恋愛事情は複雑怪奇 -aiko「恋愛」読解と考察-



■はじめに
「恋愛」はaiko初の両A面シングル「星のない世界/横顔」のカップリングとして2007年8月22日に発表された。表題曲の「星のない世界」「横顔」は、かなり前になり、なおかつ現在のものと比較すると大分簡単なものであるが、過去に一度文章を書いたことがある。そこで考察したことをざっくり言うと、同じ恋愛を歌った曲であるが、星のない世界は「切ない」、横顔は「楽しい」にそれぞれ割り振られた曲であるということだった(曲調にもそれが表れている)
 ならば、カップリングとして表に現れることのない「恋愛」は──タイトルの時点でそのものずばり、と言った感じのある「恋愛」は、一体恋愛のどういったことを描いているのだろうか。

■憎悪と隣り合わせ
 切り抜きで所有しているため雑誌名は不明だが、星のない世界・横顔発売当時のインタビューでaikoはこんな風に語っていた。

「『恋愛』では、ほんの少しズレただけで憎悪に変わってしまうくらいの赤黒い気持ちを歌ってるんですけど」

 この一文を読んだ時、それまで抱いていた「恋愛」のイメージとほぼ同一だったので、何となく腑に落ちた気がした。歌詞の内容、曲の荒々しさからしても、さもありなん、と言ったところだ。
 少しでも揺らげば、何かの加減がほんの少し違えば、恋愛のカードはいとも簡単に憎悪に裏返ってしまう。これは繊細と言うよりも危うい感情で、恋愛というものの本質を端的に表現したコメントであると言える。「星のない世界」と「横顔」がまさに表題曲と言う名の通り「表」なのだとしたら、「恋愛」は恋愛をした人にしかわからない「裏」の難しい中身を表しているのだろう。

「どの曲も別れたわけでも、終わりが来たわけでもなく、“好きだから切ない”がテーマ。私は片想いでも両想いでも「不安」が常につきまとってしまうんです。それが如実に出た3曲ですね(笑)」

 好きだから切ない。本質、と言うよりは真理と言った方が正しいかも知れない。「好きだから切ない」がピックアップされて曲となったのが一曲目の「星のない世界」なのだが、「不安が常につきまとっている」が前面に押し出されているのが「恋愛」だ。「不安」から引き出される様々な苦悩へのフォーカスが他の二曲より圧倒的に強い。「星のない世界」「横顔」が描き出す、甘く愛おしく、けれど少し切なくて寂しくてナーバスな気持ちもある恋愛……と言う世界の余韻に浸る間もなくこの曲なのだから、何も知らなかったリスナーは冷水をぶっかけられるような印象を抱いてもおかしくないのではないか、と思ってしまいそうになる。温度差で風邪引いてまうやろ、とさえ言いたくなった。
 おそろしいのがこの曲を表に出すことなくカップリングと言う裏方に置いたことである。しかもaikoはカップリング曲は配信販売すらしないので、CDをじかに買うか借りるかした時に初めてカップリングはその人と出逢うのだ。aikoと言えばカップリングが本編と言わんばかりに、古くは「ひまわりになったら」から、近年だと「月が溶ける」に代表される名曲も数多いが、「二時頃」と言い「舌打ち」と言い「Do you think about me?」と言い、正直お前さんそんなところに凶器や地雷を仕込み過ぎではないかとも言いたくなる。
 だがaikoからしたら「ここまで聴いてくれるなら深くてどす黒いものを聴いてもらっても大丈夫だろう、信頼のおけるリスナーと見込んでのことや」と言う考えがあるのかも知れない。だがしかし、そういうことなら大正解である。なんとなく、ファンとaikoの共犯関係を感じてゾクゾクしてしまう。こうやって新規のaikoリスナーをどんどん沼に沈めていきたい所存である。


