■aikoにおける第三者
 何故突然現れた何者かに不審を感じてしまうのか。aikoに限らず大体の、一般的なJ-POPの曲は一人称と二人称――IとYou、もしくはweが主に使われていると言ってもいいだろう。あるいは「君」――Youに語りかけるような二人称の音楽、「君」と「彼」「彼女」を歌うようなものは第二の主流と言えよう。Sound Horizonのような物語音楽や、歌詞に何かのストーリーを持たせていて、ある程度の世界観があるものでもない限り、歌詞とは登場人物がIとYouまたはWe、YouとHe(またはShe,They,We)のように二つの存在に限られたきわめて狭い世界であるものとするのが妥当だろう(しかしweが、アーティストや歌詞の内容によってはこの地球という世界全体をさす場合もあるので、その時はきわめて広い世界観であるのだが)これはIとYouの歌である。そういう「お約束」で進んでいるのだ。
 そしてそれは特にaikoに顕著であると思う。過去に何度か書いてきた通り、aikoの歌詞世界は「あたし」と「あなた」、ことに、「あたし」の「あなた」への切なる心情が様々なものを描き出す密閉された世界である。リスナーはほぼ「あたし」と同化しながら「あなた」との物語を俯瞰する形で進めていくし、「あたし」の心境に深く共感したり、あはれを感じたりする。「あたし」「あなた」の二人だけの世界は完成していて、なおかつ頑丈だ。「二時頃」を除いては。
 とはいえ決めつけはいけない。aikoの「二時頃」以外の曲に「Tinyな女の子」に等しい第三者はいるのか、あるのかと訊かれればあると答えなければいけない。その該当曲も含め、「第三者」なるものが登場する曲とその第三者名を今ここに箇条書きで抜き出してみよう。以前ブログに書いたことの流用である点はご了承いただきたい。

◆「Tinyな女の子」以外のaiko曲の「第三者」(二人称を指すものは除く)◆
・Do you think about me?の「いいこチャン」
・イジワルな天使よ世界を笑え!の「イジワルな天使」
・歌姫の「歌姫」
・花火の「三角の目/耳をした天使」
・相合傘の「あの子」
・恋人の「あの人」
・恋愛ジャンキーの「シスター」
・アスパラの「あの子」
・終わらない日々の「怖い人」
・陽と陰の「あの子」(もしかしたら「あなた」と同一…? というか私がそう読みたいだけかも)
・風招きの「テレビの中の向き合う人達」
・キラキラの「仲良しの友達」
・気付かれないようにの「今の彼女」
・朝の鳥の「朝の鳥」
・二人の「(その目の行く先の)香るあの子」
・キョウモハレの「あの人」
・ラジオの「ラジオ」(曲の最後の「違うよ」と叱ってくれたのはラジオのDJ、リスナー。その集合体としてのラジオ)
・明日の歌のサビの「あなた」(去年掲載した考察参照)(これはちょっと飛び道具で、リスナーという第三者を曲の中に引きずり込んでるのだけど。)


