■やがて離れる想い人
 2番も言ってみれば回想シーンであり、あなたとあたしのすれ違いが描かれる。このくだりを読むと、自分勝手なあたしの言動だけが別れの原因ではなかったのだろうと感じ取れる。

 出だしの「真っすぐな優しさに 胸が痛いと言った」は、おそらくあなた側からの発言なのだと思う。「真っすぐな優しさ」はきっとあたしの良さ、と言うか特徴なのだろう。だがそれにあなたは「胸が痛い」と言う。この辺は思い切り推測だし、他にも読み方はあると思うが(あたし側の気持ちかも知れないし)あなた側に何か問題があって、あたしから向けられる優しさに応えきることが出来ない。彼はそんな風に申し訳ない気持ちだったのかも知れない。
 続くフレーズは対になっており、あたし側のかつての気持ちが表される。「輝くあなたの希望に 息は苦しくなった」なのだが、輝くあなたの希望は、端的に言って彼自身の夢や目標なのだと思う。おそらく、今後そこに向かっていくあなたの道に自分がいないことを、あたしは感じ取っていた。
 やがて自分から離れていく想い人。自分達を引き離す夢。本来なら応援すべきものは破局を呼ぶもので、それをすんなり受け入れられるほど、お利口さんに彼の背中を押せるほど、あたしは大人ではない。1番で歌われていた通り、彼女は「儚い愚か者」だ。だからこそ、何としてでも彼を繋ぎ止めるためにぶってみせたり、泣き真似を見せたりしたのかも知れない。
 自身の夢や希望のために、別れを選択する。そんな二人は以前読解を書いた「4月の雨」の二人に似ているが、「4月の雨」のあなたがそうであったように「えりあし」のあなたもまた、輝く希望を追い始める。自分を縛り付けようとするあたしから遠ざかっていく。「真っすぐな優しさ」に応えることが出来ず胸を痛めたのも、輝く希望があったからではなかろうか。
 1番と同じく、一人残されたあたしを想いながらBメロに入っていく。同じように時が過ぎ、一人でも歩いていける成長したあたしが再び現れ、現在の自分についてこう歌う。「あのね こんなあたしでもこれからは/変わらない想いだけを抱きしめて」と。
 サビで「今もあなたを好きなままよ」と告白していたが、再び同じことを歌う。「こんなあたしでも」と少し自分を卑下するようなフレーズがある。成長を遂げてはいるが、それこそ自分を「儚き愚か者」と言ってしまえるくらい、かつての自分の過ちを今でも気に病んでいることの表れだろうか。あるいは、今でも同じ人を想い続けていることは、やはりどこかおかしいのでは、間違っているのではないか──そう感じてのフレーズなのかも知れない。
 だが、想いはそう簡単には止められない。手放すことだって出来ない。たとえ自分が罪でも、間違っていても、あたしは「変わらない想いだけを抱きしめて」いくことを誓うのだ。
 そこに、あなたの存在は無くてもいい。見返りがなくてもいい。この気持ちに気付かれないままでいい。彼女の誓いはそんなことを思わせる。一番で述べた通り、別れと喪失の肯定でありながらも、大きな愛の告白だ。悲哀と親愛が背中合わせでありながら、aikoの言った通り前向きな姿勢を見出せる。


■何人たりとも入り込めない
 サビは1番の繰り返しも含んだフレーズとなる。「時は経ち目をつむっても歩ける程よ あたしの旅/遠くにいても離れていても浮かんでくるよあなただけが」と、読めば読むほど、1番Aメロが実に幼かったか、そしてこの時点でのあたしは、本当にものすごく大人になったんだなあとしみじみ感じるくだりである。1番Aメロの頃と比べるともはや別人だ。
 遠くにいても離れていても、あなただけが浮かんでくる。心は依然としてあなたに向いたままだ。もはや、彼女の心の中に彼がいるのかも知れない(それこそ「ひまわりになったら」のあの子=ひまわりのように)これまで見てきた通り、あたしにとっての大切な人の椅子はずっと彼のものだ。
 その一つの椅子に彼を座り続けさせている限り、これからあたしと出逢っていく新しい人は、あたしの心に入り込むことも、そもそもあたしを振り向かせることも、非常に難しいことだろう。それはそれである意味メリーバッドエンド、と言うか閉じた恋愛過ぎて、どこか退廃的で不健康さすら穿って見てしまいたくなるが、そんな第三者の現れるもしもの話は「えりあし」の歌詞においては考慮されていないことだ。単に筆者の余計な考えである。
 むしろ「えりあし」は一貫して、一人のひとだけを想い続ける、その一途さを尊重していることは、ここまでで十分おわかりであろう。ではもし、そんな一途な想いを抱き続けている彼女が、もしも万が一、あなたに再会することがあったのなら、何をするのだろう。


