■電話の役割や意味
 曲中における電話の役割を以下にざっと挙げてみる。

 ・相手との会話
 ・相手との幸せな時間を表すもの
 ・特に用件はなくとも、相手の声が聴きたい時にするもの(脱出)
 ・想いを伝える手段(「謝ろう」とするバスタブもこれ)
 ・相手(あるいは自分)を拘束するもの(悪口)
 ・別れを告げるため。もしくは電話自体が別れ話(こんぺいとう・おやすみなさい)
 ・先行きが不安、または不穏な関係を表現するもの(あなたの唄・水とシャンパン・Do you think about me? など)
 ・相手との距離を表すもの。違う場所にいることを示すもの(ビードロの夜)
 ・相手を想う形見(蝶の羽飾り・星電話もここ?)

 最初に挙げた「相手との会話」は、電話として当たり前の機能なのだが、これが恋人同士だと、その次の幸せでラブラブな時間を表現するものに変わる。基本的にこの二点が多いのだが、aikoの曲はラブラブでハッピーなものばかりとは限らない。
 むしろ、集計し精査していく中で、そうでない電話の曲の方が多いんじゃあないかといっそうんざりするくらい思ったのである。また別れの曲かよ! と。でも実際数えてみるとその差は僅かであった。独断と解釈によるのだが、二十六曲+おまけの二曲を私が選り分けたところ、良好な関係での曲が十三曲に対し、別れ話だったり、別れた後だったり、関係が微妙に上手く行っていないものが十五曲だった。(なお「彼の落書き」が特に分別つけにくかったので、この曲をどちらかに入れるかで偏りが決まる。私の場合、いい曲の方に入れていれば半々となっていた)
 半数に綺麗に別れても量が量なのでやっぱり「結構多いな」と思ってしまう。そしてそういうマイナスイメージは往々にして、善きものよりも深く心に残り続けるものなのだ。

■距離なくして出来ないもの
 別れる際に電話を表現として持ってくる理由を少し考えた。
 そもそも電話は序盤に書いた通り、場所が離れているからこそ使用されるものだ。発信側と受信側は前提としてどこか絶対的な、物理的な距離がある。そしてそれはそのまま、二人の気持ちの距離を暗喩するものとなり、その気持ちの繋がりも――電話が繋がっていると言うのに――断絶されているものと暗に示すものとなる。また直接会って話して別れるルートよりも電話上で済ますと言うのもそっけなく、無機質でただただ情が無い。好きだったろうに、愛し合っていたろうに。あんなに楽しく電話してただろうに、二人の関係に引導を渡す――介錯するのもまたその「電話」であると言うのも、皮肉を通り越して残酷で切ないものがある。

■続いていく人生 残り続ける電話
 そして恋愛が終わっても、その人の人生、日常はずっと続いていく。その暮らしの中には電話も当然存在している。恋愛の為だけに存在したものではないから、いつまでもその人を想う形見となってしまう。「蝶の羽飾り」の「決まった時間にいつも鳴ってた電話」は、「今はもう鳴らない」、残り続ける電話機を見てのフレーズと言えるだろう。これは電話に限らず場所や音楽、特に五感の一つにダイレクトに迫る「香り(匂い)」にも言えることだろう(「愛のしぐさ」の「ふと道に香ってた同じ匂い」などがその代表)

