■世界を開け、世界を盗め
 二番のあたしは一番の頃よりも少し前のことを歌っているのかも知れない。aikoがインタビューで語っていた「精神的に堕落していた」頃が垣間見れるような気がする。
「何度も胸を撃ち抜かれた 季節と踊り狂ってた」は、あくまで推測に過ぎないがライブに明け暮れていた頃のことだろうか。2016年は年越しと共にライブをしていたし(Love Like Pop Vol.18の千秋楽。aiko初のカウントダウンライブとなった。伝説の四時間越えライブ…… ※時間は適当です)アルバムをレコーディング、発売してすぐツアー。春と夏と秋の始まりを駆け抜けたのは確かに「季節と踊り狂ってた」と表現して差し支えない。あれだけライブと言う時間を愛している彼女だ。その場その場で受けるその日しかない衝撃は「何度も胸を撃ち抜かれた」と言う表現そのものだっただろう。
 今とは遠い、夢中になれるものがあった頃。堕落しきっている今が嘘のよう。……それなら、堕落している今を抜け出せばいい! と、次のフレーズへ移る。「クーラー切って窓を開けた 夕焼けのオレンジを盗め」──クーラー、とあるから意外とこの曲の季節は夏だったりするのかも知れない。出たな夏曲、とちょっと思うが「予告」自体あまり季節関係ない感じの曲なのでそこまで重要ではない。けれど「堕落」は四つの季節の中では夏が一番合っているような気もする。
 それはさておき、「窓を開けた」ことで閉じこもっていたあたしは世界へと繋がることが出来た。「夕焼けのオレンジ」は起き上がったばかりのあたしにどれだけ強烈か。どれだけ眩しく見えていることか。盗みたいほどに迫って来たのだろう。そう、ここの「盗め」もまた命令形だ。その欲求に素直に動いていい、それいけ、と自分の中の自分──「あたしのあたし」がせっつくようだ。


■真っ最中の真ん中で
 Bメロは少し年相応な、ドライなことが描かれるけれど、悪いことではないと思う。「結んだ約束はそう叶うまい ただ自転車こぐきっかけさ」であるが「叶うまい」ということに失望しきっているわけでなく、叶わないことが大半であるのはわかるが、だからといってそれが無駄になるわけではない。「自転車こぐきっかけさ」と、何かを起こす原動力として十分であるよ、という肯定になっているのだ。
 その原動力の先にいるのは──「回転数あげて追い越したのはその先に死ぬほど逢いたい人がいるから」……そう、死ぬほど逢いたい人だ。みんなみんな、推しや好きな人に逢いたくて生きている。あたしイコールaikoと言うわけではないにしろ、aikoの場合はファンの皆だろう。この部分が書かれたのがライブが終わった直後と言うことを考えてもそうだ。よってここからはライブの情景が描かれていく。
 二番サビはライブのaikoがそうであるように「笑う」から始まる。「あたしだけの道をあたしは知っている」──道を知っている安心感で、彼女は駆け抜ける。「真っ最中の真ん中は愛おしい」はまさにライブのあの花道でのことだ。「<真っ最中の真ん中は愛おしい>っていうフレーズは、ライブをしている時の花道をイメージして書いたところもあったので」とReal Soundのインタビューでも語っている。花道を駆け抜けて笑っているaikoの姿は、ライブに行ったことのあるファンなら誰しもすぐ脳裏に浮かべることが出来るだろう。あの時の楽しそうなaikoは、本当に愛おしい。
「終わらないよずっとだけどそれがいい/きっとあなたとあたしが知っている」──道を歩んでいくことは死ぬまで終わらないし止まらない。悩みと迷いは常に交錯し、その歩みを阻もうとする。ずっとずっとそれは続いていく。
 だけど「それがいい」と、そんな重たくてきつくてしんどいことをあたしはババンと受け入れる。何故ならあたしには「あなた」がいるからだ。ここで初めて二人称のあなたが現れるのだが、恋愛的な意味でも友好的な意味でも、どっちでも取れるような感じだ。
 ともかく、あたしは独りで生きているわけではない。終わらない道、ずっと続いていくこと、そこに困難も苦難も待ち受けていることを、あたしもあなたもわかっている。あなたといれば、困難を乗り越えていける。あなたといれば、きっと楽しいことだって待っている。何より、「真っ最中の真ん中は愛おしい」から、何とかやっていける──そんな柔軟な強さが「笑う」の宣言通り、笑顔で提示されているような段落である。


■泣いたのは
 笑う、で示された通りのサビだが、大サビに入る前のCメロではそれとは逆のことが表現されている。ある意味で「予告」の真のサビではないか、と私が思うところがこのCメロである。
「ある日の続き 上を向く前を向く」、一番二番で示してきた通りに、あたしが知っているあたしだけの道を渡ってきた「あたし」だが、「突然思い出して息を吸い声を吐く」のだ。
 突然思い出して。何か辛かったこと、嫌だったこと、しんどかったことを思い出して、息を吸い声を吐く……これは泣き出した、と言うことだろう。自分を叱咤して、励まして、奮起させて、そうして走っていても、泣きたくなることもある。どうしても涙に負けることがある。でも、そんな日があってもいい。自分の為に泣けることは、人の為に泣けることと同じくらい大切なのだ。
 泣くことを肯定しているのは、「もうじき頬も晴れやかだ」と、その涙が乾くことを知っているからだ。泣いた後も道が続いていることを知っているからだ。この「もうじき頬も晴れやかだ」と言うのも一種の“予告”だ。泣いていても、あたしは既にわーっと走り出しているのではないだろうか。涙さえも叶わない約束と同じように、自分を突き進める原動力になっているのだ。なんと、嗚呼なんと強いことか。
 泣くことは、そのことで立ち止まることは、悪いことではない。何故なら、「泣いたのは出口を探した証さ」と歌われるのだから。「見えなかった未来は明るい未来へのShine」と歌う曲が世の中にはあるが(アイドルマスターSideMの楽曲「夜空に煌めく星のように」の一節)泣くことさえも肯定しているなんて、もう隙がないじゃないか。こんなに勇気の出る曲、aikoにかつてあっただろうか。発売当時から好きなフレーズだが、今回改めて歌詞をじっくり読んでやはりいたく感銘を受けた私である。
 それにしても、Cメロの最後で「泣いたのは」と出るからすぐに種明かしはされるのだが、「泣く」「涙」を使わず「息を吸い声を吐く」と「もうじき頬も晴れやかだ」の二連で泣いたことを表すaikoの表現力にとにかくむちゃくちゃ脱帽してしまった。まだまだ私も修行が足りない。今後の表現の参考にさせてもらおうと思う(?)



back        next

歌詞研究トップへモドル