■「あたしの向こう」概要
「あたしの向こう」は二〇一四年十一月十七日に発売されたaikoの三十二枚目のシングルである。それまでaikoの編曲を長く担当していた島田氏ではなく、ボーカロイド等のアレンジで好評を得るOSTER Projact氏をアレンジャーとして迎えている意欲作でもある。「泡のような愛だった」発表以降、aikoは常に貪欲に新しいaikoを求め、それを惜しげもなく私達に見せつけているが、歌詞の面でも「あたしの向こう」はそれまでのaikoの作詞フォーマットとは少し、一線を画している。
「あたしの向こう」は竹野内豊主演のフジテレビ系ドラマ「素敵な選TAXI」の主題歌として発表された。お笑い芸人・バカリズム原作脚本の一話完結オムニバスドラマであり、芸人脚本らしくシュールなコメディもあれば、手に汗握る展開もあり、思わず涙腺を潤ませる場面もあるなど、私自身aikoが主題歌であることを別にしても毎週楽しみにしていたドラマである。

■ドラマの設定を踏まえた歌詞
 ではその「素敵な選TAXI」はどんな設定のドラマなのかと言うと、竹野内豊演じるタクシー運転手・枝分の運転するタクシー「選タクシー」は、乗客それぞれの人生の「分岐点」まで時間を巻き戻し、連れていってくれる不思議なタクシー。一話ごとに違う乗客が乗り込み、彼ら、彼女らを主人公として物語は巡り、綴られていく。アニメや小説やマンガ、中でも特にノベル系ゲームに多い時間遡行作品、いわゆる「ループもの」作品の一つであり、最終話前には主題歌を歌っている縁でaikoが僅か数分程度であるがドラマ初出演を果たしている。私はこのループもの作品がとに! かく! 大好きであり、「素敵な選TAXI」は他のループもの愛好者の方々にも好評を得られるのではないかと思っている。未見の方は、aikoが出ていると言うこともあるので、DVDなり何なりで是非視聴して欲しいくらいオススメのドラマであるが、「あたしの向こう」はこの内容をあらかじめ知った上で手掛けられているのだ。この点が従来とは違う。
 それまで、映画やドラマなど、ストーリーのあるものとのタイアップがある場合、aikoは「作品にピッタリ合わせて作るわけじゃないけど、いつも自然に寄り添える曲になったらいいなって思うんですよ」(KissHug発売時オリスタインタビューより抜粋)とかつて言ったように、作品内容に合わせて、ピッタリがっしりくっつくような曲を書き下ろさず、あらかじめストックしてある曲のうちから作品に寄り添えるような曲を提出する、と言うのが主流であった。松任谷由実や谷山浩子の曲のように、作品とシンクロする主題歌などに感銘を覚える私としてはこのaikoのやり方が実は不満であり、「いつかaikoも作品に合わせた曲出してくんないかなあ」とずっと思っていた。(なお、余談であるが、アニメ「まっすぐにいこう。」主題歌の「どろぼう」は、原作を終盤まで読んだことのある人ならば思わず「おお!」と膝を打つほどの表現が登場しているのだが、これはアニメのタイアップに合わせたと言うよりはaikoが当初から「まっすぐ」より拝借していたのだ、と私は推測する。気になる方は是非原作を読んで欲しい)しかしaikoがそう簡単にポリシーを変更することはないだろう、その夢は叶うまい、と長いこと思っていたのだが、ついについに夢が叶ったのである。
 長くなったので先に進むが、「あたしの向こう」のキャッチーなBメロ「ドラマみたいに遡って本当のこと 話せたらいいけどそんなの無理だよね」はそのドラマの設定を踏まえている。が、歌詞を読んでわかるとおり、別に「あたしの向こう」の「あたし」はその選タクシーに乗ったわけでも、「魔法少女まどか☆マギカ」の暁美ほむらのように時間遡行能力があり未来から遡ってきたわけでもない。しかし「赤いランプ」や「飛行機」や「愛のしぐさ」と違い、彼女はほぼ決定事項となりつつある別れの運命にあらがおうとする姿を見せているのだ。「さよならなのはわかっていたけれど 知らないままであがいてみたんだ」と、サビに歌われている通りに。「あたし」にあえて何か特殊な能力を付与するならば、彼女は自分と相手の「赤いランプ」を見ることが出来る人間だったのかも知れない。

