さようなら」は背中合わせであり、なおかつ隣り合う関係なのかも知れない。ありがとうの陰に忍び寄る漠然とした不安や寂しさを、aikoはすかさず拾い上げた。
 また、「もう会われへんのんちゃうかなって勝手に変換される」と言っているように、あくまでこれはそう勝手に思ってしまっただけであって、別れる話ではない。

「すごく好きな気持ちが、そうさせてるのだろうなって。
 あと、言いたいこととか、話したいこととか、ほんとに沢山あるんやけど、それを聞けないままでいる瞬間を曲にしました」

 そう、ここでaikoが言っているように、このあと何度も書くことになると思うが、この曲はあくまで「瞬間」──ほんの一瞬で過ぎ去ってしまい、ほとんどの人が気にも留めない感情を捉えて描いている。だからストーリーがあるわけでも、この先に展開があるわけでもない。この曲に目的を見出すとすれば、聴いている人にその「瞬間」の情景や感情を想起させること、が真っ先にあがる。と言うかaikoに限らずほとんどの曲はそういうものなのかも知れないが、ことaikoはそういった作品を作ることに強い人だなあ、としみじみ感じるのである。
 ポイントとしては「すごく好きな気持ちがそうさせてる」と言うことだ。好きだからこそ失うことを考える。好きだからこそ切ない。恋愛は両想いでも片想いでも、そういう時間の方がうんと長く感じる気がするのは私がaikoファンだからだろうか。それだけが理由ではないし、きっと普遍的なものだと思いたい。
 言いたいことや話したいことがあるけれど、それを言い出せない気持ち、と言うのも実に恋愛あるあるだ。恋愛関係は何でも言い合える仲では全くない。ひょっとすると「話せない」や「訊けない」、そういった「躊躇」に恋愛が恋愛たる所以があるのかも知れない。

「月が溶けるっていうのは、そういう気持ちが募って涙が溢れた時に月を見たら、月がぼやけていて、月が溶けているように見えたという意味で、月が溶けるというタイトルにしました」

 私がいたく感銘を受けたタイトルについての発言。実に抒情的であり、悲しいや寂しいでは収まらない感情がある気がする。なんというか、「もののあはれ」の極地を感じてしまうのだ。aikoの感性には最初に好きになった頃から憧れしかない。本当に天才の所業である。

「同じくらいのテンションでえんえんとずーっと歌うっていうのがこの曲のテーマで。サランラップの筒みたいな太さでずーっと歌い続けるっていう…太くなってもあかんし細くなってもいかんし。それを一生懸命徹底して歌いました。その筒の中にぎゅっといろんな気持ちをぱんぱんに詰めて歌った感じの一曲なんですけど、とても大好きな曲です」

 歌い方についての発言だが、これは「4月の雨」も似たような歌い方であった。「4月の雨」は時が経った恋愛に対して、あくまで淡々としつつも見えない絆を信じて強く、まっすぐに歌う、言うなれば語り部に近いものだった。
 一方「月が溶ける」は、言いたいことや聞きたいことのある気持ちをぎゅっとぎゅっと詰め込んで、確かに切なくはあるが、プラスにもマイナスにもブレずに、ニュートラルな立ち位置で歌う。既に述べているが、これが一瞬の、刹那の出来事であるからだ。始まりでもないし終わりでもない。気持ちまるごとが、ただそこにある。そんな曲だからだろう。恋における無数の一瞬を作品として昇華するのに、作家としても歌い手としてもaikoの右に出る者はいないと思わせてくれる。



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