■恋愛と書いてaikoと読む -オリスタインタビューより-
 閑話休題。発売当時のオリコンスタイルでは、カップリング曲だと言うのにかなり長いaikoの言葉が掲載されている。長いだけあって非常に興味深い内容になっているのだが、じっくり読んでみてそのあまりの内容に少し驚いてしまった。どうやらこの「恋愛」と言う曲は、私が思っていた以上にとんでもない曲であるようだ。
 まず「恋愛」とはどういう曲か、aikoはこう言っている。おおむねこれを基本として「恋愛」を読み進めていこうと思う。

「これは、恋愛をしていてうまくいかないときというか。もっと好きになって欲しいし、もっと思いを伝えたいのにって、夜中にとぐろをまいてるときの感情を曲にしてて。私はこんなことばかり、いっつも考えてるんですよ。曲にしてるからソフトに聴こえるけど、これを切々と1時間くらいずっとしゃべり続けてたら、聞いている方は、しんどくてなんか頭痛くなると思う(笑)」

 いやいやaikoさん、曲にしてるからソフトって、あなた曲の時点で既に相当ハードですよ。まさかとは思うが本気で言っているのか……とついつい突っ込んでしまいたくなる。曲の時点であれだけなのだから、aikoの深奥にある全てを開示された時、どれだけ深い愛情や信念を持ったaikoファンでも、正直対処しきれないのではなかろうか……と思うのだ。私でさえ躊躇する気がする。
 まあそれはおいといて、この曲で描かれているのはaikoが「夜中にとぐろをまいてるときの感情」と言ったように、恋愛の実態とも言うべき、苦悶と葛藤ということだ。水面下でのばたつき、と言い換えてもいい。
 実際恋愛というものを体験してみると、甘い時間などほんの一瞬で、あとは相手の見えない感情に疑心暗鬼を募らせ、懊悩を抱えて過ごすことのなんと多いことだろう。言う程よくないのだ、恋愛とは。家族以外でこれ以上しんどい人と人の関係はなかなかない。一体どうして人は人を好きになるのか。世界で最も不思議な出来事だと個人的には思う。
 ではaikoは何故恋愛するのかということにどのような解を示したのか。まず、男性は子孫繁栄の本能といった科学的な根拠があるのだろうと述べてから、女性についてはこう語る。

「(中略)生まれた子供を育てるっていう母性本能はあるけれども、子孫繁栄の本能がない女の子が、それでも恋愛をするというのは、きっと、根っからの体質なんだと思うんですよね。全ての女の子がそうだとは言い切れないけど、私はそうなんだろうと思う」

 このくだりを読んでaikoがそう言うならそう(真顔)と言う気持ちになってしまった。いや実際のところ科学的な根拠は十分にある、解明されているのだと思うが、恋愛ソングの名手aikoが言ってしまうとそうなのかも知れないと思ってしまうのがこのアーティストの怖いところである。
 続けて彼女はタイトルについてこう語る。

「だってね、タイトルも最初から「恋愛」だったんですよ。自分の中ではあまり気にせずに、フラットにつけたつもりなんですけど、だからこそ、この歌詞は自分そのものなんだろうなっていう風に感じてて。歌詞が自分で、この歌詞が恋愛だということは、自分が恋愛体質なんだろうなって思って。……いや、どうなんだろう? こういうのってしんどいのかな? でも受け入れて欲しいですね(笑)」

 気にせずつけたタイトル、であるという。無意識で命名したものが核心を突いてしまうと言うのは古今東西よくある話だが、「この歌詞は自分そのものなんだろうな」とさらっと言ってしまうのも恐ろしい。
「歌詞が自分で、この歌詞が恋愛だということは、自分が恋愛体質なんだろうな」ということはaikoの本質はやはり「恋愛」なのだなと思うと、この曲はaikoの「本質」なのだ、と思うとやっぱり慄いてしまう。そういうものをカップリングに仕込むな、とちょっと言いたくなる。
 インタビュアーの「「すぐあなたに触りたい」とか「こんなに逢いたい」という叫びにも似た切迫感を感じますからね」と言う言葉にはこう返していて、お前……と若干絶句してしまったところなので、「恋愛」の資料としてはそこまで有効ではない部分なのだが、是非読者の皆様にも共有してもらいたいことなので引用する。