■こうありたいから、そうあれるような
 それが明らかになる「もしもの話」が、この「えりあし」を締めくくるクライマックスであり、「えりあし」と言う楽曲の真のサビでもある。とは言えサビのメロディの繰り返しではなく、あくまで音楽的にはCメロと言うのが正しい。が、そのまま便宜上ラスサビと呼ぶことにする。
 音楽的なことをもう少し言うと、2番サビ後からCメロに繋がる間奏が始まるが、私はこの「えりあし」の間奏がaikoの中でも特にお気に入りである。ストリングスの繊細な音達がそっと入り込み、少しずつ盛り上がっていく。やがてギターが一本芯のある軸となって共に奏でていき、最後には壮大に物語の結末を導いていき、聴衆にこれから物語が動くよ、と教えてくれる。この間奏がなかったら、この「えりあし」の評価も大分違っていたのではないだろうか。
 この曲において非常に印象的で、初めて聴いた人にも深く残るであろう歌詞はこうだ。「5年後あなたを見つけたら背筋を伸ばして声を掛けるね」──5年。それはある程度まとまった年月だ。5年前何をしていたか思い出してみると、今とはまるで違う生活、違う職場、違う学校、違う環境……そんな風に大なり小なり変わっていることだと思う。少し先の未来の指標として、ちょうどいい年数である。
 この「5年後」であるが、今まで見てきた通り既に成熟しきって達観しまくっている状態から更に5年、なのである。まだこの先成長を見せるのか、と少しおののいてしまうのだが、「背筋を伸ばして声を掛けるね」と、あたしは理想の自分を思い描く。背筋を伸ばし、前を向いて。そしてきっと、笑顔で。
 でもこの時点では、これはあくまで「もしも」の話だ。本当は上手く立っていられないかも知れない。立派な大人になっているあたしにそんな心配は無用かも知れないが、実際のところは隠れた弱さや臆病があるかも知れない。でもそれも込みで、こうありたいからこそ、あたしはそんな風に歌っているのだ。そうあれる自分になれるよう生きていこう。そんな気持ちもあるだろう。
 そして続くフレーズはこの曲を、物語を締めくくる。「一度たりとも忘れた事はない 少しのびた襟足を/あなたのヘタな笑顔を」──これまでのフレーズでも揺るぎない愛、確固たる深い愛の表現はあったが、ここの「一度たりとも忘れた事はない」と言う言葉も最大限の愛の告白ではなかろうか。
 別れから長い年月が経ち、更に5年を経過してもなお忘れたことはなく、同じくらい確かに、これまでも忘れることはない。こんなにまでひたむきで一途な想いを持ちながら、あたしは一人で歩いてきたのか。そう目頭を思わず熱くしてしまうのは何も大袈裟ではないと思いたい。そう言ってしまえる、いわば誓えるのは本当にものすごいことだ。だてに季節に逆らい想い続けているだけある。彼女の決意の表れと変わらぬ愛の誓いを前に、筆者はもう完全にお手上げである。
 忘れたことはない、あなたの色んな、沢山のこと。それらから、タイトルの由来である「少しのびた襟足」そして「あなたのヘタな笑顔」という、本当に小さな、愛おしくなるような何気ない要素を挙げて、物語は、あたしの旅を綴るこの曲は終わりを迎える。「ヘタな笑顔」を想像するだけで本当に胸がキューッとなってしまう、憎い終わり方だ。リスナーの方もあたしの方も、あなたの笑顔がラストカットとなって物語を終えるような感じで、終わり方として申し分ないと思う。



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