■回転木馬が止まる時
 そしてカブトムシは、あたしが捉えるその「今」を美しく繊細に歌詞として昇華させている作品でもあるように思える。サビへと繋がる一番Bメロは「スピード落としたメリーゴーランド 白馬のたてがみが揺れる」と歌われるが、メリーゴーラウンドがゆっくりゆっくり速度を落とし止まっていく様子、動かないはずのそのたてがみが揺れて見える程、あたしがその「今」をじっくりと見つめている様子が描写されている。カブトムシの中でも特に幻想的なフレーズであり、「今」を縫い留めたような筆致だ。
 メリーゴーラウンドが意味するものは、何なのだろう。ご存知の通り馬や馬車やゴンドラが載せられた台がぐるぐる動き、馬達が上下する遊具だ。遊園地ではポピュラーな存在であり、可愛らしい印象がある。ただ、村上春樹の著書のタイトルに「回転木馬のデッド・ヒート」と言うものがあり、その中で春樹は回転木馬のことを「定まった場所を定まった速度で巡回している」「どこにも行かないし、降りることも乗りかえることもできない。誰をも抜かないし、誰にも抜かれない」と表現しているのだが、その影響もあってか私には「変わることのないもの」や「一生追いつけないもの」の象徴として捉えてしまうことがある。実際のところはあなたとあたしが遊園地で乗っていたものと言う読みが妥当なところかも知れないが、ここは少し我が儘にそう読んでみたい。
 そんなメリーゴーラウンドが止まるのだ。「終わってしまう」ことを表すのか、それとも、メリーゴーラウンドの停止と言う「変化」によって変わらないものが動き出す──それこそ動かないはずの作り物の「たてがみが揺れる」ように「二人が近付く」のか。終わってしまう、と断言するのはあまりにも残酷だ。すぐそばで待ち構えているのは曲の最高潮であるサビであるし、後者の「二人が近付く」ことを選びたい。メリーゴーラウンドは止まるが、「今」は、時間は止まらない。あたしのあなたへの想いも、このカブトムシの世界では止まることを知らないのだ。
 そしてその想い、あなたへの「好き」の気持ちこそが、自身を「弱い」と歌うあたしを支えるどこか尊い、崇めてもいい、どこか恐ろしささえ感じる程のものであって、稀有な出逢いだったのではないだろうか。

■星降る夜にほどかれる
 その気持ちを大事に抱え、止まらない時の中の逃せない一瞬をしかと見つめるあたし。「少し背の高いあなたの耳によせたおでこ/甘い匂いに誘われたあたしはかぶとむし」と、樹木のようにしっかり、そして優しく佇む彼にその身を寄せていく。
 かぶとむし、と自身を喩えるが、樹液に惹かれる虫として、そしてaikoが語ったように、Aメロで歌われているように「弱い」存在としての二つの意味がそこには込められている。「弱い」と言うか、aikoの言葉を引用するなら「虚勢を張ってる」のだ。カブトムシのあたしはずっとずっと、虚勢を張って生きてきた女の子なのかも知れない。「単体で生きてる、実は寂しい虫」ともaikoが言っていたことを思い出すと、自分を強い、と見栄を張っている意味での虚勢では無く「星のない世界」の「過去も未来も心の底はいつも一人だと思ってた」あたしに近いのではないだろうか。
 その虚勢が、今解かれる。強さに擬態していた弱さを露わにして、あなたの優しい甘い香りに近付く為に、脆い羽根を覗かせていく。それはいと美しき星降る夜に行われる、神聖な儀式ですらある。「流れ星流れる苦しうれし胸の痛み」──流れ星もまた素朴ではあるが大変に美しい言葉選びがされており、星降る夜をリスナーに思わせる。流れ星は常に願い事と隣り合わせだ。でももう、このカブトムシではあたしの願いが──あなたへと向けられる一途な想い、切実な祈りは叶えられている。たとえ、たとえそうでなくても「胸の痛み」でさえも「苦し」くとも「うれし」いと結ばれているのは十分に幸福の証だろう。虚勢を解いた脆い自分を出すのは怖くて苦しい。時折、予想外の事態に傷付くかも知れない。けれども、その一つ一つが「嬉しい」。そう思う──あるいはそういう読みも出来るかも知れない。
 そしてサビを締めくくる、この「カブトムシ」を代表する印象的フレーズが二回繰り返される。「生涯忘れることはないでしょう/生涯忘れることはないでしょう」と、嬉しさと切なさが折り重なった、どこかもの悲しさも感じられる高音で、リスナーの胸にしっかりとその想いを刻み付けてくる。
 彼女は今を、瞬間を目に焼き付け、胸の痛みもときめく鼓動も「生涯忘れることはない」と誓う。瞬間は、人の時間は儚い。けれども忘れなければ、永遠になる。それも“生涯”だ。命が終わるその時まで、美しい星降る夜の想い出も、あなたへの想いも、耳によせて生まれた熱も永遠のものだと歌い上げるのだ。
 そんな心象のスケッチが丹精込めた絵画へと昇華されていくかのような一番サビは本当に至高の一品だとしみじみ思う。一瞬を永遠に変えようとするのはaikoの作風の一つであるが、一番有名な「カブトムシ」でも行われているのだ。その点でも、やはり「カブトムシ」は只者ではない存在だった。

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