 多分まだ抜けはあると思うものの、代表的なものは抜き出せたと思う。「Tinyな女の子」と同じ意味の“第三者”は「Do you think about me?」の「いいこチャン」、「相合傘」「アスパラ」の「あの子」、「気付かれないように」の「今の彼女」「二人」の「あの子」、「キョウモハレ」の「あの人」であろうか。「気付かれないように」は既に「あたし」と「あなた」の関係は終わっているのだが、二番サビで登場する「今の彼女」とは「あたしが知ることの出来ない「今のあなた」を知っている誰か」であるので、本質的には「Tinyな女の子」に近いのかも知れない。ここの部分を聴いた時には、どこか疎外感がそっと胸に舞い降り、無性に寂しく切なくなることだろう。
 しかし「二時頃」にしても「Do you think about me?」にしても「相合傘」にしても「アスパラ」にしても初期の曲である。aikoの創作欲の赴くのが、当時はこの題材だったのだろうか。プライベートに何かあったのかと思わず勘ぐりたくなる。「Do you think about me?」の「いいこチャン」は歌詞をざっと読む限り「あなた」の浮気相手と見れそうだ。「あなた」の方から迫ったのかそれともあちらからかはわからないが、「Do you think about me?」は「二時頃」と通じる点が多々あるので比較してみても面白いだろう。しかしながら今回は時間と長さの都合上割愛させていただく。
「相合傘」と「アスパラ」については以前個人誌で考察したがおそらくこの曲に登場する「あの子」はほとんど同一人物と見ても差し支えない。「長い渡り廊下で少し目があっただけで」「あなた」を好きになってしまった「あたし」だが、「あなた」の眼差しが写すものは遠くの「あの子」だった。これが「相合傘」で、「アスパラ」は「あなた」に気付いてもらいたくて「あなた」の視線の先にある「あの子」の前をまざと横切る癖を身に付ける。しかしある夏の昼下がり、「あなた」はついに「あの子」を思う気持ちを声に出してしまう。それを聴いてしまった「あたし」は「認めるしかない」と笑い、完全に失恋した――と言うあらすじである。改めて書いてみると「アスパラ」では視覚以外に「あなた」の「あの子」への気持ちを聴覚でも捉えることになっている筋書きであることがわかった。

■「二人」の「あの子」
 しかし最初に(一体当時のaikoに何があったのかは不明だが)こういった曲が初期に集中していると書いた通り、それ以降このような険悪な、あるいは悲恋に終わる三角関係の曲はブームでも去ったかのように身を潜めた。そして数年の後にやってきたのが「二人」である。現在でもライブでは頻繁に歌われ、「まとめⅡ」にも収録されている人気曲だが、私としたことが全然意識外であった。そうだそうだ、この曲も二番のBメロと言う曲の中盤で「あの子」なる何者かが、現れるじゃないか――
 登場位置は「二時頃」よりは「相合傘」に近い。ここでもまたしても、「あなた」の目の行き先に「あの子」がいるのである。この点、全く「相合傘」「アスパラ」と同じ設定である。しかも「あたしの背中越しに見てた」とあるから多分「あなた」は「あたし」のことなどアウトオブ眼中である。「アスパラ」の「あの子」の前を通る「あたし」がこれっぽっちも「あなた」に気付いてもらえなかったのと同じである。なんと惨いことであるか。そして興味深いのは二番サビに「嘘も伝って」と、「二時頃」に共通する語句「嘘」が登場することだ。「嘘」については本稿のメインテーマの一つであるので、ここでは言及するだけとしたい。
 話を戻す。ただ、自然と身を引くような「相合傘」「アスパラ」とは違って「二人」は始終強い調子の疾走感のあるサウンドに乗せて、最後は一番サビのリフレインで終わる。先の二曲のように失恋や終わりを感じさせるものは、少なくとも曲の終わりにはないと言える。恋が始まる予感の強い瞬間を焼き付けたい意図がきっとaikoにあったのだろうし、なるべくネガティブな要素は出さないようにしているのだと感じる。勿論、「後ろに立ってる観覧車に本当は乗りたかった」と歌われるCメロはこの曲の白眉中の白眉でそれなりに切ないのだが、それを上回る強さが「二人」にはあると思うのである。
 今回はあくまで「二時頃」の稿なので「二人」の歌詞読み等は割愛し簡略に記したが、ざっと見ただけでも「相合傘」「アスパラ」との差がわかりはしないだろうか。なお「アスパラ」発表から「二人」発表まで、およそ七年もの歳月がかかっている。aikoのその七年の間に二十代から三十代となった。きっと、彼女の中で感性がいろいろと変わってきたのだろう。
 しかし視覚と聴覚と少し書いたが、改めて振り返ると曲のタイトルにさえなっている「その目に映して」とは、いかにaikoにとって切実な願いだったのか、と思わずにはいられない。そういえば「二時頃」にも「あたしだけをその瞳に映してほしくて」なんてフレーズが現れている。それもよりによって、問題の「Tinyな女の子」が現れるCメロの前に、である。



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