「わたしね、体を交換してみる? って言ったことがあるんですよ。一度だけでいいから、体を取り替えてみたら、わたしがあなたのことをどれだけ好きかって分かるんじゃないかって。こんだけ切ない気持ちになってたんやってことを味わってもらえるようになればいいのにって思いますもん。(略)」

 わかるわ、ともなったのだが、同時に、こいつすごいこと言ってるな……と改めて彼女の感性に戦慄してしばらく頭を抱えてしまったのも事実である。ポップでキャッチーでアホな外面や喋りで惑わされてしまうが、私達はとんでもない人を相手にしているのだ。
 インタビュアーはその後「「ぬるく熟した恋愛を食べる瞬間は あなたと迎えたい」という一節がとても印象的でした」と語り、aikoはこう返す。ここもなかなかに強烈な部分だ。

「長い間一緒にいても、こういう感覚でいたいというか。やっぱり熟したものを一緒に食べたいんですよね。「どうする? 干しちゃう?」とはなりたくない(笑) ちょっと気持ち悪いかもしれないですけど、もうね、愛されすぎて腐ればいいのにって思うんです」

 愛されすぎて腐ればいいのに。相手の愛と自分の愛がぐちゃぐちゃになって発酵して、そのまま死んでしまえばいいのに、とさえ思っていそうだ。この人、根っからの恋愛体質だな……と思わざるを得ないし、いわゆる「ヤンデレ」がここにいるな……などとも思った。

「それくらい重くていいと思ってるんですよ。あと、まだぶつかったことはないけれども、とてつもない崖っぷちに立った時も一緒に乗り越えていけるような想いというか。とんでもない困難も、この人がいたら大丈夫っていう、全身全霊をかけてしまうような信頼を味わってみたい。命は大事にせなあかんけど、心持ちとしては、命をかけてもいいと思えるような瞬間に、死ぬまでに一度くらいは出会えたらいいのになって思いますね」

 筆者は物語を書く人間なので「命をかけてもいいと思えるような瞬間に、死ぬまでに一度くらいは出会えたら」と言うような恋愛は確かに一度は体験してみたい。なのでaikoにはうんうんと頷くのだがそれと同時にこの言葉を読んで、この人、本当に人生そのものが恋愛なのではないか……とやはり戦慄してしまったりもした。
 このインタビューの中で、「恋愛」の歌詞ではなくaikoと言う人間に対し最も興味深く重要なことは最後に述べられている。「この曲にaikoさんの恋愛観が詰まってますか?」と言うそのものずばりなインタビュアーの問いに「そうですね」とaikoもずばりと答え、こう続ける。

「(前略)振り返ってみると3年分くらいあったかなっていう日々を、何度も繰り返しても勉強できない自分がいたりとか。それでも恋愛をやめられない自分もいる。だから、きっと体質なんやろうと思うし、いまの自分なりの恋愛観が詰まっていると思いますね」
「10年後には「何を青臭いこと言ってるのかしら?」って思うかもしれないけど、いまの自分が思ってる恋愛の形はこれだなって思いますね」

 2007年の発表から十年どころか干支を一周してしまっているのだが、きっと今のaikoが「恋愛」の歌詞を見ても青臭いなどとは思わないのではないのだろうか。aikoは年々様々な変化を見せつつも、根幹は変わらず、むしろ年々強化し、深化しているような気がする。
 この「恋愛」はまさに、このインタビューでも察せられる通りaikoの「根幹」、「本質」に密着する曲である。言ってみればaikoの座標の原点とも言っても過言ではないこの曲との乖離が感じられた時、aikoはaikoでは無くなるのではないだろうか、と危惧さえしてしまう私である。



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