■あらがう「あたし」 あなたの向こうを見た「あたし」
「愛のしぐさ」で結構筆を割いてしまったので「あたしの向こう」は短くいこうと思う。しかし一番の出だしでまずちょっと引っ掻かる。内容と言うより文法的・レトリック的な問題なのだが改めて俯瞰して見てみるとちょっと首を捻りたくなる。なので少し回り道しよう。
「あたしが忘れてしまったら\あたしがいなくなってしまった」は、歌詞と言う体裁上改行が施してあり独立した文に見えるが、多分一つの文章なのだろう。「あたしが忘れてしまったら、あたしがいなくなってしまった」が正しい。ここの「たら」は仮定形ではなくて順接なのではなかろうか(古典の文法で言うと已然形に接続し、順接を表す助詞「ば」に相応か。なので文語にすると「忘れたりければ」になるだろうか。仮定にすると「忘れたらば」「忘れたりけらば」でも「けり」の未然形はあまり用例なさそう)歌詞の設定やドラマの設定の所為でつい「仮定」で読みたくなってしまうが、「あたしが(何かを)忘れてしまったので(あなたから)あたしがいなくなってしまった」と読み解くのが多分正解ではないだろうか。
 そうなると後の展開もより無理なく理解出来る。「これは ついさっきの話 いいえ ずっと昔の事」と続くが、読み解いたものに沿うなら「何かを忘れた」あるいはそれに相応するようなことは今に始まった話ではなく、実はずっと昔からこういうことがあった、それが別れの運命を呼び寄せてしまった……と言うことだろうか。何やら「愛のしぐさ」とは違う意味で最初から無理ゲー感が強い。言わば詰んでしまっている状況だ。続くAメロ第二連は「逢って話がしたいんだと」から始まるが、「あたし」もおそらく予感している通り、別れ話を切り出される展開が読める。「怖くなって少しだけ 指先が冷たくな」るのも無理はない。
 続いてBメロ。aikoがaikoメールで「Bメロばっかり流れて不満」と漏らしていたように、一瞬サビのように盛り上がる。番組CMなどでもBメロからの入りだった。実はこの構造は「愛のしぐさ」と同じことが興味深いのだが、本稿では音楽的アプローチはなるべくしない(て言うか出来ない)方向性なのでスルーしよう。先にも触れたが、「ドラマみたいに」はタイアップドラマの設定を意識しているが、「そんなの無理だよね」と焦るように言う「あたし」はあくまで普通の人間であるのだ。
 そしてサビ。これも先述した通り「さよならなのはわかっていたけれど 知らないままであがいてみたんだ」と、「赤いランプ」「飛行機」「愛のしぐさ」の「あたし」との違いをここで歌っている。彼女は別れの運命を予感しながらもそれに抗い、回避しようと奮闘するのである。しかしその次の、タイトルが登場する「あなたはあたしの向こうに あたしはあなたの向こうに\何を見る」を覚えておきたい。「あたしの向こう」発売時の「mina」のインタビューで「あたしの向こう」と言うタイトルについてこう語っていたのだ。「好きな人と向き合って、今までは目と目が合っていたのに、それがズレてしまったとき、この人は次に何を見るんだろう、と思って。そこから『あたしの向こう』と言うタイトルにしました」と。「あたし」もこの時点で、既に「あなたの向こう」を見てしまっていると言うことは、だ。……先を進もう。

■下を向いてた帰り道
 二番Aメロ。「インクのなくなりそうなペン」は別れの近付く二人のメタファーであり、それで「話しながらぐるぐる書いた\何か解らない模様も あたしの今の模様だ」と歌うように、ぐるぐるのその模様は別れを食い止めようとしている「あたし」の奔走ぶりのメタファーである。しかしそのペンで書くということはインクがそれに伴い減っていくということで、何とも皮肉である。