■電話のホラー
 ところで唐突だが、序盤の電話の特性に挙げ忘れたものがある。ここで言及した方がいいと思ってあえて書き漏らしていた。「距離と空間を超える」「原則声のみのやりとり。想像力が必要となる」を言いかえたものに近いのだが、それは「どこから掛けているのか、どこと繋がっているのか」「そこに何があるのか、お互いにどんな状態なのかわからない」と言うことだ。
 これは私の趣味嗜好に突っ込んだ書き方となるが、かつて「鏡」の読解にて「一番身近な異界は鏡」と書いたが、ある意味、よく考えてみると電話も相当な異界ではなかろうか。と言うより「ひょっとして異界と繋がっているかも?」なんて思ってしまうのだ。子供の頃「霊界に繋がる電話番号」なんてのが出回ったりして友達と試してはきゃあきゃあ騒いでいたものである(むっちゃ迷惑)
 勿論分別ある大人になった(つもりの)今では「んなもんあるわけねえべ」と鼻で笑うわけだが、だからといって「じゃあ相手はどこにいるのか?」「本当に相手はそこにいるのか」「どこと繋がっているのか?」と訊かれると一瞬、少しぞっとしないだろうか? 試しに適当に「電話番号 怪談」なんかでググってみると、イタズラやデマなども相当あるが、それはもうごろごろ曰くつきの電話番号とその解説が出てきてちょっとヒエッとなってしまう(実は筆者ホラーとかオカルト少し苦手である)これは電話の性質を活かした――この場合「活かした」と言っていいのかどうかちょっとわからないが――実によく出来たホラーである。
 そう言った電話の怪談で最も知名度があるのはやはり「メリーさんの電話」だろう。「電話 怪談」で検索するとこの怪談のwikipediaがトップに表示される。あれも電話の特性を良く活かしたホラーだ。突然メリーさんを名乗る少女から電話が掛かってくる。数回にわたる電話で場所を報告するが、それは段々自分に近付いてきて最後は「今、あなたの後ろにいるの」で締めくくる。このメリーさんは「どこから掛けているのか」、はともかくとして(一応報告してくれてるし)電話をしてきた相手が誰なのか、そこに何があるのか、声だけの情報ではとてもわからない。その奇妙さが恐ろしいし、「相手が見えない」こともとかく恐ろしい。
 少し脱線したが、こうやって怪談の題材になるくらいなら、同じくらい確かに言えることは、恋愛にもその電話の持つ闇の要素がマイナスに作用することもあり、嘆きや切なさを生み出すことがあると言うことだ。そしてその切なさを我らがaikoが見逃すわけがないのである。

■電話の特性を活かした「二時頃」そして「ビードロの夜」
 以前考察した「二時頃」の稿でも「声だけ届いて彼の視界に「あたし」の姿は髪の毛一本も映っていない」と少し触れていたが、「二時頃」はまさに電話の持つ特性を逆手に取ったことで生まれた痛烈なまでに切ない一曲である。相手が見えない、相手の様子がわからないからこそ、「あたし」は「受話器の隣 深い寝息を立ててるTinyな女の子」の存在を「何も知らず」に「嬉しくてただ鼻をすすって」通話を続けていたのだから。繋がった電話で「あなたと気持ちは繋がっている」と錯覚していた。しかしその実、かつて書いたように声だけ届いて「あたしの姿は映っていない」のだ。「あなた」にとってあたしはその程度の存在でしかなかったのだ。aikoにお前は鬼か?! と言いたくなるくらい辛い一曲である。
 また、声だけしか伝わらないのだから「嘘をついてしまったのは」と言ったあたしの虚しい手段もその切なさを倍増するような効果があると言えようか。それに「想像力」を要する電話だからこそ「Tinyな女の子」の発想がaikoに生まれたとも言える。(実際aikobonではそのような感じに読める)
 何というか、ここまで来ると、電話の持つメリットが裏目裏目に出た曲と言えばいいだろうか。個人的には闇の電話曲の筆頭として挙げたい曲である。ちょうどMay Dreamの初回盤Cの特典にアレンジ違いも収録されたし、「二時頃」はこれまで以上に評価されて欲しいものだ。(なお光の電話曲の筆頭は「4秒」を挙げたい)
 電話での会話自体がモチーフとはなっていないものの、「二時頃」に負けず劣らず電話の特性を巧みに盛り込んでいる曲として今ここで評価したいのは「ビードロの夜」である。「二時頃」は「相手の様子が見えない」ことを上手く用いていたが、この曲はそれに加えて「自分の様子も相手に見えない」ことを活かしている。
「4秒」のインタビューでもちらっと触れていたが「そっちで鳴ってる救急車」はあなたがあたしとは違う場所にいることを表し、そしてあたし側の「打ち上げ花火の音」でもまた距離があることを表す。「ビードロ色の涙は受話器じゃ気付かれなくていい」は「自分の様子は見えない」ことを逆手に取って、あなたはあたしの気持ちに気付いてはくれない、察してもらえないと言うあたしに充満している狂おしい、歪んだ切なさを実に効果的に表現している。
 先述したように電話は距離を超えて二人を繋げるが、それは逆に厳然とした距離があると言うことでもあり、断絶されていると言うことだ。二人の間にある物理的・空間的な距離は、そのまま繋がっているのに繋がっていないような皮肉と不愉快を齎すし、それがますますあたしをナーバスにしていく。「ビードロの夜」は並み居るaikoの電話曲達の中でそれが最も優れて表されている作品と言えるだろう。

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