 Bメロに移るが、二番Bメロの時間軸や設定については発売当時から少し疑問だった。ここでは「あたし」はどういう状況にいるのだろう、と。いい機会なので自分なりの見当を立てておこうと思い、つまりはこの考察執筆の為に二番を聴いていて思ったのであるが、もしかしたらこの時点で既に別れているか、別れ話を切り出された直後なのかも知れない。「下を向いてた帰り道に思ったよ 明日は晴れるから星はいくつ見えるかな」は、「明日は晴れる」と言うことを何故知っているのだ! さては貴様ループしているな! と非常にループものっぽさを感じさせて聴いた時はニヤニヤ出来たのであるが、一番で見た通り別に彼女は選タクシーのようなタイムマシンに乗ってきたわけでも、妙な白い生き物と契約しエントロピーを凌駕して時間遡行能力を手に入れたわけでもない、ただの普通の人間である。ここは私の萌えでしかないファンタジーは置いといて真面目に考える。単に「明日は晴れる」と言う情報を天気予報で得ていたか何かしたのであろうが、そんな些末なことはよくて、あたしは「思った」だけであって「あなたに言っていない」と言う事実の方が注目すべき点である。「下を向いてた」とあるので一緒にいたとしても話してはいない。話したくても話せなかったのだろうか。そもそも「あたし」は今誰といるのだ? 「あなた」はここにいないのか? 「あたし」は既に一人なのか? もし二人が別れてしまって、「あたし」が一人で帰り道を歩いていて、ああそういえば明日は晴れだった、星はどれくらい見えるだろう……などと一人で考えていて、ああ、あなたに話したかった、そう後悔していると思うと、うんと切なくなって、胸がぎゅっと絞られてしまった。
 今「後悔」と書いたが、続くサビでまさに「後悔」が登場する。「あと一度変われたならこの道をあたしはどうやって歩いただろう\振り返ったら後悔が巻き付いてきそうだから\もう見ない」と。「あと一度」の一文は一番Bメロの「遡って」と対応するが、あくまで仮定だ。「あと一度変われたなら」――ドラマの設定を踏まえて読むならば、もう一度やり直せていたなら、別れ話も何もなくて、二人でラブラブで歩いていたかも知れないし、一人で歩いたとしてもハッピーな気持ちで歩けていたかも知れない。しかししかし、その全ては後悔である。そうやって仮定する――それは必然的にこれまでのことを振り返ることとなるが、「振り返ったら後悔が巻き付いてきそう」の通り、それは「あたし」を縛る呪いのような鎖となる。どん底に嵌ってしまい、何も出来なくなる。だからこそ「もう見ない」と強く振り払わなければならないのだ。
 そして大サビ前のサビに落ちていく。「少し向こうに行った気持ちを呼んだけど\どうにもならないね もうキスは出来ないね」――先ほど「mina」でのaikoのインタビューを引用したが、「今までは目と目が合っていたのに、それがズレてしまったとき」は、「あたし」の方も一番サビの「あなたの向こうに何を見る」と歌っている時点で既に迎えている。気持ちも、その時点で向こう側に放たれてしまっていると推測する。発売時のオリスタでは「一回感じた気持ちは、なしにすることって難しいなと思うんです。特に恋愛は、相手が特別な人になるわけじゃないですか? 特別なのに気持ちが変わってしまった場合、同じ状況に戻すのは難しいと思うんです」とaikoは語っており、それは歌詞の「どうにもならないね」に表されている。頑張ったけどダメだったよと苦笑を浮かべている「あたし」がここには見えている。懸命に抗ったにもかかわらず、「あたしの向こう」の「あたし」もまた、別れと言う運命に敗北してしまったのだ。しかしそのかわり、ただの敗北では終わらなかった。

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